スマホの画面を向けると、亮介はばつが悪そうに私から目を逸らした。

「……ごめん」
「いいよべつに。別れよ」
「……え?」
「この子と付き合えばいいよ。別れよう」

 スマホをテーブルに置いて立ち上がろうとした時、亮介は目を見張って私に駆け寄った。

「やだよ!  別れたくない! もうしないから!」

 肩を掴まれてもさっきみたいに恐怖を感じることはなく、私はただただ狼狽した。
 亮介は今、目に涙を浮かべて震えている。

「……亮介?」
「菜摘が好きなんだよ。本当にごめん。別れたくない……」

 か細い声を震わせて、私を強く抱きしめた。
 動揺が薄れていった代わりに、疑問が芽生えた。
 私は本当に、亮介がもう大して私を好きじゃないと、別れを望んでいると思っていたのだろうか?
 そう思っていた方が、罪悪感が薄れて楽だったんじゃないだろうか。

 ああ、やっぱりだめだ。
 自分が被害者になれるかもしれないなんて、どうして一瞬でも思えたのだろう。そんなことできるはずがないのに。

 強姦まがいのことをされようが浮気をされようが、それでも亮介を責めることなんてできないくらい、何度謝っても足りないくらい、亮介を傷つけてきたのに。そんなこと、ちゃんとわかっていたはずなのに。
 亮介から笑顔を奪ったのは、亮介をここまで追いつめたのは、他の誰でもない、私だ。

「ごめん、亮介」

 ──菜摘の誕生日に告ろうって、ずっと前から決めてたんだ。

 亮介の気持ちが嬉しかった。亮介といたら心が穏やかになった。
 それが恋でもなんでもないことはわかっていた。弱っている時に優しくしてくれたから。どんなに鈍感な人でも気付くくらい、真っ直ぐに私を好きでいてくれたから。大ちゃんから逃げたかった私にとって、亮介の存在はちょうどよかった。

 ひとつだけ言い訳が許されるのなら、たとえ時間がかかっても、きっと亮介を好きになれると思った。新しい恋ができるのなら相手は亮介しかいないと、こんなにも私のことを好きになってくれたこの人であってほしいと、思った。
 だけど、どうしても、叶わなかった。

「ごめんね。……もう、一緒にいられない」

 ずっと、亮介の束縛が嫌だった。だけど私だって亮介を縛りつけていたのだ。
 亮介を失うのが怖かった。
 亮介と別れたら、私を一番に想ってくれる人がいなくなってしまう。そうしたら、大ちゃんから逃げる理由がなくなってしまう。またあんな思いをするくらいなら、嘘をつく方が何倍も容易いことだった。私はあまりにも身勝手な都合で優しい亮介を利用していた。

 亮介を解放してあげなければいけない。
 もっと早く、そうしなければいけなかった。

 ──好きになれなかったら……振ってくれていいから。

 いい加減、約束を果たさなければいけない。

「亮介、わかってるんだよね。最初からずっと、わかってたんだよね。私は──」

 亮介は私と同じだったんだ。私が亮介のことを見ようとしていなかったから、苦しくて仕方がなかったから、他の人に逃げたんだ。
 私を見てくれない大ちゃんから逃げた、私と同じ。

「好きな人がいる。亮介のこと……好きじゃなかった」

 なんて最低な台詞だろう。
 ずっとずっと、大ちゃんだけが好きだった。
 最初から最後まで、亮介のことは好きじゃなかった。
 私は結局、自分が一番大事だった。
 自分を守るためなら、平気で人を傷つけた。
 人を傷つけるのがどういうことなのか、私は全然わかっていなかった。

「ごめんね。……別れよう、亮介」

 どうして亮介じゃだめだったんだろう。
 どうして大ちゃんじゃなきゃだめなんだろう。
 それだけは今でもわからなかった。