公園の出入り口から走ってくる姿が見えたのは、電話を切ってからたったの数分後だった。

「菜摘!」

 来るの早すぎだよ。公園なんて、他にもたくさんあるのに。
 どうしてわかったんだろう。大ちゃんにとっても、この公園は特別なのだろうか。
 ここで私と過ごした日々のことを、まだ覚えてくれているのだろうか。

「大ちゃん……」

 涙を堪えきれなくなった私は、顔を背けずに、差し出された手を素直に握った。

「ひとりで泣いてたの?」

 私の前にしゃがんだ大ちゃんは、私の手をぎゅっと握った。

「泣き虫。もう大丈夫だから、泣かなくていいよ」

 大ちゃんは握った手をほどいて、両腕で私を丸ごと包み込んだ。
 絶対に人前で泣かないって、心に誓っているのに。
 どうして大ちゃんの前では我慢できないんだろう。

「寒かったろ」
「……うん」

 ほんの少し前まで手を繋ぐことさえためらっていたのに、私はなんの迷いもなく大ちゃんの背中に両手を回した。
 大ちゃんにこうして抱きしめてもらうの、いつ以来だろう。もう二度とこんな日は来ないと思っていた。あの頃とはなにもかもが違うのに、大ちゃんの腕の中だけは変わっていなかった。

 こんな気持ち、とっくに忘れていた。
 心から温まるような、世界一の幸せ者になれちゃうような、そんな気持ち。

「彼氏となんかあった?」

 私を抱きしめていた手を両肩に移動させて、しゃがんだまま顔を覗き込んだ。

「……なんにもないよ」
「俺に言えないようなこと?」

 大ちゃんは答えない私を見て、困ったようにこめかみをかいた。
 急に電話して、助けてなんて言って、こんなに急いで来てくれたのになにも言わないなんて、呆れられても怒られても仕方がない。私が逆の立場でもきっとイライラする。わかっているのに、ちゃんと説明しなければと思っているのに、どうしても言えなかった。

 私から手を離して立ち上がった大ちゃんを慌てて見上げる。この場から去ってしまうのかという不安は外れて、隣に座った大ちゃんはもう一度私を抱きしめた。

「泣かなくていいよ。いい子だから」

 まるで子供をあやすみたいな言い方。
 子供扱いされているのに、頭を撫でてくれる優しい手に安心した私は、ただただ泣き続けた。しゃくりあげながら泣いている私の背中を、大ちゃんはゆっくりと一定のリズムでさする。

「……ごめんなさい」
「いいよ。言えないくらいきついことがあったんだろ」

 違うよ。きついから言えないわけじゃない。
 嫌なの。
 大ちゃんの口から〝彼氏〟って聞くの、どうしても嫌なの。
 大ちゃんに〝彼氏〟の話をするのは、もっと嫌なの。そんな自分が、すごく嫌なの。
 彼氏に襲われたなんて、大ちゃんには絶対に言いたくないの。

 ──どうしても、大ちゃんが好きなの。

「鼻水つけんなよ」

 私が落ち着いてきた時、耳許で大ちゃんが言った。

「もうついてるかも」
「ふざけんな馬鹿」

 大ちゃんの胸に埋めていた顔を上げて、乱れた息を整えるために深呼吸をする。それに合わせるように、大ちゃんは私の背中をぽんぽんと二回撫でた。

「寒いね。送るから帰ろう」
「……いい。また帰り歩きになっちゃうよ」
「大丈夫だよ」
「でも」
「余計なこと考えんな」

 いつか同じ会話をしたことがある。
 大ちゃんは変わらないね。私は変わっちゃったよ。

「……うん。わかった」

 もう雪が降っているから、自転車でふたり乗りはできないけれど。
 いつかみたいに、手を繋いで、いろんな話をしながら、ふたりで歩きたい。
 あの頃に戻りたい。ただただ、純粋に大ちゃんが好きだったあの頃に。
 私、どんどん汚くなっていく。
 戻りたいよ。大ちゃん──。

「ほら、早く行かないとバスなくなるぞ」

 立ち上がった大ちゃんは、私に向けて手を伸ばした。

「うん。……大ちゃん」
「ん?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」

 私も手を伸ばして、大ちゃんの手に重ねた。
 あの日繋げなかったぶん、ぎゅっと握った。
 もうためらいなんてなかった。
 今あるのは、初めて手を繋いだ日と同じ気持ちだけ。
 大ちゃんが好き。それだけだった。