自分でも驚くほど、蚊の鳴くような声しか出なかった。心臓がドクンドクンと激しく波打って、少しでも刺激が加われば爆発してしまいそうだった。
なんとか声が届いたらしく、振り向いた彼は目を丸くした。
「えっと……ごめん、誰だっけ? なんで俺の名前……」
「あの、こないだ体験入学で……」
頭が真っ白で、うまく説明できない。声を出したいのに、喉が声を通さないようにきゅっと閉じているみたいだ。
彼はどぎまぎしている私をじっと見る。目を合わせていられず視線を落とすと、胸元の名札に『2F 山岸』と書いてあった。二年生だったんだ。
「ああ、思い出した! うまかった子だ! よく俺のこと覚えてたね」
女の子なんてたくさんいたのに、覚えていてくれた──。
破裂寸前だというのに、鼓動はさらに速まる一方だ。緊張で手が、体が震えてしまう。目は自覚せざるを得ないほど泳ぎまくっているし、また顔が真っ赤になっているかもしれない。
こんな自分は初めてだった。
「お……覚えててくれたんですか?」
「うん。だってほんとにうまかったし、ひとりだけめっちゃ茶髪だったし」
確かに、私以外はみんなちゃんと黒髪だった。
〝茶髪のうまかった子〟というイメージは微妙だけれど、それでもいい。
だってヤマギシが──山岸さんが、覚えていてくれた。
「第一志望、うちの高校?」
「あ、はいっ」
「そっか。誰でも入れるから安心していいよ」
大きな目を細らせてにっこりと微笑んだ。
笑うと少し幼くなって、可愛らしい顔がさらに可愛くなる。
「受験頑張ってね。じゃあ、またね」
山岸さんは手を振りながら、友達と一緒に奥の方へと歩いていった。
ほんの数分だったけど、山岸さんと話したんだよね……?
夢みたいな時間を終えて一気に緊張がほぐれた私は、大急ぎで近くに待機している伊織と隆志のもとへ走った。
「ねえどうしよう! 山岸さん私のこと覚えててくれたよ!」
「すごいじゃん、よかったね! で、連絡先訊いた?」
「あれ……忘れてた」
「意味ないじゃん」
伊織の言う通りだ。
せっかく会えたのに、これじゃなんの意味もない。一ミリたりとも進展していない。また会いたい会いたいと項垂れる日々が続くだけだ。だけどあまりにも緊張して、話すだけで精いっぱいだった。
「まあでも、よかったね。こんなにすぐ会えるなんて奇跡じゃん」
──奇跡、か。
「そうだよね……」
奇跡ってきっと一度だけ。なのに、あっさりと無駄にしてしまった。
だけど、山岸さんは〝またね〟と言ってくれた。なんの変哲もない、私自身も普段何気なく使っているだろうたったひと言が特別に感じてしまう。
〝また会えるよ〟って、言われたみたいだった。