体が痛くて力が入らなかった。
両腕を使ってなんとかソファーから上半身を起こすと、スタンドミラーに私が映っていた。
ぼさぼさの髪。乱れた服。足にぶらさがっている下着。
頭がぼうっとしているせいで、たった今なにが起こったのか、自分がどうしてこんな姿なのか、ちょっとよくわからなかった。
首を巡らせれば、今最も憎むべきその人は、何事もなかったかのように平然とスマホをいじっていた。
その姿をぼんやりと眺めてから、乱れたものを直していく。カーディガンを着て、上からコートを羽織る。
鞄を持って、部屋をあとにした。
等間隔に並んでいる街灯は、幅が広すぎて最低限の光しか与えてくれなかった。
途方に暮れるって、こういうことをいうのだろうか。
体が痛い。手首には、私を押さえつけていた亮介の手の感触がはっきりと残っている。
もしも友達にこんな話をされたら、私はきっと怒るだろう。
いくら彼氏でも、そんなの強姦だと。絶対に許してはいけない、別れた方がいい、と。
だけど私は、どうしても亮介を責めきれなかった。だって私は、今私が抱えている痛み以上に、きっと亮介を傷つけてきた。今日だって、亮介は勘付いていたのかもしれない。私の嘘じゃなく、亮介といてもずっと他のことばかり考えていた私に。
彼氏と過ごすと幸せそうに微笑む理緒を見て、思ってしまったのだ。
私も、もし大ちゃんと過ごせるなら、こんなに幸せそうに笑えるのだろうか、と。
「……あ」
通りかかったのはあの公園だった。
高校に入学してからは何度も通っているのに、なぜかひどく懐かしく感じた。公園は亮介の家から私の家までの途中にある。だから通りかかってもなんらおかしくない。
だけど、決して最短ルートではなかった。
足は自然と公園の中に向かっていた。雪で埋まっているベンチを通りこし、一番奥の屋根がついているベンチに腰かけた。ふたり並んで笑い合っていた日々が、遠い昔のことに思えた。
思い返すと無性に人恋しくなり、ポケットからスマホを出した。スマホってこんなに冷たかったっけ──。
メッセージの履歴を上から順番に見ていく。
理緒。今頃は彼氏と幸せな時間を過ごしている。
由貴、麻衣子。フリーの友達を集めて朝まで遊ぶって言っていたっけ。
伊織。せっかくのクリスマスに久しぶりに呼び出して、泣きつくのは嫌だ。
隆志。きっと高校に入ってからできた彼女といるだろう。
みんな楽しく過ごしているのに、こんな状態で割り込むわけにはいかない。場の空気をぶち壊してしまう。
私、誰もいないじゃん──。
寒さがそうさせるのか、そんな被害妄想を抱いてしまう。
履歴をさらに遡っていくと、ひとつの名前が目に入った。それだけで涙が滲んだ。
そうか、と思った。
私が探していたのは〝誰か〟じゃない。最初からこの名前を求めていたのだ。
楽しい時、嬉しい時、哀しい時、寂しい時、苦しい時。
いつだって、会いたいと思うのはたったひとりだけだった。
画面をタップして、メッセージの入力欄に親指を乗せた。だけどなんて打てばいいのかわからなくて、右上の受話器のマークをタップした。呼び出し音が鳴る。なかなか出ない。もしかしたら彼女と一緒にいるのかもしれない。
電話をかけてしまったことを後悔し、耳からスマホを離した時、
『もしもし、菜摘? どうした?』
声が聞こえた瞬間に死ぬほど安心して、嗚咽が込み上げた。
私、本当になにしてるんだろう。
逃げたかったはずなのに、結局自分ですがりついている。
私はどこまで馬鹿なんだろう。
今までしてきたことがなんの意味もないことに、今さら気付くなんて。
「……ごめん」
『ごめんってなんだよ。電話してくるの珍しくない? なんかあった?』
「……今どこ?」
『植木たちとカラオケだけど……どうしたんだよ。言ってみ』
そうなんだ。よかった。
彼女と一緒じゃなくて、よかった。
「……あのね」
「ん?」
「……助けて」
『は? え、今どこ?』
「公園……」
『すぐ行く。そこで待ってて』
一方的に切られて、え、と思わず声が漏れた。
まだ公園としか言っていないのに、場所がわかるのだろうか。公園なんかいくらでもあるし、最後にふたりでここに来たのは一年も前だ。それに、私にとっては思い出深い場所でも、大ちゃんにとってはきっとそうじゃない。
でも、どうしてだろう。なんの根拠もないのに、大ちゃんは来てくれると思った。
少しだけ温かくなった機械を強く握りしめながら、大ちゃんが来てくれるのを待っていた。