*

 決して平穏とは言えないまま、毎日が忙しなく過ぎていく。
 終業式の日はクリスマスだった。彼氏と過ごす予定らしい理緒は、HRが終わるとすぐさま帰る準備を始めた。幸せそうに微笑む理緒を、羨ましいと思った。

「菜摘は亮介と過ごすの?」

 チェックのマフラーを巻きながら理緒が言った。
 亮介との関係性が崩れて数か月が経った今も喧嘩が絶えない。嫉妬以外でも、亮介は私のちょっとした言動にひどく敏感だった。一緒にいて楽しいと思える時間の方がずっと少ないのに、それでも私は亮介と別れていない。もっとも、亮介は別れたがっているかもしれないけれど。

 こんな状態で付き合っていても楽しくないのは亮介だって同じはずだ。いい加減私に愛想を尽かしているかもしれない。少なくとも私を好きな気持ちは薄れているだろう。だから、別れを切り出されるのは時間の問題じゃないかと思うようになっていた。

「うん、まあ」

 とはいえ普通に過ごせる日もあるし、イベントの時は普通に約束をする。
 私は他に好きな人がいて、亮介は浮気疑惑があって、それのどこが〝普通〟なのか自分でも疑問に思うけれど。

 亮介の家でそれなりにクリスマスっぽく過ごし、二十時を回った頃に「そろそろ帰るね」と言った。

「泊まっていけば?」
「ごめん、なにも持ってきてないから今日は帰る」

 本当は、明日は朝から伊織や隆志をはじめ中学時代の友達と集まる約束をしているから帰りたかった。だけど正直に言えば、また男がどうのと問い詰められて面倒なことになる。
 喧嘩にうんざりしている私は、平気で嘘をつくようになっていた。

「なんで?」

 亮介の声が低くなる。この数か月間で何度も耳にした、怒っている時の声。
 反射的に身構えた私の腕を、亮介がぐっと掴んだ。

「え……だから、着替えとか持ってきてないし。てか、痛いよ。離して」
「いいだろそんなの。このまま泊まれよ」

 心臓が嫌な音を立てた。
 嫉妬以外で亮介が怒る時はいつも突然で、タイミングがまったく掴めない。それとも、私の嘘に勘付いているのだろうか。

「な?」

 わかった、今日は泊まるね、とでも言えば事が収まるのだろう。
 だけど、とても言えなかった。ただ、一刻も早くこの場から、亮介から離れたい。

「でも……」
「うるせえな!」

 力いっぱいに腕を引かれてソファーに叩きつけられた。
 視界が反転して、下にあったはずの亮介の顔が上になる。

「ちょっと黙ってろよ」

 表情なんてなかった。まるで物を見るような、そんな目。
 両腕を固定されたせいで身動きが取れない。首に這う舌の感覚が気持ち悪い。汚いとさえ思った。
 嫌だ。嫌だ──。

「やめてよ! 触んないで!」
「うるせえな! 俺のこと好きじゃねえのかよ!」
「なんでそうなるの!? こんなの嫌に決まって──」
「黙れって!」

 誰、これ。
 こんなの亮介じゃない。どんなに怒っていても怒鳴っていても、こんなことをする人じゃなかった。どれだけ抵抗しても亮介は止まらなかった。男の力に敵うわけがない、抵抗しても無駄だと悟った私は、体の力を抜いた。

 大丈夫。私たちは今、カップルなら当然する行為をしているだけ。
 そう自分に言い聞かせて、痛みも恐怖も涙も、心の悲鳴も、ひたすら堪えていた。

 どうしてこうなるんだろう。私はいったいなにをしているんだろう。なにがしたいんだろう。
 痛みに耐えながら、現実逃避をするようにそんなことを考えていた。