大ちゃんに言われてからずっと伸ばしていた、背中まである髪を。

「覚えててくれたの?」
「え?」
「長い方が似合いそうって、言ってくれたこと」

 あの時も今も、大ちゃんは何気なく言っただけかもしれない。なんのこと? と返される可能性の方がきっと高いのに、私の口は頭で考えるよりもわずかに早く声を出していた。
 勘違いだったら恥ずかしいとか、亮介への罪悪感とかよりも、遥かに大きな感情が私の中を埋め尽くしていた。

「え? ほんとに俺が言ったから伸ばしてたの?」

 こんなの、もうほとんど告白だった。それでも私は素直に頷いた。
 伸ばし始めたきっかけは大ちゃんのひと言だった。だから、大ちゃんのことを諦めようと決めた時、亮介と付き合い始めた時、髪も切ってしまおうかと思った。だけど、できなかった。
 いつか、こうして触れてくれる日が来るのを待っていたのかもしれない。

「似合う?」

 大ちゃんはいったいなにを考えているのだろう。自分の言葉がきっかけで私が髪を伸ばしていたことを、大ちゃんも少なからず嬉しいと思ってくれただろうか。

「似合うよ。思ってた通り」
「えへへ、ありがとう」

 私、髪伸びたよ。こんなに長くなったよ。頑張って伸ばしてるんだよ。前に派手な子はあまり得意じゃないって言ってたから、明るすぎない色にしてる。髪が綺麗って言ってくれたのが嬉しくて、傷まないように努力してる。もともとストレートの髪に、毎朝アイロンかけてるんだよ。
 私、頑張ってるんだよ。だからお願い。

 ──私を見てよ。

「やべ、もうすぐ二時間目始まるじゃん。行こ」
「あ、うん」

 再び歩き出した大ちゃんのあとを追う。
 地下歩道を出ると、一メートルほど前を歩いている大ちゃんは私に向けて左手を伸ばした。
 寒がりのくせに、大ちゃんは相変わらず薄着だ。学ランの中にシャツとカーディガンを着ているだけで、マフラーは巻いているもののやっぱりコートは羽織っていない。そんな薄着だから、大ちゃんの手は真っ赤だった。

 本能のままにぴくりと動いた私の右手は、大ちゃんの左手に重ねることのないまま拳を握っていた。
 私には亮介がいる。大ちゃんには彼女がいる。素直に手を取れるわけがなかった。
 手を繋ぎたいなんて──思っちゃいけなかった。

「ああ……そっか。彼氏いるんだっけ」

 ちらりと私を見た大ちゃんは下手くそに微笑んで、宙に浮いていた左手を学ランのポケットに入れた。

 出会ってからの一年間で、一番近くにいられたのはいつだったのだろう。
 初めて手を繋いだ日、私たちの距離はどれくらいだったのだろう。

 拳をほどいて、いつか私にくれたのと同じ紺色のマフラーをくいっと引いた。振り向いた大ちゃんは、不思議そうに私を見る。マフラーから手を離して学ランの袖を掴むと、大ちゃんはなにも言わずに微笑んで、また歩き出した。
 学校に着いて手を離すまで、ひと言も交わさなかった。

 声なんて出せなかった。全部全部、溢れてしまいそうだった。
 時折触れた大ちゃんの手は、とてもとても、冷たかった。