「おまえなに騒いでたの?」
校内を放浪でもしようと休み時間に廊下へ出ると、憂鬱になっている私にはちょっと眩しすぎる笑顔で迎えられた。金曜日の三時間目は、大ちゃんが選択授業で私の向かいの教室に来る日なのだ。
大ちゃんは、なぜか赤いキャップをかぶっていた。
「珍しいね、それ」
キャップを指さすと、大ちゃんは目線を上げてバイザーをつまんだ。
横にかぶっているところが絶妙に可愛い。
「ずっと前に友達から借りパクしたやつ。変?」
「せ」かい一かっこいいと言いかけて、「ううん。似合ってるよ」
「ありがと」
すると大ちゃんは、キャップを脱いでなぜか私の頭にかぶせた。メンズだからぶかぶかだ。
「あげる」
「え? 友達のじゃないの?」
「一年くらい俺が持ってたんだからもう俺のだよ」
ジャイアンか。
そんな理屈が通用するわけないし、ぶかぶかの赤いキャップなんて使い道がないし、ていうか私が泥棒みたいだ。
だけど私は、いらないと言えなかった。部屋の机の三段目の引き出しの中身が浮かんでしまったからだ。
紺色のマフラーと千歩譲ってブサ可愛い猫のキーホルダーが入っている、これ以上増えることはないと思っていた、大ちゃんボックスが。
「……私にあげたって言わないでね」
「言わないよ。なくしたとか適当に言っとく」
それもどうなんだと思いつつ、泥棒になってしまった私はキャップをぎゅっと握り締めた。
「で、なんで騒いでたの?」
忘れかけていた憂鬱が舞い戻る。
「ああ、リレーのアンカーになっちゃってさ……」
「まじ? すごいじゃん」
「全然すごくないよ……吐きそうだよ……」
「俺も出るよ。アンカーで」
「えっ? ほんと?」
「植木と駿も出るし」
植木くんと駿くんはまあ納得できるとして、大ちゃんはめちゃくちゃ意外だ。部活を見に行っていたから運動神経がいいことは知っている。だけど人一倍面倒くさがりで目立ちたがらない大ちゃんが、リレーのアンカーを引き受けるなんて。
そんなに速いのかな。ちょっと、いや、めちゃめちゃ見たい。
さぞかしかっこいいだろうなあ……。
「だから頑張ろうね。一位になったらご褒美あげる」
そんなこと言われたら、頑張らないわけにはいかない。
「約束ね」
小指を差し出されると、つい小指を絡めてしまう。
「うん。頑張るね」
大ちゃんはすごい。一瞬で私を元気にさせる。
大ちゃんを見送って教室に戻ろうとした時、
「今の誰? もしかして菜摘、あの人のこと好きなの?」
私を引き留めたのは亮介だった。急に腕を掴まれたから驚いてしまう。
いや、違う。『好きなの?』に反応してしまったのだ。
「……なんで?」
「なんとなく。顔が明るかったから。見たことなかったけどかっこいいね、あの人」
ちょっと……なんか嫌だ。こういうの。
「昔好きだった人だよ。今は友達」
私は大嘘つきだ。
もう好きじゃない宣言をして、諦める決心をしてから約一か月。私の目標はいまだ達成されていなかった。
「まじ?」
「ほんとだってば」
「よかった」
嘘をついたのは、亮介の気持ちに気付いているからだ。
初めて話した日から頻繁に連絡をくれるし、一日に一度は私の教室まで会いに来てくれる。大ちゃんのことがまだ好きなくせに、つかず離れずの曖昧な態度を取っている。そんなずるい私を知ってほしくなかった。
なのに、たとえ嘘でも、違うよ、とは言えなかった。