お願いだからそんな声を出さないでほしい。
「菜摘……」
名前、呼ばないでよ。
もう一度、今度は弱々しく腕を引かれた。それでも俯いたまま振り向かない私の腕を離さずに、横からそっと顔を覗き込んだ。
「なに泣いてんだよ」
涙を堪えることなんかできなかった。
今日ばかりは追いかけてこないでほしかった。
「泣いてるとこ、初めて見た」
見られたくなかった。
「泣かないで。お願いだから……」
私だって泣きたくなんかない。
「大ちゃん、嘘つきじゃん」
「……ごめん」
「謝るならなんであんなことするの!」
絡まれたならしょうがないねって、怪我しなくてよかったって、そんな風に言う余裕なんてなかった。
「約束したじゃん。もうしないって、ごめんねって言ったじゃん。嘘つき……」
言葉では責めていても、怒っているわけじゃなかった。私はただ哀しいのだ。
前回も今日も、喧嘩している大ちゃんを見た時に違和感があった。前はわからなかった違和感の正体に、さっき気付いてしまった。
大ちゃんは、反撃されてもまるで自分のことを守ろうとしていなかった。殴られる時、普通は反射的によけようとしたり防御したりする。けれど大ちゃんは、そのどちらかをする素振りがなかった。まるで暴力を受け入れているみたいだった。
大切な人が自分を守ろうとしない。そんな哀しいことがあるだろうか。
「嫌いになった?」
大ちゃんはずるい。
「お願いだから……」
その先を言わないでほしい。
聞いてしまったら、私はきっと拒めない。許すしかなくなってしまう。
「嫌いにならないで」
大ちゃんは、ずるい。
涙が止まらない。
「俺……菜摘にだけは嫌われたくない」
小さく鳴ったその声は、静かに降る雪にさえも負けてしまいそうだった。
「信じられるのは、菜摘だけだから」
なんてずるい人なんだろう。
なんで、こんなに好きなんだろう。
「大ちゃんは……ずるいよ」
追いかけてこなければ、その台詞を聞かなければ、嫌いになれたのだろうか。
なれるわけないんだ、絶対に。
腕をぐっと引かれて、私は抵抗することなく身を委ねた。大ちゃんは少し震えていた。
なんて寂しい人なんだろう。また、そう思った。
どうしてかはわからないのに、ただただ大ちゃんを寂しいと感じる。
やっぱり私はおかしいのだろうか。
こんな大ちゃんを見るたびに、綺麗だと思う。
「菜摘は俺のこと信じてくれる?」
「あと一回だけね」
「また約束破ったら?」
「そんなの知らないよ」
「今度こそ嫌いになる?」
いっそのこと、嫌いになれたら楽なのに。
「なれないよ。だからやめてね」
ゆっくりと体が離れ、顔を見合わせた。
大ちゃんはいつもの優しい笑顔じゃなく、ほっとしたように眉を下げていた。
きっと、何度嘘をつかれても、私は君を信じ続けてしまう。
そのたびに、私は君を、もっともっと好きになる。