警察が撤収していることを確認してから立体駐車場を出る。スマホを見ると由貴からメッセージが来ていた。由貴と植木くんも無事に逃げきったものの、まだ警察がうろついていて危険だから、今日はもう解散しようという内容だった。
 楽しく仕切り直せるような気分じゃない私は了承の返事をして、大ちゃんに「帰ろっか」と言った。

「送ってく」
「いいよ。怪我してるんだから、今日は真っ直ぐ帰ってゆっくり休みなよ」
「ここらへんおまえひとりじゃ危ないだろ。いろんな奴らがうろついてる時間帯だし」

 ついさっき派手に暴れて相手半殺しにしてたの誰?

「うん。ありがと」

 突っ込まずにお礼を言って、歩き出した大ちゃんを追った。
 心配してくれたことが、まだ一緒にいられることが、嬉しかった。

 カラオケの前にある自転車置き場には、当たり前だけど大ちゃんの自転車はなかった。私との待ち合わせ場所までタクシーで来たのだ。送ってくとか危ないだろとかかっこいいことを言ったくせに、すっかり忘れていたらしい(私も忘れてたけど)。

「どうするの?」
「二ケツすりゃいいじゃん」
「そうだけど。どこまで送ってくれるの? 公園?」
「家まで」
「え、いいよ、遠いもん。帰りどうするの? バス間に合わないよ」
「いいから。とりあえず送る。俺は男、菜摘は女」

 大ちゃんに腕を引かれて荷台に乗った。
 私のこと、女として見てくれてるんだ。

「お言葉に甘えます。ありがとう」
「素直でよろしい」

 大ちゃんがペダルを踏んで、自転車が発進する。
 若干の気まずさを隠しきれないままぎこちない口調で話しているうちに、徐々にふたりともいつもの調子を取り戻していった。公園を過ぎる頃には、さっきの出来事は夢だったんじゃないかと思ってしまうくらい、大ちゃんは普通だった。

「帰り、チャリ貸してあげようか?」
「いいよ。来週から修学旅行だし、返すの遅くなっちゃうから。通学困るだろ」

 大ちゃんは、私のことをどう思っているのだろう。

「そうなんだ。お土産よろしくね」

 好きだよって言ったら、なんて言う?

「は? 買わねえよ」

 俺もだよって言ってくれる?

「ひどっ。まあ楽しんでね」

 それとも、あっさり振られるのだろうか。

「ありがと。べつに楽しみじゃないけどね」
「なんで?」
「まあ、いろいろ」
「なにそれ」

 一歩踏み出せない理由は、なんとなくわかっていた。
 大ちゃんがあまり自分のことを話してくれないからだ。

 訊けばそれなりに答えてくれるものの、無意識なのかわざとなのか、どこかはぐらかすような、話すことをためらうような口ぶりになる時がある。分厚い壁を作られているみたいで、それ以上は踏み込めなくなってしまう。
 これだけ話をしても──いや、話をすればするほど、私はそう気付かざるを得なかった。

「ねえ、大ちゃん」
「ん?」

 大ちゃんの背中に額を当てる。
 男らしい、広い背中。甘い香り。心臓は落ち着いていた。

「ごめん。しつこいけど……もう喧嘩しないでね」
「したら嫌いになる?」

 住宅街の、車がぎりぎりすれ違えるくらいの細い道をしばらく走ると私の家が見えた。
 もうすぐ着いてしまう。
 お別れの時間が、来てしまう。

「なっちゃうかも」

 嫌いになんてなれるわけがない。
 もうそれくらい好きになってしまった。

「じゃあ、やめなきゃね」

 大ちゃんのことはよくわからない。ただ、漠然と感じていた。
 もしかしたら、とても弱くて寂しい人なのかもしれない、と。
 どうしてそう感じるのかは言葉にできないけれど、なんとなく、そんな気がした。

「菜摘、ちゃんと見張ってて。約束ね」

 見張っていられるくらいそばにいたい。
 もっともっと近付きたい。

「……うん。約束ね」

 この人はいったい私のことをどう思っているのだろう。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、好意を持ってくれているような気がするのは自惚れだろうか。

 大丈夫。焦ることはない。
 私たちは始まったばかりなのだから、時間はまだたっぷりあるはずだ。もっとたくさん話して、ゆっくりとお互いのことを知っていけばいい。そして、少しずつでいいから、私のことを好きになってほしい。

 いつかそういう日が来てくれることを願っていた。
 ──そういう日が来ると、思っていた。