生誕パーティーはビリーの早めの退出を、レナルドがカバー。エイダは探りを入れてくる狸一族と、当たり障りのない会話に終始している間に終わった。
 ミアはずっとエイダを睨んでいたが、最初の挨拶以降話しかけてくることはなかった。

「エイダ様、ご当主がお話をされたいとのことですが……」

 部屋で手記の内容を整理していたエイダは、訪れたビリーへの抗議の機会に即座に了承した。しかしラルゴに連れて行かれたのは、ビリーの私室。その上ビリーは寝台から出てこれてはいなかった。エイダの気勢は出鼻を挫かれた。

「エイダ嬢、わざわざ足を運んでもらって悪かったね」
「お加減がすぐれないのですか……?」

 そっと訊ねたエイダに、ビリーは小さく笑った。

「レナルドには手間と心配をかけてしまった……」

 明言を避けるビリーに、エイダは俯いて勧められた椅子に腰を下ろす。

「生誕パーティーではエイダ嬢を驚かせてしまったことだろう……」
「……せめて、事前に話してくだされば……」

 寝台にいるせいで強くも言えずもどかしかったが、文句を言わずには済ませられない。かなり控えめなエイダの抗議に、ビリーはすまなそうに眉を下げた。

「すまない。生い先短い年寄りの老婆心と笑ってくれていい。エイダ嬢に、断られるわけにはいかなかった。レナルドは賢いが、根が優しい子でね」
「ふふふっ……」

 思わず笑ったエイダに瞳を和ませたビリーは、ため息を吐き出すように続けた。

「もうわかっているとは思うが、ヘイヴンは一枚岩ではない。大きくなりすぎたのだろう。ヘイヴンの本分を忘れた、一部の狡猾な親戚連中に付け込まれないためにも、外部からの文句のつけようのない婚約者候補を披露したかった。クラソンの唯一の息女である君に誰も異は唱えられない」
「でも、あまりにも強引です。一時凌ぎのために瑕疵を作れば、より縁遠くなるかもしれない。そうなればそれを理由に縁続こうと干渉が増えるのは目に見えています……」

 エイダの言葉に頷いて見せて、困ったように苦笑を向けてきた。
 
「一時凌ぎのつもりはなかったのだが……レナルドは気に入らないかい?」
「……っ!! 何を……!」
「我が孫ながら見目も良く、なかなかの優良株だろう? もしや首都に約束を交わした相手がいたりするのかい?」
「そ、そんな人いません……! そうじゃなくて、レナルドの気持ちだって……」
「レナルドもエイダ嬢とは随分打ち解けて、ドレスを自分の色にすることに随分熱心だっただろう? あの子のあんな姿を見たことはない」
「それはミア嬢がいやで……」
「あの子はミアだけでなく、誰にでもああだよ。エイダ嬢が特別なんだ」
「そんなんじゃ……!」
「君は何年も私に手紙を送ってくれたね。文面から教養の深さと、真摯な熱意と切実さを汲み取れた。君の記事からは真剣に粘り強く、仕事に向き合っていると伝わってくるようだった。私はね、いつも君からの手紙を心待ちにしていたんだよ」

 にこりと笑みを浮かべたビリーに、エイダは拗ねたように視線を俯けた。
 
「……その割にはお返事は一度もくれなかったではないですか」
「ヘイヴン当主だからね、軽々しく返事はできなかった。それにソムヌスの森へ入れると、期待をもたせてしまうことになっただろう」
「…………」

 北部の覇者ヘイヴン一族。その一族の全ての権限を握る、ヘイヴン当主。公に姿をほとんど見せず、接触したくても正解の窓口さえ判然としない。他家門の権勢に左右されず独自の権勢を保ってこれたのは、一貫して孤高を貫き続けたからでもあった。
 おいそれと、ましてやクラソンに返事はできなかっただろう。クラソンは文化財と芸術が稼業の柱。歴史に関与しないヘイヴンとは、対照的な存在でもある。

「ヘイヴンの当主とは孤独なものだ。同じヘイヴンを名乗る一族さえ、完全に信頼することはできない。だからこそ可愛い孫には、せめて生涯の伴侶に望む相手を選べるようにしてやりたくてね」
「レナルドは誠実で優しいですから……きっと望む伴侶を得られます」

 レナルドが理想とする関係は、セスとレイラ。もうそれだけで資格は十分だろうから。最も得難いものをすでに持っている。あの二人のような関係を理想とする心。きっとレナルドは愛への手間を惜しまない。あとはその相手に出会いさえすれば、手に入れられるはずだ。淡く笑みを浮かべたエイダに、ビリーは嬉しそうに笑った。
 
「私は伴侶が君であればいいと思っている。聡明で勇敢な君なら、あの子のちょっと抜けたところを、その優秀さで助けてくれるだろう。文化財に深く関わり独占しているクラソン家の息女の君なら、共にヘイヴン家の本分を貫き余計な差し出口を黙らせられる」
「……私は……」
「無理強いはできない。でも少しだけでも考えてみてくれないか? この先の未来、大きな使命を背負って立たねばならないレナルドの、その妻として歴史に名を残す未来を。私ももう随分歳をとった……あの子をいつまで守ってやれるかわからない……」

 弱々しく落とされた声に、エイダは顔を上げ眉尻を下げた。弱って疲れたようなビリーの表情に、エイダは急速に体温が下がるのを感じた。

「そんな、こと……言わないでください……すぐに元気になりますから……だから……」
「私の体調不良もいつまで隠せるか……不安に思うあまり強引な手段になってしまって悪かったね……」
「大丈夫です。気にしてませんから……! だから……」
「そう言ってくれてよかった……私の老婆心で怒らせてしまったかと心配だったんだ。私はもう十分生きた。心残りはレナルドだけなんだ。だから怒っていないと言ってくれるなら、どうかレナルドと共に歩く未来を考えてみてくれないか?」
「わかりました。考えてみますから。だからお元気になることだけお考えください。レナルドにはまだご当主様が必要です……」
「ありがとう、エイダ嬢。手記ももう後半に差し掛かったと聞いた。それまでの間に考えてくれたらと思っている」
「……はい」
「返事を聞けて少し安心したよ。申し訳ないが私は休ませてもらおう。エイダ嬢、来てくれてありがとう」

 小さく微笑んで寝台に寄りかかるビリーは、初対面の時の飄々とした狸当主の姿よりずっと小さく疲れて見えた。エイダは横になるビリーに手を貸して、礼をとると部屋を後にした。

※※※※※
 
「レナルド……貴方、大丈夫なの……?」

 当主代理としてビリーの生誕パーティーから忙しそうだったレナルド。久しぶりに合わせた顔は、疲労が色濃く浮き出ていてエイダは思わず眉を顰めた。

「あぁ、今日で片付いたから問題ない……」

 手記を手渡しながら目頭を揉んだレナルドを、エイダはそっと覗き込む。

「後でもいいのよ。少し休んでからでも……」
「ありがとう。大丈夫。それより、お祖父様に呼ばれて話したらしいけど、エイダこそ問題はないか?」
「え、ええ……大丈夫……」
「なんだ? あんなに怒ってたのに、ずいぶん大人しいんだな?」

 シュッツの誓いの謂れとビリーの目論見に怒り狂っていたエイダが、やけにしおらしいことにレナルドは首を傾げた。

「そ、そうかしら……貴方はご当主様から何か言われた……?」
「いや、特には……忙しかったし」
「そう……」

 本当に何も言われてなさそうなレナルドの様子に、エイダは小さく俯いた。最初からレナルドの妻候補として、戦神の墓所を餌に釣り出されたエイダ。レナルドは知った時どう思ったのだろうか。生誕パーティーで言いかけた続きはなんだったのか。
 レナルドの答えを知りたい。けれど知ってしまったら何かが変わってしまいそうな気がして、知るのが怖くも感じる。複雑な気持ちで見上げたレナルドは、寝不足続きらしい充血した目をしょぼしょぼさせている。

「もう寝なさいよ」

 苦笑混じりで促したエイダに、レナルドはこくんと子供のように頷いた。
 
「ああ……悪いけどそうさせてもらう……何かあるなら手記の後に聞くよ……」

 お休みを言い合ってふらふらと部屋を出ていくレナルドを見送る。エイダはしばらく扉を見つめ、やがてため息をついてキリをつけると、ジャスパーの手記に向き合った。