和橋と言う大きな橋を渡る直前、空間に向かって声を掛けた。
「居る?」
応答は無い。
「どこほっつき歩いてんだよ」
自分だけに聞こえる音量の悪態は車の走行音に掻き消された。
車通りは多いが人通りは少ないこの場所なら出てきても大丈夫だと思ったが、居ないのなら仕方がない。
橋を渡り終えてから、右へ曲がる。凸凹のアスファルトで出来た緩やかな坂道を下り、目的地へ到着だ。
メロン公園。公園と言っても河川敷が駐車場、芝生、休憩所、砂場と整備されただけで、遊び場と言えば芝生の隅、木の下に設置された小さなシーソーと、先程言った円形の砂場のみである。あとは工夫を凝らして芝生で遊ぶ。
そしてメロン要素と言えば、休憩所の二つの小さなベンチとテーブルを覆う屋根が、メロンの上半分である事ぐらいだろう。
質素な公園ではあるが、その雰囲気が僕は好きだった。川もしっかりと望めるし、風も通るから居心地も良い。
メロンの下、テーブルに荷物を置き、川を向いてベンチに座る。航太を待つ間、こっそりと録音しておいた航太とのデュエットを聴いた。
「こんな変わるか」
音質は少々悪いが、聞こえてくる音にはやはり鳥肌が立つ。今まででは考えられない程美しい旋律は、自分のものでは無いようだった。
繰り返し何度も聴き、浮かび上がってくる荒削りな部分をスマホのメモ帳に書き連ねて行く。そして最後にあの時思い出した感覚を事細かに綴った。
『忘れるな
辞めるな
届けろ』
下の三行には自分自身を呪う言葉を。
十分程経ちスマホを閉じた所で、目の前に人が現れた。急に現れたそれに、「うわっ」と声を上げる。
「やっほー、待った?」
「めっちゃ待った。てかその出方辞めろよ」
「やってみたかったんだよな〜、幽霊っぽいじゃん? もう出来ないんだから許してっ」
困り眉で小さく手を合わせるその姿は、余程反省しているとは思えなかった。
黄味掛かった紺色の空の下、雑談を交わす。SNSで見つけた診断や部員の近況。一時間後には忘れていそうな使えない雑学など。その話題は多岐に渡った。
「あ、砂場になんか書こうよ。そんで写真撮ったらさ、航太が居た事の証明になるくない? え、ヤバい僕天才か?」
「流石に天才だわ。やろーぜ!」
自画自賛をした後、僕は芝生の隅に生えた木の下に落ちている細い木の枝を持って来た。一本しか無かった為、それを使い回す事にする。
「何書こう」
「最初は無難に名前じゃね?」
「りょーかい」
手で砂場の端を少し均し、僕は枝を滑らせた。
「いやフルネームかよ」
「そりゃそうでしょ」
「え、上手っ。もしかしてその道の人? プロ?」
「砂場字書き歴52年でやらせて貰ってます。どうも近松海斗です」
立ち上がり、出来上がった字を見下ろす。灰色の砂の中浮かび上がる『近松海斗』の文字。確かに中々上出来だ。
枝を航太に渡して、行く末を見守る。
「むずくね、これ。やっぱ海斗才能あるな」
「どっかで雇ってくんねーかな」
僕の名前の上に書かれた『杉森海斗』の文字は少々不格好だった。
灰色の中に並ぶ二つの名前をカメラに収める。文字が消える事は無く、しっかりと写真の中に写っていた。
「成功」
「やった〜。他にもなんか書くか」
「ちょっとエモい感じにしよ」
「エモいとは」
「僕もよく分かんない。センス」
航太の完成を待つ間、少し考える。
僕は今、傍から見たら一人で砂場遊びをするヤバいやつになっていると。道の向かい側には家が建ち並んでいる。もし窓から見られていたらどうしよう、と。
しかしそんな思考も「できた!!」と言う航太の声に掻き消された。今はどう見られても良い。残りの時間を楽しく過ごそう。そう結論付けた。
「おー! 良いじゃん!」
「だろ?」
先程の文字の右側に書かれていたのは、筆記体の『Kota』だ。先程よりも段違いに上手いそれを素直に褒めた。
「あ、俺の方が上手いな」
「るせぇ」
航太の文字の上に書いた『Kaito』は、かなり不格好だ。プロと言う肩書きは下ろさなくては。
また写真を撮った。やはりそこには今書いた文字が鮮明に写っていて、嬉しくなった。
それからはクマやネコなどの動物の他、楽器を沢山描いた。そのどれもが少々グロテスクな姿だったが、それも全て写真に残した。
それは砂場がよく分からないもので埋まりきるまで続けられたのだった。
「埋まっちゃったね」
「な〜。後で消すか」
「そーね。もうちょっと残しとこ」
枝を元の場所に戻してから、ベンチに座る。時刻は20:49。また思い出話に花を咲かせた。
十分程経ち、航太が言う。
「そう言えば、海斗って俺の葬式の時泣いてなかったよな?」
「何で知ってんの」
「初めての葬式だから見てた」
「あー、ね」
二度もあったら嫌だろ。そんな言葉を飲み込む。
あの時、確かに僕は泣いていなかったな。親族やクラスメイトが涙で顔を濡らす中、親友である筈の僕の頬だけが乾いていたな。
そうだ。その時に思ったんだ。僕は薄情な人間だと。本当にこれが親友と言う関係なのか、と。結局その程度にしか思っていなかったのかもしれないと。
寂しい筈なのに泣けない理由を、そう設定していた。あの時もまた洗脳をしていた。今はもう忘れていたが。
「あれからさ、泣いた?」
「泣いてないかもな」
「なーんだ。泣いてくれると思ったのにな〜」
彼は少し悲しそうな顔をした。
「何その言い方?」
「俺、海斗が泣いてるとこ一回も見た事無いなって思って。何でなん?」
そんな事を訊かれても、と少し困る。泣けない理由が分からないから、その時その時で理由を設定し洗脳していたんだから。
「あれじゃない? 受け入れが早すぎて涙が追い付かないんだと思う。結構マジだと思ってる」
「あっそ」
真面目を装って適当に取り繕った。そして自分から訊いた割に冷めた対応をする航太に少し恐怖する。
バレている。そう感じるのに時間は要らなかった。真っ直ぐとこちらを見つめる瞳に、心を見透かされているようで落ち着かない。
「嘘?」
「ついてない」
「本当に?」
「……ついた。嘘ついた」
これ以上抵抗しても無駄だと思い、素直に吐いた。そして本当の事を言う。
「本当の理由は分かんない。これはガチ。泣かないし、泣けないんだよね。余計な心配掛けたく無かったのかもしんない」
「そっか。俺が死んだ時はどう思ってた?」
「もう分からん。ごめん」
嘘をついた罪悪感と、流されて出た本音の不甲斐なさで潰されそうだ。
設定は思い出せても本命は思い出せない。どんなに記憶を辿っても、出てくるのは洗脳された思考のみだった。
「海斗はさ。強いの? 弱いの? どっちなの」
「多分、弱い」
「何でそう思ったの」
俯きつつ、小さく言葉を並べていく。
「泣けない理由を自分が納得出来る形に、良いように隠してたから。隠して、洗脳して、自分が良いように解釈した。それで泣けない理由にちゃんと向き合わなかった。だから、弱い」
「どう解釈した?」
「……薄情な人間だって。所詮その程度にしか思ってなかったんだって。そう解釈した。ほんとごめん」
何故か言葉がするりと出てくる。詰まっていた膿が吐き出されて行く。それと同時に積まれていくのは罪悪感だった。
震える手を握り締める。ドクドクと粘度の高い液体を排出する心臓。急激に酸素が薄くなった感覚に陥る。
「謝んな。俺は別れる前に知りたかっただけだから。海斗の心の中とか、思考を。今のままの海斗じゃ心配だったから……なぁ、もっと大事にしてくれよ」
彼の声はまた震えていた。彼が今どんな顔をしているのかは分からない。ただ、見たら何もかもが溢れてしまう。それだけは分かる。
「海斗は今、俺たちがその程度の関係だと思ってる?」
「思ってる訳ないじゃん。そんな事ある訳無い。……でも、お互いにこうやって本音を隠して嘘をつくのはもしかしたら、なんて思う時もある」
「それはお互いを守る為の嘘って事にしようぜ。俺が海斗に助けを求めなかったのは心配させたくなかったから」
同じ理由ようなで、少し安心する。
「今日何回も泣きそうになったでしょ。なんで堪えたの」
「僕も、心配させたくなかったから」
「だよな。その嘘はその程度の関係じゃないからつける嘘だと俺は思ってる」
その言葉に掬われた。
それにしても、まさかバレていたとは思わなかった。きっと彼は僕が思うよりずっと細かな変化に気付ける人間だ。
「もう一回思い出してみろ。俺が死んだ時、お前は何を思っていたのか」
その言葉に引っ張られて記憶を辿っていく。
洗脳と言うフィルターを取り払って見つけてみる。ほんの少ししか顔を出さなかった感情の粒を掬い取る。
♬
あの時僕は、航太がまだ生きていると心の隅で思っていたんだ。棺の中に居る彼は精巧な人形で、本物はまだどこかで笑っていると心のどこかで思っていた。
そうだ。航太の死だけは、すぐに受け入れられなかったんだ。作り話を見ているようだったんだ。
♬
目を背けたくなる現実から迫られる。こっちを見ろと。逃げるな、と。
これを言うのはきっと彼の勇気の選択を踏みにじるかもしれない。でもしっかりと見なくてはいけない。伝えなくてはいけない。
彼といれば最強なんだ。
彼がいれば最強なんだ。
彼が隣に居る今、僕は最強なのだ。
「僕はっ」
顔を上げ、真っ直ぐに航太の目を見た。
「僕はまだ、航太に生きててほしかった!」
驚いていた顔が、優しく変化した。次の言葉を促すように彼の口角が上がる。
「生きててほしかった。航太が死んだのだけは受け入れられなかった! 航太と居た時間が楽しくて、大切で、大好きだったから。それが無くなるのが受け入れられなかった。ただ一緒に居たかった。ただ一緒に居てほしかった」
嗚咽混じりのその言葉。荒削りのその言葉は届くだろうか。最後に添えた。
「ただ生きててほしかった」
視界が揺らぐ。鼻をすする。喉が詰まる。目を擦る。
何年かぶりのその感覚に、余計に涙が出た。
「そうだよな。やっぱそうだよな。ごめん。ごめんな、海斗」
「何でそんな早く行くんだよ! 何でもっと時間くれなかったんだよぉ!」
「ごめんなぁ」
航太も泣いていた。何度も謝っていた。
ただ泣き腫らす時間が過ぎる。鼻をすする音と、衣擦れの音だけが響いていた。
「なぁ海斗」
「何?」
涙の波が去った後、声が降りかかる。
「感情と記憶ってさ、一時のものなんだよ。時間が経ったら忘れる。だからこそ、その一時の感情を大切に扱ってほしいんだよ」
「大切にしろって?」
「そう。海斗の感情は海斗だけのもの。海斗だけの感情だ。もっと大切にしてやれ。んで、感情に素直になれ」
「分かった。ありがと」
心の中に暖かい何かが広がる。真綿のように柔いそれに、ただ包まれた。
彼の言葉に掬われ、救われた。何度も反芻するあの言葉と、表情は絶対に忘れない。今度は本当だ。忘れたくないんだ。
「海斗は何か無いの。訊きたい事とか知りたい事」
「無い」
「無いんだ」
「航太から開示された情報だけを摂取する主義だから。お前がこれから何も話さないんだったらそれで良い」
嘘をつく。本当は訊きたい事が山ほどあった。しかし、それに触れたらこの空気感のまま終われない事が何となく分かっていた。だから、互いを守る嘘をついた。
「え、もう21時半なんだけど」
「マジ!?」
「母さんに怒られるなこれ」
角を生やした鬼の顔が目に浮かぶ。
「そろそろお開きにするか?」
「そーしよ」
荷物を持ってベンチから降りた。辺りを見回して気付いた。
「あれ消してないじゃん!」
「消すかぁ……」
砂場には到底他人には見せられない色々が描かれている。それを二人で消しに行った。
「これが正真正銘最後のお別れか」
「そうだね。寂しくなるなぁ」
「俺もだよ」
橋の手前、向かい合って話をする。
「んじゃ、バイバイ」
「ん。じゃあな」
互いに手を振り合う。いつもはある筈の「またね」はもう無かった。
「あ、言い忘れた。……生きろ」
そう言い遺し、彼は消えた。
歩き出す。謎の浮遊感に包まれながら橋を渡る。途中、振り返って見たが、そこにはやはり何も無かった。
彼は夏夜に擬態した。
「居る?」
応答は無い。
「どこほっつき歩いてんだよ」
自分だけに聞こえる音量の悪態は車の走行音に掻き消された。
車通りは多いが人通りは少ないこの場所なら出てきても大丈夫だと思ったが、居ないのなら仕方がない。
橋を渡り終えてから、右へ曲がる。凸凹のアスファルトで出来た緩やかな坂道を下り、目的地へ到着だ。
メロン公園。公園と言っても河川敷が駐車場、芝生、休憩所、砂場と整備されただけで、遊び場と言えば芝生の隅、木の下に設置された小さなシーソーと、先程言った円形の砂場のみである。あとは工夫を凝らして芝生で遊ぶ。
そしてメロン要素と言えば、休憩所の二つの小さなベンチとテーブルを覆う屋根が、メロンの上半分である事ぐらいだろう。
質素な公園ではあるが、その雰囲気が僕は好きだった。川もしっかりと望めるし、風も通るから居心地も良い。
メロンの下、テーブルに荷物を置き、川を向いてベンチに座る。航太を待つ間、こっそりと録音しておいた航太とのデュエットを聴いた。
「こんな変わるか」
音質は少々悪いが、聞こえてくる音にはやはり鳥肌が立つ。今まででは考えられない程美しい旋律は、自分のものでは無いようだった。
繰り返し何度も聴き、浮かび上がってくる荒削りな部分をスマホのメモ帳に書き連ねて行く。そして最後にあの時思い出した感覚を事細かに綴った。
『忘れるな
辞めるな
届けろ』
下の三行には自分自身を呪う言葉を。
十分程経ちスマホを閉じた所で、目の前に人が現れた。急に現れたそれに、「うわっ」と声を上げる。
「やっほー、待った?」
「めっちゃ待った。てかその出方辞めろよ」
「やってみたかったんだよな〜、幽霊っぽいじゃん? もう出来ないんだから許してっ」
困り眉で小さく手を合わせるその姿は、余程反省しているとは思えなかった。
黄味掛かった紺色の空の下、雑談を交わす。SNSで見つけた診断や部員の近況。一時間後には忘れていそうな使えない雑学など。その話題は多岐に渡った。
「あ、砂場になんか書こうよ。そんで写真撮ったらさ、航太が居た事の証明になるくない? え、ヤバい僕天才か?」
「流石に天才だわ。やろーぜ!」
自画自賛をした後、僕は芝生の隅に生えた木の下に落ちている細い木の枝を持って来た。一本しか無かった為、それを使い回す事にする。
「何書こう」
「最初は無難に名前じゃね?」
「りょーかい」
手で砂場の端を少し均し、僕は枝を滑らせた。
「いやフルネームかよ」
「そりゃそうでしょ」
「え、上手っ。もしかしてその道の人? プロ?」
「砂場字書き歴52年でやらせて貰ってます。どうも近松海斗です」
立ち上がり、出来上がった字を見下ろす。灰色の砂の中浮かび上がる『近松海斗』の文字。確かに中々上出来だ。
枝を航太に渡して、行く末を見守る。
「むずくね、これ。やっぱ海斗才能あるな」
「どっかで雇ってくんねーかな」
僕の名前の上に書かれた『杉森海斗』の文字は少々不格好だった。
灰色の中に並ぶ二つの名前をカメラに収める。文字が消える事は無く、しっかりと写真の中に写っていた。
「成功」
「やった〜。他にもなんか書くか」
「ちょっとエモい感じにしよ」
「エモいとは」
「僕もよく分かんない。センス」
航太の完成を待つ間、少し考える。
僕は今、傍から見たら一人で砂場遊びをするヤバいやつになっていると。道の向かい側には家が建ち並んでいる。もし窓から見られていたらどうしよう、と。
しかしそんな思考も「できた!!」と言う航太の声に掻き消された。今はどう見られても良い。残りの時間を楽しく過ごそう。そう結論付けた。
「おー! 良いじゃん!」
「だろ?」
先程の文字の右側に書かれていたのは、筆記体の『Kota』だ。先程よりも段違いに上手いそれを素直に褒めた。
「あ、俺の方が上手いな」
「るせぇ」
航太の文字の上に書いた『Kaito』は、かなり不格好だ。プロと言う肩書きは下ろさなくては。
また写真を撮った。やはりそこには今書いた文字が鮮明に写っていて、嬉しくなった。
それからはクマやネコなどの動物の他、楽器を沢山描いた。そのどれもが少々グロテスクな姿だったが、それも全て写真に残した。
それは砂場がよく分からないもので埋まりきるまで続けられたのだった。
「埋まっちゃったね」
「な〜。後で消すか」
「そーね。もうちょっと残しとこ」
枝を元の場所に戻してから、ベンチに座る。時刻は20:49。また思い出話に花を咲かせた。
十分程経ち、航太が言う。
「そう言えば、海斗って俺の葬式の時泣いてなかったよな?」
「何で知ってんの」
「初めての葬式だから見てた」
「あー、ね」
二度もあったら嫌だろ。そんな言葉を飲み込む。
あの時、確かに僕は泣いていなかったな。親族やクラスメイトが涙で顔を濡らす中、親友である筈の僕の頬だけが乾いていたな。
そうだ。その時に思ったんだ。僕は薄情な人間だと。本当にこれが親友と言う関係なのか、と。結局その程度にしか思っていなかったのかもしれないと。
寂しい筈なのに泣けない理由を、そう設定していた。あの時もまた洗脳をしていた。今はもう忘れていたが。
「あれからさ、泣いた?」
「泣いてないかもな」
「なーんだ。泣いてくれると思ったのにな〜」
彼は少し悲しそうな顔をした。
「何その言い方?」
「俺、海斗が泣いてるとこ一回も見た事無いなって思って。何でなん?」
そんな事を訊かれても、と少し困る。泣けない理由が分からないから、その時その時で理由を設定し洗脳していたんだから。
「あれじゃない? 受け入れが早すぎて涙が追い付かないんだと思う。結構マジだと思ってる」
「あっそ」
真面目を装って適当に取り繕った。そして自分から訊いた割に冷めた対応をする航太に少し恐怖する。
バレている。そう感じるのに時間は要らなかった。真っ直ぐとこちらを見つめる瞳に、心を見透かされているようで落ち着かない。
「嘘?」
「ついてない」
「本当に?」
「……ついた。嘘ついた」
これ以上抵抗しても無駄だと思い、素直に吐いた。そして本当の事を言う。
「本当の理由は分かんない。これはガチ。泣かないし、泣けないんだよね。余計な心配掛けたく無かったのかもしんない」
「そっか。俺が死んだ時はどう思ってた?」
「もう分からん。ごめん」
嘘をついた罪悪感と、流されて出た本音の不甲斐なさで潰されそうだ。
設定は思い出せても本命は思い出せない。どんなに記憶を辿っても、出てくるのは洗脳された思考のみだった。
「海斗はさ。強いの? 弱いの? どっちなの」
「多分、弱い」
「何でそう思ったの」
俯きつつ、小さく言葉を並べていく。
「泣けない理由を自分が納得出来る形に、良いように隠してたから。隠して、洗脳して、自分が良いように解釈した。それで泣けない理由にちゃんと向き合わなかった。だから、弱い」
「どう解釈した?」
「……薄情な人間だって。所詮その程度にしか思ってなかったんだって。そう解釈した。ほんとごめん」
何故か言葉がするりと出てくる。詰まっていた膿が吐き出されて行く。それと同時に積まれていくのは罪悪感だった。
震える手を握り締める。ドクドクと粘度の高い液体を排出する心臓。急激に酸素が薄くなった感覚に陥る。
「謝んな。俺は別れる前に知りたかっただけだから。海斗の心の中とか、思考を。今のままの海斗じゃ心配だったから……なぁ、もっと大事にしてくれよ」
彼の声はまた震えていた。彼が今どんな顔をしているのかは分からない。ただ、見たら何もかもが溢れてしまう。それだけは分かる。
「海斗は今、俺たちがその程度の関係だと思ってる?」
「思ってる訳ないじゃん。そんな事ある訳無い。……でも、お互いにこうやって本音を隠して嘘をつくのはもしかしたら、なんて思う時もある」
「それはお互いを守る為の嘘って事にしようぜ。俺が海斗に助けを求めなかったのは心配させたくなかったから」
同じ理由ようなで、少し安心する。
「今日何回も泣きそうになったでしょ。なんで堪えたの」
「僕も、心配させたくなかったから」
「だよな。その嘘はその程度の関係じゃないからつける嘘だと俺は思ってる」
その言葉に掬われた。
それにしても、まさかバレていたとは思わなかった。きっと彼は僕が思うよりずっと細かな変化に気付ける人間だ。
「もう一回思い出してみろ。俺が死んだ時、お前は何を思っていたのか」
その言葉に引っ張られて記憶を辿っていく。
洗脳と言うフィルターを取り払って見つけてみる。ほんの少ししか顔を出さなかった感情の粒を掬い取る。
♬
あの時僕は、航太がまだ生きていると心の隅で思っていたんだ。棺の中に居る彼は精巧な人形で、本物はまだどこかで笑っていると心のどこかで思っていた。
そうだ。航太の死だけは、すぐに受け入れられなかったんだ。作り話を見ているようだったんだ。
♬
目を背けたくなる現実から迫られる。こっちを見ろと。逃げるな、と。
これを言うのはきっと彼の勇気の選択を踏みにじるかもしれない。でもしっかりと見なくてはいけない。伝えなくてはいけない。
彼といれば最強なんだ。
彼がいれば最強なんだ。
彼が隣に居る今、僕は最強なのだ。
「僕はっ」
顔を上げ、真っ直ぐに航太の目を見た。
「僕はまだ、航太に生きててほしかった!」
驚いていた顔が、優しく変化した。次の言葉を促すように彼の口角が上がる。
「生きててほしかった。航太が死んだのだけは受け入れられなかった! 航太と居た時間が楽しくて、大切で、大好きだったから。それが無くなるのが受け入れられなかった。ただ一緒に居たかった。ただ一緒に居てほしかった」
嗚咽混じりのその言葉。荒削りのその言葉は届くだろうか。最後に添えた。
「ただ生きててほしかった」
視界が揺らぐ。鼻をすする。喉が詰まる。目を擦る。
何年かぶりのその感覚に、余計に涙が出た。
「そうだよな。やっぱそうだよな。ごめん。ごめんな、海斗」
「何でそんな早く行くんだよ! 何でもっと時間くれなかったんだよぉ!」
「ごめんなぁ」
航太も泣いていた。何度も謝っていた。
ただ泣き腫らす時間が過ぎる。鼻をすする音と、衣擦れの音だけが響いていた。
「なぁ海斗」
「何?」
涙の波が去った後、声が降りかかる。
「感情と記憶ってさ、一時のものなんだよ。時間が経ったら忘れる。だからこそ、その一時の感情を大切に扱ってほしいんだよ」
「大切にしろって?」
「そう。海斗の感情は海斗だけのもの。海斗だけの感情だ。もっと大切にしてやれ。んで、感情に素直になれ」
「分かった。ありがと」
心の中に暖かい何かが広がる。真綿のように柔いそれに、ただ包まれた。
彼の言葉に掬われ、救われた。何度も反芻するあの言葉と、表情は絶対に忘れない。今度は本当だ。忘れたくないんだ。
「海斗は何か無いの。訊きたい事とか知りたい事」
「無い」
「無いんだ」
「航太から開示された情報だけを摂取する主義だから。お前がこれから何も話さないんだったらそれで良い」
嘘をつく。本当は訊きたい事が山ほどあった。しかし、それに触れたらこの空気感のまま終われない事が何となく分かっていた。だから、互いを守る嘘をついた。
「え、もう21時半なんだけど」
「マジ!?」
「母さんに怒られるなこれ」
角を生やした鬼の顔が目に浮かぶ。
「そろそろお開きにするか?」
「そーしよ」
荷物を持ってベンチから降りた。辺りを見回して気付いた。
「あれ消してないじゃん!」
「消すかぁ……」
砂場には到底他人には見せられない色々が描かれている。それを二人で消しに行った。
「これが正真正銘最後のお別れか」
「そうだね。寂しくなるなぁ」
「俺もだよ」
橋の手前、向かい合って話をする。
「んじゃ、バイバイ」
「ん。じゃあな」
互いに手を振り合う。いつもはある筈の「またね」はもう無かった。
「あ、言い忘れた。……生きろ」
そう言い遺し、彼は消えた。
歩き出す。謎の浮遊感に包まれながら橋を渡る。途中、振り返って見たが、そこにはやはり何も無かった。
彼は夏夜に擬態した。