そうだ。悪いようにしないつもりなら、話して連れて行けばいいのだ。無理矢理連れて行こうとしたと言うことは、希望にとって都合が悪いことだからだ。
「高斗!」
瞳はそう叫ぶと、がばりと頭を地につけた。
「頼む! 俺の子供が……」
「俺にはお前の子供より、希望のが大事なんだよ!」
言ってしまってはっとした。
瞳にとっては、希望より自分の子供のほうが大事なのだ。しかも、瞳の子供は命がかかっている。希望は殺されるわけではない。
「……悪い。今のは忘れてくれ」
高斗は呟いた。瞳は土下座をしたまま顔を上げない。
「あかりもお前の子供も、俺の家族だ。悪い」
瞳はゆっくりと顔を上げた。その顔は歪んでいた。
「俺にとっても、希望は家族になった人間だった。でも、本当に死んだり痛めつけられたりするわけじゃないんだ。わかってくれ。なんなら、お前も一緒に浅間研究都市に来たらいい」
「は?」
高斗は目を瞠った。
自分もついていっていいとは思わなかった。
瞳は顔を歪ませたまま続けた。
「お前にとってはかえって辛いことになるかもしれないが、希望の側にいることは叶えられる。俺が和哉に掛け合う」
「辛いことっていうのはなんだ?」
「希望には、これからたくさん子を生してもらう予定だ」
瞬間、自分の頬が引きつるのがわかった。
「誤解はしないで欲しい。体外受精だ。全て試験管で育てる。が、それは生殖機能がきちんと働くかを実験してからになる」
「……その相手が既に決まっているということか」
高斗は口を引き結んだ。瞳は頷いた。
「ああ。ネアンデルタール人の亜種の真紀だ」
***
「決心はついたの?」
穴の外から澄んだ声が聞こえる。
希望は顔を上げた。
「真紀……」
女将はそっと希望の前に控えた。希望は女将の肩に手をやり、首を横に振った。
「行くよ」
そう告げる。
真紀はひきつった顔を浮かべたあと「じゃ、おいで」と手を差し伸べた。
その手は取らず、希望は穴を出て行く。
「真紀。あなたあたしのこと嫌いでしょ」
一歩先を行く真紀に尋ねるというより断言すると、真紀は苦笑した。
「嫌いというか、嫌なだけだよ。ネアンデルタール人がね」
「どうして?」
真紀は振り返った。
「どうしてもこうしてもないよ。だって気味悪いでしょ。ホモ・サピエンスじゃないなんて」
「……それもそうだね」
希望は押し黙った。
きっと、高斗もそうだ。
高斗は自分が普通のホモ・サピエンスだと思っていたから好きになってくれただけで。
研究所に行っても高斗に会えるかな、とか夢見ていたのがバカみたい。
あたしなんかと会いたいわけがない。
希望はきゅっと唇を噛んだ。そうしないと涙がこぼれ落ちそうだったから。
「あとは、同族嫌悪」
真紀は前を向いたまま呟いた。
「同族?」
森の奥から鳥の鳴き声が聞こえた。それが急激に近づいてくる。
「そう」
「きゃッ」
その瞬間、真紀の手には子供の熊鷹が握られていた。苦しそうにびちびちと羽を動かしている。
「ほら、私も熊鷹に狙われやすいんだよ。こいつら、ネアンデルタール人の遺伝子を狙ってるから」
言いながら、真紀はそれを遠くに放り投げた。一旦地面に落ちたそれは、慌てたように空に飛び立っていった。
「ネアンデルタール人の遺伝子を組み換えられて強くなったから、同じ遺伝子の匂いがわかるんだろうね。そして、それを食らえばより強くなれると思っている」
希望は首を傾げた。
「真紀もあたしと同じなの?」
真紀は鼻で笑った。
「そんなにいくつも何万年も前の個体が生きてるわけないでしょ。私は元は普通のホモ・サピエンスだよ」
真紀は希望を睨んだ。そして、諦めたように笑った。
「希望が存在していたから、私は遺伝子組み換えでネアンデルタール人にされたんだよ。希望の番いになるために、ね」
***
「それは、俺じゃだめなのか……?」
高斗は瞳を見据えた。瞳はため息をついた。
「言うかな、とは思った。結論から言う。ダメだ」
高斗は食い下がった。
「なんでだよ。生殖機能が働くか、自然分娩が可能な個体かさえわかればいいんだろ?」
実験でも構わない。百歩譲って彼女と他の男との間の子供が誕生してもいい。希望個人は誰にも渡したくない。
「俺も最初はそう思った。皆で浅間に行って暮らせばいいじゃないかと。が、それならわざわざ真紀を遺伝子操作してまでネアンデルタール人にした意味がない」
「どういうことだ」
「現時点で考えられる最強の『人類』を自然分娩で生み出せるか、それがこの研究なんだ。緻密に管理された試験管の中でしか育たない人類は脆すぎる」
高斗は拳を握りしめた。瞳が高斗の目を見ながら言う。
「お前が浅間に一緒にくれば、希望と番いになることは叶わないが、希望とお前の子供を作ることは可能かも知れない」
「……試験管ベイビーでか」
瞳は頷いた。
「多分この実験は成功するだろう。実際真紀はホモ・サピエンスとの間に子供を作っている。そして、太古の昔、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していたという研究結果がある」
高斗は下を向いた。
「一緒に来るか?」
そう問われて、すぐに答えられるわけはなかった。
「考えさせてくれ」
***
「はじめまして、希望さん」
和哉がにこやかに笑いながら手を差しだした。希望は顔を引きつらせながら握手をした。
「聞き分けがよくて助かりましたよ。ご安心ください。先程は失礼をしましたが、研究所では何不自由ない生活が待っていますから」
自由もないんでしょう。
希望は笑顔を作ろうと思ったが無理だった。
近くでは何やら薬瓶のようなものを持った瞳が佇んでいた。
「俺も後から行く。あかりと一緒に」
希望は言おうか迷ったが、思い切って口を開いた。
「高斗は……?」
瞳は無表情のまま首を振った。
「わからない」
「そう……」
希望は和哉の車に乗り込んだ。
きっと高斗も自分がネアンデルタール人だということを知ったんだ。
きゅっと膝の上で手を握る。
きっと気持ち悪いって思ったんだ。
そっと窓の外を見る。
ごめんね。あたしみたいな気持ち悪い人類と恋人だったなんて。
あたしのことは忘れてね。あたしとしたことも、全部。
忘れてね。
***
「高斗、戻ったのか」
家に帰ると、瞳がソファで眠るあかりの頭を撫でているところだった。
「あかりは大丈夫なのか」
「ああ。薬を注射したからな。あと一時間ほどで目を覚ますさ」
「……良かったな」
その時だけは、本当に心の底から良かったと思えた。が、もうこれ以上二人を見ていられる自信はなかった。
高斗が居間を出て自分の部屋に戻ろうとすると、後ろから声がかかった。
「俺はあかりが目覚めたらすぐに荷物をまとめて浅間に向かう。こっちの研究所との引き継ぎは、昨日やっておいた」
「ああ」
振り返らないままそう答える。
「お前はどうする?」
その言葉には答えられなかった。
高斗は自室のベッドの上にごろんと横になった。
見たくない。
希望が他の男と一緒にいるところなど。
希望が幸せならそれで満足だ、などとはとても思えなかった。
汚い独占欲だ。
高斗は深呼吸をした。
じゃあ、忘れるのか?
このままここで別れて、もう一生会わずに。
二人、別々の道を歩んでいく。
お前はそれでいいのか?
「忘れられるわけねえだろ……」
高斗は枕に顔を埋めて呻いた。
いっそのこと、希望の命を奪ってしまいたい。
そこまで思ってがばりと起き上がった。
今、何を。
何を考えてしまったんだ、俺は。
心臓がどくどくと早鐘を打つ。
お前はそこまで汚い人間だったのか?
離れていても、希望が幸せならそれでいいと、なんでそう思えないんだ?
「くそっ」
高斗は枕を殴りつけた。
「高斗!」
瞳はそう叫ぶと、がばりと頭を地につけた。
「頼む! 俺の子供が……」
「俺にはお前の子供より、希望のが大事なんだよ!」
言ってしまってはっとした。
瞳にとっては、希望より自分の子供のほうが大事なのだ。しかも、瞳の子供は命がかかっている。希望は殺されるわけではない。
「……悪い。今のは忘れてくれ」
高斗は呟いた。瞳は土下座をしたまま顔を上げない。
「あかりもお前の子供も、俺の家族だ。悪い」
瞳はゆっくりと顔を上げた。その顔は歪んでいた。
「俺にとっても、希望は家族になった人間だった。でも、本当に死んだり痛めつけられたりするわけじゃないんだ。わかってくれ。なんなら、お前も一緒に浅間研究都市に来たらいい」
「は?」
高斗は目を瞠った。
自分もついていっていいとは思わなかった。
瞳は顔を歪ませたまま続けた。
「お前にとってはかえって辛いことになるかもしれないが、希望の側にいることは叶えられる。俺が和哉に掛け合う」
「辛いことっていうのはなんだ?」
「希望には、これからたくさん子を生してもらう予定だ」
瞬間、自分の頬が引きつるのがわかった。
「誤解はしないで欲しい。体外受精だ。全て試験管で育てる。が、それは生殖機能がきちんと働くかを実験してからになる」
「……その相手が既に決まっているということか」
高斗は口を引き結んだ。瞳は頷いた。
「ああ。ネアンデルタール人の亜種の真紀だ」
***
「決心はついたの?」
穴の外から澄んだ声が聞こえる。
希望は顔を上げた。
「真紀……」
女将はそっと希望の前に控えた。希望は女将の肩に手をやり、首を横に振った。
「行くよ」
そう告げる。
真紀はひきつった顔を浮かべたあと「じゃ、おいで」と手を差し伸べた。
その手は取らず、希望は穴を出て行く。
「真紀。あなたあたしのこと嫌いでしょ」
一歩先を行く真紀に尋ねるというより断言すると、真紀は苦笑した。
「嫌いというか、嫌なだけだよ。ネアンデルタール人がね」
「どうして?」
真紀は振り返った。
「どうしてもこうしてもないよ。だって気味悪いでしょ。ホモ・サピエンスじゃないなんて」
「……それもそうだね」
希望は押し黙った。
きっと、高斗もそうだ。
高斗は自分が普通のホモ・サピエンスだと思っていたから好きになってくれただけで。
研究所に行っても高斗に会えるかな、とか夢見ていたのがバカみたい。
あたしなんかと会いたいわけがない。
希望はきゅっと唇を噛んだ。そうしないと涙がこぼれ落ちそうだったから。
「あとは、同族嫌悪」
真紀は前を向いたまま呟いた。
「同族?」
森の奥から鳥の鳴き声が聞こえた。それが急激に近づいてくる。
「そう」
「きゃッ」
その瞬間、真紀の手には子供の熊鷹が握られていた。苦しそうにびちびちと羽を動かしている。
「ほら、私も熊鷹に狙われやすいんだよ。こいつら、ネアンデルタール人の遺伝子を狙ってるから」
言いながら、真紀はそれを遠くに放り投げた。一旦地面に落ちたそれは、慌てたように空に飛び立っていった。
「ネアンデルタール人の遺伝子を組み換えられて強くなったから、同じ遺伝子の匂いがわかるんだろうね。そして、それを食らえばより強くなれると思っている」
希望は首を傾げた。
「真紀もあたしと同じなの?」
真紀は鼻で笑った。
「そんなにいくつも何万年も前の個体が生きてるわけないでしょ。私は元は普通のホモ・サピエンスだよ」
真紀は希望を睨んだ。そして、諦めたように笑った。
「希望が存在していたから、私は遺伝子組み換えでネアンデルタール人にされたんだよ。希望の番いになるために、ね」
***
「それは、俺じゃだめなのか……?」
高斗は瞳を見据えた。瞳はため息をついた。
「言うかな、とは思った。結論から言う。ダメだ」
高斗は食い下がった。
「なんでだよ。生殖機能が働くか、自然分娩が可能な個体かさえわかればいいんだろ?」
実験でも構わない。百歩譲って彼女と他の男との間の子供が誕生してもいい。希望個人は誰にも渡したくない。
「俺も最初はそう思った。皆で浅間に行って暮らせばいいじゃないかと。が、それならわざわざ真紀を遺伝子操作してまでネアンデルタール人にした意味がない」
「どういうことだ」
「現時点で考えられる最強の『人類』を自然分娩で生み出せるか、それがこの研究なんだ。緻密に管理された試験管の中でしか育たない人類は脆すぎる」
高斗は拳を握りしめた。瞳が高斗の目を見ながら言う。
「お前が浅間に一緒にくれば、希望と番いになることは叶わないが、希望とお前の子供を作ることは可能かも知れない」
「……試験管ベイビーでか」
瞳は頷いた。
「多分この実験は成功するだろう。実際真紀はホモ・サピエンスとの間に子供を作っている。そして、太古の昔、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していたという研究結果がある」
高斗は下を向いた。
「一緒に来るか?」
そう問われて、すぐに答えられるわけはなかった。
「考えさせてくれ」
***
「はじめまして、希望さん」
和哉がにこやかに笑いながら手を差しだした。希望は顔を引きつらせながら握手をした。
「聞き分けがよくて助かりましたよ。ご安心ください。先程は失礼をしましたが、研究所では何不自由ない生活が待っていますから」
自由もないんでしょう。
希望は笑顔を作ろうと思ったが無理だった。
近くでは何やら薬瓶のようなものを持った瞳が佇んでいた。
「俺も後から行く。あかりと一緒に」
希望は言おうか迷ったが、思い切って口を開いた。
「高斗は……?」
瞳は無表情のまま首を振った。
「わからない」
「そう……」
希望は和哉の車に乗り込んだ。
きっと高斗も自分がネアンデルタール人だということを知ったんだ。
きゅっと膝の上で手を握る。
きっと気持ち悪いって思ったんだ。
そっと窓の外を見る。
ごめんね。あたしみたいな気持ち悪い人類と恋人だったなんて。
あたしのことは忘れてね。あたしとしたことも、全部。
忘れてね。
***
「高斗、戻ったのか」
家に帰ると、瞳がソファで眠るあかりの頭を撫でているところだった。
「あかりは大丈夫なのか」
「ああ。薬を注射したからな。あと一時間ほどで目を覚ますさ」
「……良かったな」
その時だけは、本当に心の底から良かったと思えた。が、もうこれ以上二人を見ていられる自信はなかった。
高斗が居間を出て自分の部屋に戻ろうとすると、後ろから声がかかった。
「俺はあかりが目覚めたらすぐに荷物をまとめて浅間に向かう。こっちの研究所との引き継ぎは、昨日やっておいた」
「ああ」
振り返らないままそう答える。
「お前はどうする?」
その言葉には答えられなかった。
高斗は自室のベッドの上にごろんと横になった。
見たくない。
希望が他の男と一緒にいるところなど。
希望が幸せならそれで満足だ、などとはとても思えなかった。
汚い独占欲だ。
高斗は深呼吸をした。
じゃあ、忘れるのか?
このままここで別れて、もう一生会わずに。
二人、別々の道を歩んでいく。
お前はそれでいいのか?
「忘れられるわけねえだろ……」
高斗は枕に顔を埋めて呻いた。
いっそのこと、希望の命を奪ってしまいたい。
そこまで思ってがばりと起き上がった。
今、何を。
何を考えてしまったんだ、俺は。
心臓がどくどくと早鐘を打つ。
お前はそこまで汚い人間だったのか?
離れていても、希望が幸せならそれでいいと、なんでそう思えないんだ?
「くそっ」
高斗は枕を殴りつけた。