それからというもの、橘は宿題の他に度々何かあると報告に来たり、ちょっとした相談のようなものをしてくるようになった。
 そんな奴の様子から、俺の事を先生だと言ったのは俺の答えを信用しているという意味なのかなと受け取り、信じて貰えるならば答えたいと、下手な返事をして間違えないよう以前よりも気をつける様になった。なんというか、丁寧に扱いたい相手になったというか。
 だって橘は、俺が思っていたよりずっと真面目に物事を考えている奴なのだから。それを知っている今、誠実に対応するべきだと、その時々の橘の言葉に耳を傾ける。特に親しい訳でも、いつも一緒にいる訳でもない橘の存在は着実に俺の中で大きな物となっていった。


「結城君。オレさ、なんか毎日に飽きてきたというか、そろそろ次のステージに進みたいなと思い始めている」
「? つまり?」
「バイトを始めようと思う」

「な? 良くない?」と、ニコニコして橘は俺の返事を待っていて、特に否定する事もないので、「良いと思う」と頷くと、一層嬉しそうに笑った。

「実はもう決めてんだ、ここ」
「居酒屋じゃん。大変そう」
「でもなんかガヤガヤしてて楽しそうじゃね? コンビニはもっとキツそうだし、動き回れる方が性に合ってるし」

 まあ、確かに。橘の性格的に考えればそうかもしれない。

「結城君も暇じゃん? やろーよ」
「いや俺は映画鑑賞の趣味あるんで」
「ここぞとそれ出すのやめろー」

 そう言ってケラケラ笑いながら自分の席に戻って行った橘と後日話した時にはもう居酒屋でのアルバイトは始まっていて、思い立ったら即行動な所がすごくあいつらしかった。
 しかもどうやらそのバイトがとても楽しいらしく、始めてから今日まで橘は随分とご機嫌な様子である。

「オレ今、すっごい意味のある毎日を生きてるって感じがする」

 キラキラと目を輝かせ、恥ずかしげもなく真っ直ぐに気持ちを告げる橘は眩しかった。奴の言う意味のある毎日。それがどんなものなのか、どんな意味をもっているのか俺には分からなかったけれど、ずっと探し求めていた何かがそこにあったのだろうという事だけは奴を見ていて俺にも分かった。

「これも結城君が言ってくれたおかげだ」
「え、俺?」
「結城君にあの時言われなかったらオレ、今頃つまんねー毎日のままだったと思う。自分の明日は自分で作る! みたいなメンタルで今はやらせてもらってます」

 「それが無駄な昨日を変える今って事だよな!」と、爽やかなのに力強い笑顔で橘は俺に言う。それはまるで青春を具現化したような笑顔だった。

 さて、そう言われた俺はというと、あまりの出来事にあっけに取られてしまったというか、あまりの眩しさに目が眩んでしまったというか、怯んでその場を動けなくなり、立ち尽くす事になってしまったというか……なんというか、なんだか橘が随分遠くへ行ってしまったような気持ちになってしまった。

「……俺のおかげなんかじゃないよ。これは橘が自分で見つけた答えだよ」

 そこには素直に喜ばしい気持ちと、少しの羨ましさがある。結果、では俺の毎日はどうだろうと考えさせられるきっかけとなった。