顧問の三島は功一を贔屓していた。三島はいい年をした大人だし、俺も優等生の部類なので、俺に辛く当たったりはしない。無視されていたわけではないし、気まぐれに持ってくる差し入れのお菓子は両方にくれた。しかし、いつも先に声をかけるのは功一からだったし、差し入れも必ず功一に先に渡していた。
 あからさまに俺を下げることは無かったが、発言の随所に功一の方が格上というニュアンスがあった。新部長を決めるとき、当たり前のように功一が部長になる前提で話をしていた。
「新入生もきっと尊敬できる先輩が部長の方が入部してくれるから」
 オブラートに包みきれない三島の本音に逆らうつもりもなかったので、部長は功一に決まった。部長の名義は書類上だけのもので、雑務は結局俺がやっていた。なお新入部員は入らず、ずっと二人で活動していた。三島に口利きを頼んだり、友達の帰宅部員に名前だけ借りたりして同好会降格は免れた。
 無意識レベルの贔屓について俺自身はそこまで気にしていなかった。むしろ功一の方が三島を嫌っていた。
「ああいう人って大嫌い。失礼だし性格悪いし」
 理由は明言しなかったが、俺の代わりに怒ってくれているのは分かった。俺の絵は三島に理解されなくても功一が理解してくれればそれで良かった。
 三島がどんな失礼な発言をしようと、利用価値があるのは事実だった。夏休みには毎年海に合宿に行っていたが、その際に車を出して引率してくれていた。泊まったのは三島の古い友人だという夫婦で経営している民宿・久保荘だった。その繋がりのおかげで、わずか三人というごく少人数で民宿を貸し切りに出来たし、費用負担も少なかったことには感謝している。海から近く、広い庭があり、とても居心地のいい宿だった。
 海の青さに俺は息をのんだ。十九世紀のサント=マリーのような綺麗な海がまだ日本にも残っているのだと感動した。海にはヨットを楽しんでいる人がいた。ゴッホがサント=マリーの海を描いたように、俺達は海の絵を描いた。