持参したシャベルで黙々と二人で一つの穴を掘る。昨日のことを思い返していると、ものの数分で充分な大きさの穴が砂浜で口を開けた。俺達はおそるおそるボストンバッグのファスナーを同時に開けた。

 俺のバッグにはもはや原型の残っていない『同志』の残骸が、そして功一のバッグには切り裂かれた『友』の残骸が入っていた。
 俺はあの後、夜の美術室で初めて書いた絵をナイフで切り裂いた。世界に否定された青春をこの手で終わらせるために。
 功一は自分の手首の代わりに、賞を取った絵をカッターで切り裂いた。許されない夢を自らの手で終わらせるために。
「もったいねえ。賞とか関係なく、それ、好きだったのに」
「志月こそ、破るくらいなら僕にくれればよかったのに。僕もその絵が1番好きだったのに」
 俺達は我が子を慈しむように丁寧に取り出して、穴の中に安置した。俺達の原点だった何かを作品を我が子だというのなら、自分の子供を殺した俺達は死刑囚だ。
「殺したのは一枚だけ?」
「ああ」
「じゃあ、僕らの子供は殺さないでくれたんだ」
「よせよ、気色悪い」
 功一は昔から語彙のチョイスが根本的におかしい。よくこの国語力で国立の医学部に合格したものだと感心する。しかし、言葉で表現しきれないものを絵で表現しているからこそ功一は天才なのかもしれない。口だけは達者だった俺とは対照的だ。
 功一の言い方はどうかしているが、あの絵だけは傷つけられないのは確かだ。そんな発想すらなかった。友情そのものと言えるあの絵に刃を突き立てるくらいなら、俺は自分の脳天に銃口を押し当てて、躊躇無く銃弾を撃つ。
「志月、本当にやめちゃうの?」
「ああ、終わりだよ。功一こそ、どうなんだよ」
「うん、僕ももう二度と描けないよ」
「功一も、画材とか作品捨てられたのか?」
「昨日東京の姉ちゃんの家に大体全部宅配便で送った。話し合いこじれたら捨てられそうだったし。話し合いにすらならなかったけど。もし勘当されて行くとこなくなったら東京の姉ちゃんとこにでも転がり込もうかと思ったけど、流石に迷惑だよね。姉ちゃんには姉ちゃんの生活があるしさ」
 東京の姉の家に避難さえすれば、功一は絵を続けられるかもしれない。それは俺にとってかすかな希望だった。
「なら、お前は描けよ。俺の分まで」
「断琴の交わりって知ってる?」
 昔の中国の故事成語を持ち出した。誤解を受けるようなことを人前で口走らないかひやひやさせる口下手のくせに、難解な言葉をちゃっかり知っている。
「親友が死んだから、琴をやめた名人の話だろ。俺、生きてるんですけど」
「画家としての君が死んでしまったから」
 切なげに言うと、功一は跪いてスコップでは無く手で穴に砂を落としていく。
「あの絵を画家としての志月の遺影にするくらいなら、青春は僕の手で殺すべきなんだよ」
「俺も、あれをもう二度と戻らない悲しい絵にするくらいなら俺の手で殺すのが正解だと思った」
 俺もスコップを投げ捨てて手で同じように、青春の残骸の上に砂を積もらせてゆく。何も見えなくなるほどきっちり埋めた後、丁寧に地面をならした。我が子を埋葬した俺達は、せめてもの懺悔に砂にまみれた手を合わせて黙祷した。

 波が引いていく音だけが響く。朝には干潮になるだろう。沈黙を破るように功一が言った。
「夢のお墓に、向日葵でも供えられればよかったんだけどね」
「向日葵どころか、花一つないな。でもさ」
 おあつらえ向きに、少し離れたところに流木があった。ほどよい太さと長さの枝を見繕って二本折る。少し湿ってはいるが、そこそこ強度はある。長い方を功一に渡した。
「せっかく砂浜は校庭よりも広いんだ。最後に描こうぜ、向日葵」
「やっぱり、志月は最高だよ」
 そう言って笑うと、功一は花も冬眠するほどの寒さの中、靴を脱ぎ捨てて裸足になった。俺も靴を投げ捨てた。三回転した靴は、天気占いでいう晴れの向きで止まった。
 砂浜になんとなく当たりをつけて、構図を決めていく。夏にはあんなに時間が掛かったのに、今は嘘のように息が合う。余計な足跡が着かないように慎重に、かつ大胆に向日葵を描き始める。
 太陽に向かって咲く向日葵の力強い輪郭を、日差しをその身に浴びて光合成する葉の1枚1枚を、葉脈によってめぐる命を一心に描いていく。二人の描く線は時に交わりながら、時に併走しながら、夜の砂浜に俺達の心にある世界観を描き出す。水平線から太陽が顔を出し始めた頃、ついに絵は完成した。

「完成だ。題して」
 俺が『最後の向日葵』と言う前に少し間を開けると、功一が競うように言った。
「『最後の向日葵』」
 驚いた俺を見て、功一が不安そうに眉尻を下げた。
「あれ? 嫌だった?」
「いや、まったく同じこと考えてた」
 思わず笑ってしまった。

 すぐにでもこの地上絵の全景を見たくて、裸足のまま競うように階段を駆け上がった。二日連続で徹夜して、二十四時間歩き続けてそんな体力なんてどこにも残っていないはずなのに、突き動かされるように足が動いた。走りながら、功一が問いかける。
「向日葵の花言葉って知ってる?」
「当然。「憧れ」だろ」
 俺はずっと功一に憧れていた。
「へえ、そういうのもあるんだ」
「違うのか?」
「花言葉って基本的に諸説あるんだよ。僕が知ってるのは「君だけを見つめてる」だよ。すごく僕達らしいって思わない?たとえば、明日目が見えなくなったとしても、僕は記憶の中でずっと志月の絵を見つめ続けるんだ」
「俺も、ずっとそうするよ」

 俺の返事と同時に、俺達は最後の一段を上りきった。ゆっくりと絵を見下ろす。昇ってきた太陽が、俺たちの絵を照らした。砂浜に描いた大輪の向日葵たちはまるで生きているかのようだ。それはもはや墓標では無かった。俺達のすべてを体現した壮大な地上絵だった。
 思いがこみ上げて、頬を涙が伝った。溢れて止まらなかった。ただ、自信を持って言える。俺は、この絵を描くために生まれてきたんだと。
「綺麗だね」
「ああ、今までで一番うまく描けた気がするよ」
 俺たちはこの絵を記録するすべを持たない。満潮になれば絵の一部は消え、いつか風がこの絵を掻き消すだろう。あるいは、ヨット乗りやサーファーの誰かに踏み荒らされて、この絵はいずれ跡形もなく消える。それでも、この絵を一生忘れない。