そこまで功一が話したところで、ついに俺達は夏合宿で訪れた海岸に辿り着いた。夕日が沈み、暗くなったので浜辺に人は一人もいなかった。よかった、誰にも見られずに死体を埋められる。今回の発端はつい昨日のことなのに、遠い記憶のように感じる。
昨日、父と口論をした俺は、あのまま家にいると父を殴り殺してしまいそうだったので頭を冷やそうと外に出ようとした。
「どこへ行くんだ」
「学校だよ。先生に報告して、美術室の作品回収してくる。まだ残ってんだよ。卒業式の日に両腕に荷物抱えて帰るなんて計画性無くてみっともないだろ」
呼び止める父も、周囲からの印象を引き合いに出せばあっさり外出を許可した。
美術室には三島がいた。
「布施! 結果は? 瀬尾は一緒じゃ無いのか? さっき確認したが瀬尾は受かったみたいなんだが、親御さんは説得できなかったなあ」
俺は首を横に振った。三島はインターネットで合格発表を既に見ていた。そして、興味のある功一の番号だけを確認していた。
「気を落とすなよ。美大に行けなくても、絵は描けるからな。三年間お疲れ様。大学はどこかの法学部に行くのか?」
「はい。一応、私大には受かっていて。後期国立もA判定なので」
「そうか。大学でも頑張れよ。その前に、明日の卒業式は気持ちを切り替えていこう。親御さんに晴れ姿、見せてやるんだぞ」
三島が俺をねぎらった。三島は決して俺が嫌いなわけではない。軽率な発言も多いが、功一を特別視しているだけなのだ。
「そうですね。仕事休んで来るって言ってました」
「よかったな、いい親御さんじゃないか!」
空気が重くならないように、わざと明るい声で三島は言った。このあとは職員会議があるようだ。美術室を去る前に、三島はぼそっと呟いた。
「親御さんの理解があるのが、瀬尾の方だったら良かったのになあ」
三島がドアを閉めた後、俺は椅子を蹴り飛ばした。三島の無神経に、俺のフラストレーションは最高潮に達していた。ふざけるな。理解のある親は子供の私物を捨てたりしない。青春全部否定したりしない。第一、それが傷心の高校生の前で言うことかよ。荷物を回収する前に、ぐちゃぐちゃな気持ちを落ち着けようと校則違反のスマホを見たところ新規の通知が二件来ていた。
「もういやだ しにたい」
「ごめんなさい」
一時間前に二通のラインを功一から受信していた。メッセージの間には2分の間隔があった。天真爛漫な功一からの初めてのSOS。ただ事では無いと瞬時に理解し、慌てて電話をかけた。弱々しい声が俺を呼んだ。
「志月……」
「悪い! スマホ見てなかった! どうした? また殴られた? 今からそっち行こうか?」
「何でも無いよ」
「何でも無いわけあるかよ! 嘘ならもっとマシな嘘つけよ!」
平静を装いきれないくせに強がる功一を俺は怒鳴った。長い沈黙が流れ、心配になり何度か呼びかけたが、「待って、今言う」と返事するというやり取りを数回繰り返して、ようやく答えた。
「父さんが辞退の電話した、って」
そう言うなり、堰を切ったように電話の向こうから大泣きしている声が聞こえた。三年間で功一が泣いていることころは見たことが無かった。
「三島先生から聞いたんだって」
「あの野郎……信じらんねえ。てか、あのクソ教師マジ余計なことしかしねえな。マジでろくな大人がいねえ。待ってろ、今行くから」
「いい、本来これ、志月に言うことじゃないし」
しゃくりあげながら功一が俺を止める。俺は功一の真意が分かってしまった。進学できなかったとはいえ、功一は受かった。俺は落ちた。勝者が敗者に弱音を吐くのは筋違い。それでも、どうしようもなく辛いときに功一が縋れるのは俺だけだった。ラインで助けを求めたが、すぐに俺に言うべきことではないと思い直して謝った。
顧問の三島からの比較、有識者からの評価。劣等感を感じたことがないといえば嘘になる。それでも、1番俺の絵を好きでいてくれるのは功一なのだ。功一がもっと嫌なヤツだったら良かったのに。いっそ俺のことを見下してくれれば嫌いになれるのに。それでも、功一が俺の絵を好きでいてくれて嬉しかった。
「お前に同情されるほど落ちぶれてねえよ! 昔から距離感おかしかったくせにこんな時だけ変な気使うなバカ!」
「ごめん。僕、失礼なこと言ったかも。でも今、父さん怒ってるし、本当に来ない方がいいよ。あと、家庭の事情を余所様にさらすなんてってまた殴られそうだし。代わりに、もう少しだけ通話繋いでてもいい?」
「うん、俺でよければ何でも聞くから」
「死にたいって言っても怒らないでくれる?」
しゃくりあげながら功一が言う。
「怒らないけど、死ぬなよ」
「死なないよ。カッターで手首切って、お風呂に付けて死のうと思ったんだけどさ、怖くなってやめちゃった」
全身から血の気が引く。思いとどまってくれて心底安心した。
「やめてくれてよかった。ごめん遅くなって。ほんと、生きててくれてよかった」
「やっぱり志月は優しいね。ありがと」
しばらく泣いた後、功一は俺の様子を気遣った。俺の声のトーンが、合格発表後別れる前よりも辛そうだったという理由だった。こいつエスパーかよ、と苦笑した。
「俺さ、絵描くのやめるわ」
作品と画材を捨てられたことと親からの暴言と絵を描くことの禁止令、三島の失言で俺は憔悴していた。
「やってらんないよな。こんな世界、ぶっ壊れちまえばいいのに」
電話を切った後、俺は作品を回収せず、学校を飛び出してその足でホームセンターに行き、ナイフを買った。
自由登校期間にも下校時刻はある。下校時刻を過ぎた夜の学校の美術室に忍び込んだ。そして……。
昨日、父と口論をした俺は、あのまま家にいると父を殴り殺してしまいそうだったので頭を冷やそうと外に出ようとした。
「どこへ行くんだ」
「学校だよ。先生に報告して、美術室の作品回収してくる。まだ残ってんだよ。卒業式の日に両腕に荷物抱えて帰るなんて計画性無くてみっともないだろ」
呼び止める父も、周囲からの印象を引き合いに出せばあっさり外出を許可した。
美術室には三島がいた。
「布施! 結果は? 瀬尾は一緒じゃ無いのか? さっき確認したが瀬尾は受かったみたいなんだが、親御さんは説得できなかったなあ」
俺は首を横に振った。三島はインターネットで合格発表を既に見ていた。そして、興味のある功一の番号だけを確認していた。
「気を落とすなよ。美大に行けなくても、絵は描けるからな。三年間お疲れ様。大学はどこかの法学部に行くのか?」
「はい。一応、私大には受かっていて。後期国立もA判定なので」
「そうか。大学でも頑張れよ。その前に、明日の卒業式は気持ちを切り替えていこう。親御さんに晴れ姿、見せてやるんだぞ」
三島が俺をねぎらった。三島は決して俺が嫌いなわけではない。軽率な発言も多いが、功一を特別視しているだけなのだ。
「そうですね。仕事休んで来るって言ってました」
「よかったな、いい親御さんじゃないか!」
空気が重くならないように、わざと明るい声で三島は言った。このあとは職員会議があるようだ。美術室を去る前に、三島はぼそっと呟いた。
「親御さんの理解があるのが、瀬尾の方だったら良かったのになあ」
三島がドアを閉めた後、俺は椅子を蹴り飛ばした。三島の無神経に、俺のフラストレーションは最高潮に達していた。ふざけるな。理解のある親は子供の私物を捨てたりしない。青春全部否定したりしない。第一、それが傷心の高校生の前で言うことかよ。荷物を回収する前に、ぐちゃぐちゃな気持ちを落ち着けようと校則違反のスマホを見たところ新規の通知が二件来ていた。
「もういやだ しにたい」
「ごめんなさい」
一時間前に二通のラインを功一から受信していた。メッセージの間には2分の間隔があった。天真爛漫な功一からの初めてのSOS。ただ事では無いと瞬時に理解し、慌てて電話をかけた。弱々しい声が俺を呼んだ。
「志月……」
「悪い! スマホ見てなかった! どうした? また殴られた? 今からそっち行こうか?」
「何でも無いよ」
「何でも無いわけあるかよ! 嘘ならもっとマシな嘘つけよ!」
平静を装いきれないくせに強がる功一を俺は怒鳴った。長い沈黙が流れ、心配になり何度か呼びかけたが、「待って、今言う」と返事するというやり取りを数回繰り返して、ようやく答えた。
「父さんが辞退の電話した、って」
そう言うなり、堰を切ったように電話の向こうから大泣きしている声が聞こえた。三年間で功一が泣いていることころは見たことが無かった。
「三島先生から聞いたんだって」
「あの野郎……信じらんねえ。てか、あのクソ教師マジ余計なことしかしねえな。マジでろくな大人がいねえ。待ってろ、今行くから」
「いい、本来これ、志月に言うことじゃないし」
しゃくりあげながら功一が俺を止める。俺は功一の真意が分かってしまった。進学できなかったとはいえ、功一は受かった。俺は落ちた。勝者が敗者に弱音を吐くのは筋違い。それでも、どうしようもなく辛いときに功一が縋れるのは俺だけだった。ラインで助けを求めたが、すぐに俺に言うべきことではないと思い直して謝った。
顧問の三島からの比較、有識者からの評価。劣等感を感じたことがないといえば嘘になる。それでも、1番俺の絵を好きでいてくれるのは功一なのだ。功一がもっと嫌なヤツだったら良かったのに。いっそ俺のことを見下してくれれば嫌いになれるのに。それでも、功一が俺の絵を好きでいてくれて嬉しかった。
「お前に同情されるほど落ちぶれてねえよ! 昔から距離感おかしかったくせにこんな時だけ変な気使うなバカ!」
「ごめん。僕、失礼なこと言ったかも。でも今、父さん怒ってるし、本当に来ない方がいいよ。あと、家庭の事情を余所様にさらすなんてってまた殴られそうだし。代わりに、もう少しだけ通話繋いでてもいい?」
「うん、俺でよければ何でも聞くから」
「死にたいって言っても怒らないでくれる?」
しゃくりあげながら功一が言う。
「怒らないけど、死ぬなよ」
「死なないよ。カッターで手首切って、お風呂に付けて死のうと思ったんだけどさ、怖くなってやめちゃった」
全身から血の気が引く。思いとどまってくれて心底安心した。
「やめてくれてよかった。ごめん遅くなって。ほんと、生きててくれてよかった」
「やっぱり志月は優しいね。ありがと」
しばらく泣いた後、功一は俺の様子を気遣った。俺の声のトーンが、合格発表後別れる前よりも辛そうだったという理由だった。こいつエスパーかよ、と苦笑した。
「俺さ、絵描くのやめるわ」
作品と画材を捨てられたことと親からの暴言と絵を描くことの禁止令、三島の失言で俺は憔悴していた。
「やってらんないよな。こんな世界、ぶっ壊れちまえばいいのに」
電話を切った後、俺は作品を回収せず、学校を飛び出してその足でホームセンターに行き、ナイフを買った。
自由登校期間にも下校時刻はある。下校時刻を過ぎた夜の学校の美術室に忍び込んだ。そして……。