「浩一。またぼーっとしてる。もうみんな揃ったんだから。電車に乗らないと置いていっちゃうよ」

 掛けられた声に思わず意識を取り戻す。
 さきほどまでいた駅のホームのままだった。いつの間にか電車は到着していてようで、他のみんなの姿も見える。

 ほんの少し時間は流れたのかもしれないけれど、特に何が変わった訳ではない。

 でも僕の心の中は思い切り冷え込んでいて。まとわりついてくる夏の空気が、なぜか肌寒さすら覚えさせた。
 思わず両手で僕は身体を抱え込む。まだ現実と幻の区別がついていなかった。

 僕の頭の中は真っ白に染まっていて、何も考えられないでいた。

 今の映像は何なんだよ。そんな未来があるはずがない。あるはずがないだろ。僕が殺すのか。麗奈(れな)を。僕が。あり得ない。あり得るはずないだろ。声には出せない叫びをもらすと、思わず自分の手を見つめていた。

 その手はいつも通りの手だ。血で濡れていたりはしない。それもそうだ。僕が麗奈を刺すだなんて事があるはずはない。だったら今見えた風景はどういう事なんだよ。頭の中で知らない誰かに訊ねかけるが、答えはどこからも戻ってこない。

 未来を変えなければいけない。そのために前へと向かうはずだった。しかし垣間見えた未来は、僕にしてみれば絶対におとずれてはいけない未来だ。

 どうすれば避けられる。どうすればいいんだ。自問自答を繰り返すものの、答えは出ない。未来は避けようとしても絶対に訪れる。だからこそ自分から飛び込んでやろうと決めたはずだった。

 でも見えたあまりの未来に僕の心はくじけそうになる。ここでひるがえせば未来を変えられるんじゃないかと僕の心は揺れてしまう。

「帰る」

 思わずぼそりと告げると、そのままホーム上を歩きだそうとする。しかしその瞬間に強い力で引っ張られていた。

「浩一、何いってるのよ。なんでここまできてそんな事いうの。自分勝手にもほどがあるってものでしょう。みんな浩一が来るの楽しみにしていたんだから、いい加減にしてちょうだい」

 麗奈が怒りすらにじませた声を漏らしながら、僕の手を引いていた。

 その瞬間に僕の胸の中に小さな痛みが走る。

 今から帰宅する事が、皆にどれだけの迷惑をかけるのかなんて事は理解していた。本当は僕だってそんな事はしたくはなかった。それでもいま去ればこの未来は訪れないんじゃないかと僕の心を揺らしていた。

 だけどそうすれば未来を避けられる訳ではない事は知っていた。むしろ今まで避けようとした時ほど、その未来は残酷に襲いかかってきていた。

 そうだ。ここで帰る事は逆にその未来を近づける事になる。だから僕は未来に立ち向かわなければいけないんだ。目をぎゅっとつむる。

 同時に発車ベルが鳴り響いていた。

「ほら。浩一、もう時間ない。はやくはやく」

 麗奈が強引に僕の腕をつかんで電車の中へと駆け込んでいた。僕はそれに抗う事は出来ずに、うなだれるようにして電車のドアをくぐった。

 電車に乗ってしまった。おとずれてはいけない未来へ近づいてしまった。だけどあの場から去ったとしても、未来は必ずやってくる。ならどうすれば良かったんだろう。僕はどうすればいい。僕の胸は不安で埋め尽くされていくかのように思えた。

 今まで見えた未来に家族の姿が映った事はなかった。ましてや自分の姿が映った事などあるはずもなかった。浩一の未来視の中で見えた相手は別れを告げる事になる。その別れは時にはこの世からの別れであった時もあった。だとしたら麗奈と、そして自分ともさよならを告げる事になる。

 友達であれば引っ越しや転校かもしれない。しかし家族である麗奈と別れるとなれば、その別れは死である可能性が高い。ましてや自分自身との別れというのは、それ以外には思いつかない。

 麗奈が、僕が死ぬのか。この旅行で別れを告げる事になるのか。いやそうとは限らない。僕が麗奈を刺すなんて事はありえない。僕自身の姿が見えるのであれば、自分の意思で介入出来るはずだ。だから変えられる。未来を絶対に変えるんだ。

 不安に思う心を何とか抑えつけながら、僕は未来を思う。

 変える。変えるんだ。絶対に変えてやるんだ。僕は未来を変えるんだ。
 なかば自分に言い聞かせるようにして、胸を抑える。大きく息を吸って、少しずつ心を落ち着かせていく。

 皆でいく伊豆への旅行は、僕だって楽しみにしていた。未来を変えてやろうという意気込みもあったけれど、見知らぬ少女との別れは僕にとって悲しくもないはずだ。

 もしかしたら彼女は一人命を失ってしまうのかもしれない。でも所詮は他人だ。割り切って考える事が出来る。

 でも麗奈であれば話は別だ。ときどき邪魔に感じる事がないとは言わない。でもやっぱり僕にとってのたった一人の妹だ。麗奈との別れは絶対に許容出来ない。

 迫ってきている未来に、でも今の僕には何も出来ない。

 窓の外を見つめる。青く澄んだ空と大きな白い雲が、どこまでも嘘のように広がっていて、まるでこの先に訪れるはずの痛みなんてないはずだと告げているように思えた。

 この旅行を楽しもう。そしてその中で未来を変えるんだ。
 僕の想いが届いたのか、外の雲は少しずつ姿を変えていく。
 変わりゆく雲の姿に何となく未来は変えられる。そんな気がしていた。

「浩一、ぼさっとしてないでこっちに座ったらどうだ。まさか伊豆まで立っているつもりじゃないだろう」

 矢上(やがみ)の声にうなずくと、素直に座席についた。あまりいつまでも仏頂面のままいる訳にはいかない。僕には未来を変えるという別の目的があるとはいっても、皆にとってはただの仲間うちでの旅行に過ぎない。それを台無しにするような事は避けたいとも思う。

 それだけになるべく皆の前では普通にしていようと、いま見えた未来の事は頭の中から追いだしておこう。