ある貴族専属の騎士団の、補助騎士に向けて行われる訓練に参加して早五日。夕方までみっちり体を酷使し、汗まみれで帰宅した俺は、玄関扉を開けて肩を落とした。
「何で毎日いるんだ、クソババア……」
唾液の分泌を誘う匂いが、自宅の中には充満していた。
調剤師のばあさんが、燃え盛る炉の前で、鉄鍋の中身を睨んでいる。ルイも、ばあさんの二の腕にに掴まりながら、同じように覗き込んでいた。その背中に近付いて、「ただいま」と声を掛けると、余程集中していたのか、ルイは勢いよく振り返って、体勢を崩した。
「あっぶな」
咄嗟に腰に手を回す。支えてやりながら、香ばしい匂いの立つ浅い鍋を見ると、豚肉の塩漬けがいい塩梅に焼けていた。
「へぇっへっへっへ」
ばあさんがこれ見よがしに憎たらしい笑い声を上げる。まるで「計画通り」とでも言うように。
手慣れた様子で、木べらで肉をひっくり返す。また、じゅうじゅうと耳からも涎が垂れてくるような音が鳴った。
見れば、テーブルの上にも深い鍋が置かれており、その中は琥珀色のスープで満たされていた。ゴロゴロと沢山の野菜が浮いている。
「何、今日も誰かの誕生日?」
「そんな訳あるかい」
ばあさんが馬鹿にしたように半目で見てくる。俺の腕の中にいるルイは、俺とばあさんに交互に視線を寄こして不安そうにしていた。
「毎日豪勢じゃねえ?」
「こんな骨みたいな子預かってんだ。ちゃんとしたもん食わせないと死んじまうよ」
「俺だってそれくらい考えて……」
「あんたみたいな金なしに何が出来るってんだい」
返す言葉もなく、代わりに舌打ちをして目の前の椅子を引く。ルイに座るよう促すと、テーブルの上に出したままの木製の椀に、スープを盛った。
「ババアも食べていくんだろ?」
肉を大皿に移したばあさんが「あたしは家で食べるよ」と言う。キッチンナイフで、こんがり焼けた肉を小分けにし、テーブルの真ん中に置いたのを目聡く見つけて手を伸ばすと、年季の入った手で叩き落とされた。
「こんな油っぽいもん食べたら胃が悪くなっちまう」
「んだよ、勝手に作っておいて作り逃げかよ」
「感謝しやがれクソガキ。あんたそれより、それ食ったら風呂屋に行くんだよ。きったねえ」
ばあさんはルイの顔を覗き込んで、「ねえ?」と微小を零し、同意を誘う。
「汚く、ないよ」
ルイが俺を見上げると、首輪から繋がっている鎖が重い音を立てた。
「ルイ、あんたはその間あたしの家で体を清めるといい」
ばあさんが目尻の濃い皺を益々濃くするので、俺は溜息をついた。
ルイが家に来たことをどこからか聞きつけたばあさんは、真夜中にも関わらず押しかけてきて、目をこするルイを自宅兼薬局に連れて帰った。暫くして戻って来た時、ルイの肌と髪は艶を取り戻し、無数の傷には清潔な布があてがわれていた。
「こんな傷放っておいたら感染症にかかるよ。清潔にして、薬を塗らないと」
それから毎日、俺が留守にしている間、ルイの世話を焼きに来るようになった。栄養のある飯を食わせ、何冊かの本を見せながら字を教えているようだった。
「ババア、俺に恩でも売るつもりか?」
顔を顰めて見せると、ばあさんはまた魔女のように気味の悪い笑みを浮かべ、「売ったら返してくれんのか?え?」と脅すように顔を近付けてきた。
「ほら、冷めないうちに食いな」
納得いかないまま、ルイの向かいの席に着く。
ばあさんは汚れた鉄鍋を手に、電管扉へ向かった。ルイがすかさず立ち上がり、「おばあさん」と呼びかける。
「ありが、とう」
肺の底から絞り出したような声を、俺も、多分ばあさんも、版画を刷るように脳に刻んでいた。そうか、俺が抱いているこれは、ジジババが孫に向ける情に近いのかもしれない。幼い言動を見守り、愛でるような、多分そういうやつだ。
ばあさんもまんざらではないような様子で片手を上げて部屋を出て行った。
「いただきます」
ルイが行儀よく言う、覚えたての言葉。
ルイは言語は同じだが、言葉を多く知らないようだった。字も読めない。食べものの名も、人間らしい生活習慣も、知らない。どういう環境で、どうやって生きてきたのかを聞いても、顔を伏せて黙ってしまう。
スープを口に含むと、胃が温まり、体中に吸いつくような味がした。
「お前、それ食べねえの?」
ルイは一向に肉に手を付けない。昨晩もそうだった。
ルイは眉尻を下げてその皿を見つめる。フォークを持ちもしない。
「いいよ、別に。俺に頂戴」
手の伸ばすと、ルイがおずおずと皿を差し出してくる。
「ごめん、ね」
「いいって」
何か理由があるんだろう。ただの好みという線もあるし。
大抵俺の方が先に飯を平らげ、ルイの食事の様子を観察するという時間に入る。ルイはフォークやスプーンの使い方も下手なので、テーブルや顔をよく汚す。それでも、リスが頬袋にものを突っ込むように食べる姿は見ていて愉快だ。飽きない、こんなに禁欲的な生活をしているのに。
そうだ、俺はルイが来てから女と遊んでいない。つまり抜いていない。そう、射精していない。もう一週間にもなる。いつか金玉とチンコが爆発してしまうかもしれないとさえ感じ始めている。
何年かぶりの訓練で毎日悩まされる疲れマラ。隣で寝ているルイを起こさぬようにと我慢すればする程ムラムラする悪循環。
風呂屋で女ひっかけるかあ。
「あの……」
チンコの心配ばかりしていたら声を掛けられ、頬杖の上に乗っけていた顎がずり落ちた。
「美味しい、ですね」
え、チンコが?
ルイの赤い唇が弧を描く様を見ながら、俺は心が痛んだ。
今、チンコのことを考えるのは間違っている。
反省した。ルイは何も知らずにジャガイモを汁の中から手掴みで口に運んでいる。
口の端から垂れる液体を舐める舌を見て、チンコの先が上を向きそうになるのを、太腿をくっつけて収めた。もう既にチンコが痛い。チンコ。チンコ。チンコ。頭の中に棒が一本立っている。
結局風呂屋で女と仲良くなることは躊躇われ、やめた。
代わりに、隣で湯を浴びていた線の細いニーチャンが慰めてくれた。
真っ暗な部屋に帰ると、既にルイは寝息を立てていて、それがあまりに静かなものだから、思わずふっくらとした唇に耳を近付けた。
ルイの隣に体を横たえる。寝具が沈み、ルイの鎖が傾く。
湯と酒で温まった体に、ルイの冷えた二の腕があたって心地いい。
騎士団の訓練は今日で最後だった。ばあさんに頼んでいた薬も、予定通りならば調合を終えた頃だろう。ロメリアは真面目に訓練に励む俺のところに来ては、「早く聖女様を探しに行け」と急きたてる。明後日にはここを立つ。そのことを、ルイにもばあさんにも明日伝える。
準備は着々と整っていた。
大自然の中でチンコをしごく覚悟が俺にはあるだろうか。
雲の中を漂うように、意識はゆっくりと離れていった。
「何で毎日いるんだ、クソババア……」
唾液の分泌を誘う匂いが、自宅の中には充満していた。
調剤師のばあさんが、燃え盛る炉の前で、鉄鍋の中身を睨んでいる。ルイも、ばあさんの二の腕にに掴まりながら、同じように覗き込んでいた。その背中に近付いて、「ただいま」と声を掛けると、余程集中していたのか、ルイは勢いよく振り返って、体勢を崩した。
「あっぶな」
咄嗟に腰に手を回す。支えてやりながら、香ばしい匂いの立つ浅い鍋を見ると、豚肉の塩漬けがいい塩梅に焼けていた。
「へぇっへっへっへ」
ばあさんがこれ見よがしに憎たらしい笑い声を上げる。まるで「計画通り」とでも言うように。
手慣れた様子で、木べらで肉をひっくり返す。また、じゅうじゅうと耳からも涎が垂れてくるような音が鳴った。
見れば、テーブルの上にも深い鍋が置かれており、その中は琥珀色のスープで満たされていた。ゴロゴロと沢山の野菜が浮いている。
「何、今日も誰かの誕生日?」
「そんな訳あるかい」
ばあさんが馬鹿にしたように半目で見てくる。俺の腕の中にいるルイは、俺とばあさんに交互に視線を寄こして不安そうにしていた。
「毎日豪勢じゃねえ?」
「こんな骨みたいな子預かってんだ。ちゃんとしたもん食わせないと死んじまうよ」
「俺だってそれくらい考えて……」
「あんたみたいな金なしに何が出来るってんだい」
返す言葉もなく、代わりに舌打ちをして目の前の椅子を引く。ルイに座るよう促すと、テーブルの上に出したままの木製の椀に、スープを盛った。
「ババアも食べていくんだろ?」
肉を大皿に移したばあさんが「あたしは家で食べるよ」と言う。キッチンナイフで、こんがり焼けた肉を小分けにし、テーブルの真ん中に置いたのを目聡く見つけて手を伸ばすと、年季の入った手で叩き落とされた。
「こんな油っぽいもん食べたら胃が悪くなっちまう」
「んだよ、勝手に作っておいて作り逃げかよ」
「感謝しやがれクソガキ。あんたそれより、それ食ったら風呂屋に行くんだよ。きったねえ」
ばあさんはルイの顔を覗き込んで、「ねえ?」と微小を零し、同意を誘う。
「汚く、ないよ」
ルイが俺を見上げると、首輪から繋がっている鎖が重い音を立てた。
「ルイ、あんたはその間あたしの家で体を清めるといい」
ばあさんが目尻の濃い皺を益々濃くするので、俺は溜息をついた。
ルイが家に来たことをどこからか聞きつけたばあさんは、真夜中にも関わらず押しかけてきて、目をこするルイを自宅兼薬局に連れて帰った。暫くして戻って来た時、ルイの肌と髪は艶を取り戻し、無数の傷には清潔な布があてがわれていた。
「こんな傷放っておいたら感染症にかかるよ。清潔にして、薬を塗らないと」
それから毎日、俺が留守にしている間、ルイの世話を焼きに来るようになった。栄養のある飯を食わせ、何冊かの本を見せながら字を教えているようだった。
「ババア、俺に恩でも売るつもりか?」
顔を顰めて見せると、ばあさんはまた魔女のように気味の悪い笑みを浮かべ、「売ったら返してくれんのか?え?」と脅すように顔を近付けてきた。
「ほら、冷めないうちに食いな」
納得いかないまま、ルイの向かいの席に着く。
ばあさんは汚れた鉄鍋を手に、電管扉へ向かった。ルイがすかさず立ち上がり、「おばあさん」と呼びかける。
「ありが、とう」
肺の底から絞り出したような声を、俺も、多分ばあさんも、版画を刷るように脳に刻んでいた。そうか、俺が抱いているこれは、ジジババが孫に向ける情に近いのかもしれない。幼い言動を見守り、愛でるような、多分そういうやつだ。
ばあさんもまんざらではないような様子で片手を上げて部屋を出て行った。
「いただきます」
ルイが行儀よく言う、覚えたての言葉。
ルイは言語は同じだが、言葉を多く知らないようだった。字も読めない。食べものの名も、人間らしい生活習慣も、知らない。どういう環境で、どうやって生きてきたのかを聞いても、顔を伏せて黙ってしまう。
スープを口に含むと、胃が温まり、体中に吸いつくような味がした。
「お前、それ食べねえの?」
ルイは一向に肉に手を付けない。昨晩もそうだった。
ルイは眉尻を下げてその皿を見つめる。フォークを持ちもしない。
「いいよ、別に。俺に頂戴」
手の伸ばすと、ルイがおずおずと皿を差し出してくる。
「ごめん、ね」
「いいって」
何か理由があるんだろう。ただの好みという線もあるし。
大抵俺の方が先に飯を平らげ、ルイの食事の様子を観察するという時間に入る。ルイはフォークやスプーンの使い方も下手なので、テーブルや顔をよく汚す。それでも、リスが頬袋にものを突っ込むように食べる姿は見ていて愉快だ。飽きない、こんなに禁欲的な生活をしているのに。
そうだ、俺はルイが来てから女と遊んでいない。つまり抜いていない。そう、射精していない。もう一週間にもなる。いつか金玉とチンコが爆発してしまうかもしれないとさえ感じ始めている。
何年かぶりの訓練で毎日悩まされる疲れマラ。隣で寝ているルイを起こさぬようにと我慢すればする程ムラムラする悪循環。
風呂屋で女ひっかけるかあ。
「あの……」
チンコの心配ばかりしていたら声を掛けられ、頬杖の上に乗っけていた顎がずり落ちた。
「美味しい、ですね」
え、チンコが?
ルイの赤い唇が弧を描く様を見ながら、俺は心が痛んだ。
今、チンコのことを考えるのは間違っている。
反省した。ルイは何も知らずにジャガイモを汁の中から手掴みで口に運んでいる。
口の端から垂れる液体を舐める舌を見て、チンコの先が上を向きそうになるのを、太腿をくっつけて収めた。もう既にチンコが痛い。チンコ。チンコ。チンコ。頭の中に棒が一本立っている。
結局風呂屋で女と仲良くなることは躊躇われ、やめた。
代わりに、隣で湯を浴びていた線の細いニーチャンが慰めてくれた。
真っ暗な部屋に帰ると、既にルイは寝息を立てていて、それがあまりに静かなものだから、思わずふっくらとした唇に耳を近付けた。
ルイの隣に体を横たえる。寝具が沈み、ルイの鎖が傾く。
湯と酒で温まった体に、ルイの冷えた二の腕があたって心地いい。
騎士団の訓練は今日で最後だった。ばあさんに頼んでいた薬も、予定通りならば調合を終えた頃だろう。ロメリアは真面目に訓練に励む俺のところに来ては、「早く聖女様を探しに行け」と急きたてる。明後日にはここを立つ。そのことを、ルイにもばあさんにも明日伝える。
準備は着々と整っていた。
大自然の中でチンコをしごく覚悟が俺にはあるだろうか。
雲の中を漂うように、意識はゆっくりと離れていった。