「は……?」

「四年前、君は多くの人々の期待を裏切った。さらに、お父様の顔にも盛大に泥を塗った。そうまでしてピアノを、理由もなく突然やめてしまったのに、四年経った今になってコンクール出場を決めた意図を教えてほしいんだ!」
「あんた、一体何の話をして……」
「やはり『彼女』のためにと、お父様に言われたからかな? 今やあの宝生楽斗は『彼女』を手塩にかけて育てているから、君を踏み越えさせることで、『彼女』の躍進を図ろうとしているのかもしれないね。ね、宝生くん、君としてはどう思う?」

 だめだ、と思った。目の前の男が何を言っているのかわからない。
 『彼女』? 俺の父親がなんだと?

「四年前、君がステージを放棄した理由は、無理な練習を強いたお父様への反抗だったという話も出てるんだ。実際のところ、どうなのかな!? 今回のソフィアコン出場はお父様へのあってつけだったりするのかな、」


「――あの、そこ、どいてくださいませんか。通行の邪魔なのですが」


 マイクをずい、と突き付けられた、まさにその時だった。

 ……凛、と金鈴が鳴る。
 共感覚など持ってないはずなのに、春の朝陽のような柔らかな白を幻視する。

 飢えた獣のようだったマスコミがふっと静まり返り、そして呆気にとられたようにそこに立つ少女を見た。金鈴の声の持ち主――春宮美涼は、朝日を受け、ただ無表情で立っていた。たったそれだけであるにも関わらず、彼女はその不思議なカリスマでその場を圧倒していた。

 神聖な白い燐光が、春宮美涼を包んでいるような錯覚。
 はっとするような美貌の少女を前に、少なくない数の大人が呆けて声を出せなくなっていた。


「聞こえませんでしたか? 校門の前で群がられては、迷惑だと言っているんですけれど」


 春の日差しのような柔らかな声質と違い、そのトーンはひどく冷ややかだ。
 迷惑、とまで言われて、ようやく頭が稼働したらしい。俺にマイクを突き付けていた水原という男が、受けた衝撃を消せないままに笑顔を作ってみせる。

「いや、君ね。僕たちには取材の自由というものが……」
「では、私たちには登校の自由が許されていないと?」
「別に道を塞いでいるわけでもないだろう? 脇を通ってくれればいい」
「どうしてどこの誰かも知らない部外者のために、私たちが避けて差し上げなければならないんでしょうか」
「君ねえ、大人に向かって……」

 珍しく敵愾心もあらわに反駁する春宮に、水原をはじめとする大人たちがさすがに柳眉を逆立てる。そして春宮の近くにいた記者が、彼女に向かって一歩踏み出そうとした、その時。


「――はいはーい、おじさんたちそこどいてくんない? まじ、その子の言う通り通行の邪魔なんだけど?」


 聞き覚えのある、いかにも軽薄そうな声が響いた。怜音だった。

「うわ、あんたらマスコミの人? すごーい俺、テレビなんて初めて見た。え? テレビじゃない? まあなんでもいいや。いえーい、撮っちゃお。SNSにアップしていい? うちの学校にマスコミ詰めかけてんだけどーって。アハ!」
「ちょ、君」

 軽い調子でしゃべり続けながら、怜音は大人たちを掻き分けるようにして歩く。明らかに『普通の学生』でない怜音の出で立ちを見た大人たちが、困惑したように顔を見合わせている。
 しかし怜音の目は全く笑っていない。俺のそばにいた水原という男の前までたどり着くと、彼の持っていた小型のマイクをさっと奪い取った。水原の顔色が変わる。

「その小さいのってマイク? ねー貸してみてよ」
「君! 何をするんだ、返しなさい!」
「うわ、すごー。記者さんってこんなのいつも持ち歩いてんの? あ、こっち向いてよ。嫌がる中学生取り囲んでコメント強要してたーってネットに写真上げてあげるからさあ」
「な、やめ……!」

 酷薄な笑みを浮かべた怜音が、スマホを構える。
顔を歪めた大人たちが、咄嗟に自らの顔を隠したところで――「何をやっているんだ!」と、教師たちがこちらに駆けてきた。

「何の騒ぎですか、これは! おい、お前たち、早く中に入れ!」
「ただの取材ですよ。少し生徒さんにお話聞かせてもらえませんかね」
「そんな話、上から聞いとりませんよ。取材だか何だか知りませんが、話通してから来てくださいって。……おい、もたもたするな!」

 校門近くでこちらを遠巻きにしていた生徒たちが、あわてて中に入る。春宮も怜音もさっさと中に入ったので、俺も引き留めようとする手を振り払って学校の敷地内へ飛び込む。
 生徒が中に入ったことを確認した教師たちがマスコミを締め出すように校門を閉ざし、これ以上は形勢不利だと悟ったのか、こちらに伸ばした手が引いていく。

「ふん、まあいいか。じゃあね宝生くん」

 鼻を鳴らした水原がそう言い残して去っていく。
俺は、その後ろ姿をなかば呆然と見送った。怒涛の質問を、失礼だと感じて憤る暇もなかった。突如嵐に見舞われて、気づいたらもうどこかへいっていたという感触だった。

 横では、無理矢理校門を閉めることに成功した教師たちが、なんだったんだと各々深いため息をついている。ついで、記者たちが俺に群がっていたからか、「こいつが何かやったのか」と言わんばかりの視線がこちらに寄越された。

 しかし、俺が何かやったというのはあながち間違いでもない――堕ちた天才とやらを、餌にしたかったのだ。彼らは。
好意的でない視線を浴びるだなんて今さらのことだったが、今日は妙に居心地が悪くて視線を足元に投げる。自棄の末の素行が、こうやって自分に戻ってくるとは。

「あの人たち、自分は好き勝手撮ったりするくせに、自分が撮られるのは嫌がるんですね」
「違いない。そう思わない? 奏介」

 ただ。
 冷めた声で吐き捨てた春宮と、馬鹿にしたように同意した怜音の視線だけは。

「……ああ、そうだな。二人とも助かった」

 ――居心地の悪さを、和らげてくれた。