「は……?」

 息を呑む。……今、宝生、といったか。となるとこいつらは、四年前の俺を知っている。
 いや、だが、いきなりなんだ。メディアがかつてのことを持ち出すとしたら、ピアノに関する何かの話題か。俺に何を聞きに来たと言うのだ。

「え、あの報道陣、北条のこと囲んでね?」
「神童……? あのひとたち、何を言ってるんだろう」

 近くにいた生徒たちが困惑したようにこちらを窺っている。ああくそ、無駄に目立っている。
 だが、取り囲まれて身動きが取れない。暴力で無理矢理どかせるわけにもいかない。
 瞬間、目の前でフラッシュが焚かれた。大した光ではなかったが、う、と呻いて一歩後ずさる。

「四年間、ステージに一度も上らなかったかつての天才少年が、再び舞台に! ソフィアピアノコンクールという大きな舞台で復活ですね」
「どうしてあの、連覇が期待されていた全国の舞台でステージを放棄したのか、今こそコメントを!」
「今までの四年間、ずいぶんと荒れた生活をしていたと聞きましたが! 天才復活のきっかけはなんだったのでしょうか!」
(やっぱりソフィアコン関係の取材陣か……!)

 だが、今さら、なぜ。しかも、ピアノをやめていた俺の四年間のことも、ある程度は調べがついているようだ。いや、『北条奏介』の素行不良については少し聞けばすぐにわかる。遅刻、早退、サボり、喧嘩とそれによる補導――そのあたりのことは割と経験があるし、北条奏介が不良であるということは全校生徒が知っている。無駄な尾ひれまでついている噂まで存在しているのだ。

 ――しかし、なぜ、北条奏介が宝生奏介と結びつく?

 父と母の離婚は確かに一定の人に知られているが、『宝生奏介』だなんて忘れ去られたかつての神童のために、マスコミがコンクールの出場者をわざわざ調べるはずがない。

(『宝生奏介』が『北条奏介』だと知っている人物が、俺がソフィアピアノコンクールに出るとメディアに情報を流した……?)

 しかも、その、情報源となった人間は、俺がソフィアピアノコンクールの第二次予選の出場者であるということまで既に知っている。……一部例外を除き、コンクール当日まで出場者は自分以外の誰が予選を通っているのかを把握することはできない。
だとすれば、彼らに情報を流したのは、事前にある程度コンクールの出場者を把握できるような、音楽業界にパイプを持っている者――。


「せっかく今まで積み上げてきた栄光だったのに、どうして捨ててしまったんですか?」
「素行不良だという噂は本当ですか?」
「宝生くん、何かコメントを!」


「……っ」

 マイクを構えた彼らの目は、鈍く底光りしている。

 四年前も『天才』として持て囃されていた手前、取材にはある程度慣れていたつもりでいた。

――しかし、これは違う。ただ、『天才』を持て囃し、話題を作ろうとしていただけの昔とは違う。彼らの目は、用意されていた舞台を投げ捨て、皆の期待を裏切ったかつての『天才』から、人々の好奇心をそそるような何かを搾り取ってやろうとする下卑た期待に染まっている。

(今さら俺なんかを取材してなんになる……)

 かつてのピアノの『天才』が今や校内屈指の不良学生、たしかに恰好のネタになりうるだろう。表舞台に出てきた今だからこそ群がってやろうというのことなのかもしれない。

 ……だが、それは、『宝生奏介』の名前がまだ『天才』として人々の記憶に残っていた場合の話だ。あれから既に、そこそこ長い時間が経っている。さまざまな天才が台頭してきたであろうこの世界で、宝生奏介の名前を知る人間が今、どのくらいいるというのか。

「宝生くん、『A・ルティスト』の水原です」

 関東圏で著名な雑誌の名前を出した、中肉中背の男が他を押しのけてずいと前に出た。飢えた獣じみたその目に、僅かに怯んで一歩後ずさる。


「あの舞台がきっかけで、お父様とお母様が離婚して、一家はバラバラになってしまったとのことでしたが。今回またコンクールに出場することになったのは、やはりお父様のご意向なのかな?」