*
――あの時は、『今日は』帰れと言ったが、それから春宮がうちを訪れることも、俺たちが学校で顔を合わせることもなかった。それも当然と言えば当然だったろう。あの一件があってから数日経てば、どんな呑気なやつでもテスト勉強を始めるような試験直前期に突入だ。三年生にもなってこの時期にぼんやりしているのは、初めから名前を書くだけで入れるような高校に行くつもりのやつか、もしくは進学を考えていないやつくらいだ。
それに、そもそも春宮とはクラスが違う。クラスが違えば授業も違う、敢えて会おうとしなければ顔を合わせる機会がないのも当たり前のことだった。俺の、学校をサボる頻度が上がったのも原因の一つだろう。
(午後は英語、総合……別にわざわざ授業受ける必要もねぇな。フケるか)
給食を片付け、昼休みに入る前にとっとと荷物をまとめる。今日は当番もなく、別にこれからの授業をサボったところでさしたる問題もない。誰に迷惑をかける訳でもなく、ただまた素行不良かと教師に睨まれる度合いが上がるだけだ。それも今さらだろう。
市立中学がある程度の出席日数を必要とする単位制を取っていないことに感謝の念を覚える。かつて俺が通っていた私立校の中等部と違って、この学校ではどれだけサボったところで出席日数を数える必要もなく、卒業にはなんの影響もない。
「あれ、奏介今日もサボんの?」
「だとしたらなにか文句でもあンのか」
目敏く見つけた怜音が駆け寄ってくる。見ればわかることを聞くなと言う代わりに、必要なノートと教科書だけカバンに詰め、とっとと教室を後にするべく席から立ち上がる。
「えー、じゃ俺もサボろっかな~。午後の英語ダルいよな。総合なんてやる意味もわからんし」
「好きにしろよ。いちいち俺に報告する必要もねぇだろ」
すると、怜音はぴたりと動きを止め、こちらをまじまじと見つめる。
「……なんか最近お前態度トゲトゲしくない? いやお前が俺に対してトゲトゲしいのはいつものことだけど、なんかいつも以上に苛立ってるっていうかさ」
相変わらず、鋭いやつだ。
……が、鬱憤を溜めているのだということを詳しく説明してやる義理もない。
俺はふん、と鼻で笑い、無視してそのまま教室を出た。おい、という声が背後に投げかけられたが、気配が追いついてくる前に戸を閉める。
それに、今の怜音とつるめばいずれ、春宮となにかあったのかというところまで問われそうで、それも避けたかった。
「……どうだっていいだろ、俺のことなんて」
どいつもこいつも。
そう思いながら階段を降りている、まさにその途中でのことだった。……ちょうど一階と二階の間にある踊り場に差し掛かるところで、「奏介君?」と耳覚えのある声で名前を呼ばれたのは。
そして奏介君などという呼び方で俺を呼ぶ人物の心当たりは、一人しかない。
「げっ。夏木……センセー」
「げっ、とは何よお、げっ、とは」夏木は不満そうにそのがっちりとした巨体をくねらせた。「しかも、なんとも取ってつけたような敬称。まったくもって教師への敬意ってものを感じられないわあ」
「なんでこんなとこにいンだよ……あんたの生息場所は西棟だろうが」
「生息場所ぉ? ちょっと、ヒトを珍獣さながらに思ってるみたいな表現はやめてくれない?」
(十分珍獣だろ……)
「あら何かしらその目は。今、絶対に失礼なこと考えてるでしょあなた」
ジットリとした視線を向けられ、すっと顔を逸らした。……真剣に見つめ合うにはこの教師の顔は濃すぎる。
「ま、いいわ。さっきの話だけど、アタシはただ下の自販機で飲み物を買ってきただけよ」
「ああ……」
確かに夏木の手にはコーヒーの缶が握られている。一階の多目的ホールには、学校帰りの買い食いを制限されている生徒も使うことを許されている自販機がいくつかあるのだ。
「というか奏介君、あなた、アタシがいつでも西棟の美術室に籠っているとでも思ってたの?」
「……別に」
「アタシだって教師なんだから、普通にこっちの棟にいることだってあるわよお。こっちには職員室もあるんだし。当たり前でしょ?」
「ああ、そう。なら俺はもう行くから」
いい加減無駄話に花を咲かせる気もなくなってきたので、さっさと階段を降りようと踵を返す。
……が。
「ちょおっと待ちなさい北条奏介君」
「なんだよ」
「なんだよじゃあないわよ。そのカバン、あなた普通にこの後サボる気でいるわねえ? 見逃してもらえると思った?」
「……」そういえばこの濃ゆいのも教師だったのだったか。「体調不良での早退だっつうの」
「体調不良って顔色じゃないでしょうが。このまま無理矢理教室引きずっていったっていいのよ?」
「……」
想像してみて怖気がした。この体格差では本当に引きずられてクラスまで連行されかねない。
さすがにそれは御免被りたかったので、ため息をつきつつも「何のつもりだよ」と、低い声で問うた。「あんたそういう……生徒のサボりを積極的に取り締まるような真面目な教師じゃねぇだろ」
「あらあ失礼なこと言う子ね。……本当に引きずってくわよ」
「……何の用デスカ」
凄味のある笑顔にのけぞりながらそう聞けば、夏木は「初めからそう言えばいいのよ不良少年」と言った。そして、ついてきなさい、とばかりに手招きをする。
(仕方ねぇ)
どうせ、帰ったところですることもないのだ。
――あの時は、『今日は』帰れと言ったが、それから春宮がうちを訪れることも、俺たちが学校で顔を合わせることもなかった。それも当然と言えば当然だったろう。あの一件があってから数日経てば、どんな呑気なやつでもテスト勉強を始めるような試験直前期に突入だ。三年生にもなってこの時期にぼんやりしているのは、初めから名前を書くだけで入れるような高校に行くつもりのやつか、もしくは進学を考えていないやつくらいだ。
それに、そもそも春宮とはクラスが違う。クラスが違えば授業も違う、敢えて会おうとしなければ顔を合わせる機会がないのも当たり前のことだった。俺の、学校をサボる頻度が上がったのも原因の一つだろう。
(午後は英語、総合……別にわざわざ授業受ける必要もねぇな。フケるか)
給食を片付け、昼休みに入る前にとっとと荷物をまとめる。今日は当番もなく、別にこれからの授業をサボったところでさしたる問題もない。誰に迷惑をかける訳でもなく、ただまた素行不良かと教師に睨まれる度合いが上がるだけだ。それも今さらだろう。
市立中学がある程度の出席日数を必要とする単位制を取っていないことに感謝の念を覚える。かつて俺が通っていた私立校の中等部と違って、この学校ではどれだけサボったところで出席日数を数える必要もなく、卒業にはなんの影響もない。
「あれ、奏介今日もサボんの?」
「だとしたらなにか文句でもあンのか」
目敏く見つけた怜音が駆け寄ってくる。見ればわかることを聞くなと言う代わりに、必要なノートと教科書だけカバンに詰め、とっとと教室を後にするべく席から立ち上がる。
「えー、じゃ俺もサボろっかな~。午後の英語ダルいよな。総合なんてやる意味もわからんし」
「好きにしろよ。いちいち俺に報告する必要もねぇだろ」
すると、怜音はぴたりと動きを止め、こちらをまじまじと見つめる。
「……なんか最近お前態度トゲトゲしくない? いやお前が俺に対してトゲトゲしいのはいつものことだけど、なんかいつも以上に苛立ってるっていうかさ」
相変わらず、鋭いやつだ。
……が、鬱憤を溜めているのだということを詳しく説明してやる義理もない。
俺はふん、と鼻で笑い、無視してそのまま教室を出た。おい、という声が背後に投げかけられたが、気配が追いついてくる前に戸を閉める。
それに、今の怜音とつるめばいずれ、春宮となにかあったのかというところまで問われそうで、それも避けたかった。
「……どうだっていいだろ、俺のことなんて」
どいつもこいつも。
そう思いながら階段を降りている、まさにその途中でのことだった。……ちょうど一階と二階の間にある踊り場に差し掛かるところで、「奏介君?」と耳覚えのある声で名前を呼ばれたのは。
そして奏介君などという呼び方で俺を呼ぶ人物の心当たりは、一人しかない。
「げっ。夏木……センセー」
「げっ、とは何よお、げっ、とは」夏木は不満そうにそのがっちりとした巨体をくねらせた。「しかも、なんとも取ってつけたような敬称。まったくもって教師への敬意ってものを感じられないわあ」
「なんでこんなとこにいンだよ……あんたの生息場所は西棟だろうが」
「生息場所ぉ? ちょっと、ヒトを珍獣さながらに思ってるみたいな表現はやめてくれない?」
(十分珍獣だろ……)
「あら何かしらその目は。今、絶対に失礼なこと考えてるでしょあなた」
ジットリとした視線を向けられ、すっと顔を逸らした。……真剣に見つめ合うにはこの教師の顔は濃すぎる。
「ま、いいわ。さっきの話だけど、アタシはただ下の自販機で飲み物を買ってきただけよ」
「ああ……」
確かに夏木の手にはコーヒーの缶が握られている。一階の多目的ホールには、学校帰りの買い食いを制限されている生徒も使うことを許されている自販機がいくつかあるのだ。
「というか奏介君、あなた、アタシがいつでも西棟の美術室に籠っているとでも思ってたの?」
「……別に」
「アタシだって教師なんだから、普通にこっちの棟にいることだってあるわよお。こっちには職員室もあるんだし。当たり前でしょ?」
「ああ、そう。なら俺はもう行くから」
いい加減無駄話に花を咲かせる気もなくなってきたので、さっさと階段を降りようと踵を返す。
……が。
「ちょおっと待ちなさい北条奏介君」
「なんだよ」
「なんだよじゃあないわよ。そのカバン、あなた普通にこの後サボる気でいるわねえ? 見逃してもらえると思った?」
「……」そういえばこの濃ゆいのも教師だったのだったか。「体調不良での早退だっつうの」
「体調不良って顔色じゃないでしょうが。このまま無理矢理教室引きずっていったっていいのよ?」
「……」
想像してみて怖気がした。この体格差では本当に引きずられてクラスまで連行されかねない。
さすがにそれは御免被りたかったので、ため息をつきつつも「何のつもりだよ」と、低い声で問うた。「あんたそういう……生徒のサボりを積極的に取り締まるような真面目な教師じゃねぇだろ」
「あらあ失礼なこと言う子ね。……本当に引きずってくわよ」
「……何の用デスカ」
凄味のある笑顔にのけぞりながらそう聞けば、夏木は「初めからそう言えばいいのよ不良少年」と言った。そして、ついてきなさい、とばかりに手招きをする。
(仕方ねぇ)
どうせ、帰ったところですることもないのだ。