一軒家の立ち並ぶ住宅街に入ると、すっかり日も暮れて辺りは暗くなっていた。駅からやや離れた住宅街では街灯も心もとなく、やはり女子ひとりで歩かせなくてよかったかもしれないと思わされた。こういうところは、怜音はよく見ている。
「あの、北条くん。ここで大丈夫ですから」
と、唐突に立ち止まった春宮が、こちらを見てそう言った。
「……まだ家の前じゃないんだろ? ここまで来たんだから家まで送るが」
「もう、目と鼻の先なんですよ。子供じゃないんだから一人で帰れます」
わざとらしく頬を膨らませてみせた春宮に、また眉を寄せる。やはり不可解だ。誤魔化し方がわざとらしい。
何か訳アリなのかもしれない。……多少気になるが、首を突っ込むことではないか。
ふう、と息を吐き出し、わかった――と、そう答えようとした、その時だった。
――少し離れた家から、だったように思う。「美涼!」と甲高い声で春宮を呼ぶ声がして、彼女が明らかに体を強張らせたのは。
「母親か? ……春宮?」
目が合わない。唇を噛んで視線を彷徨わせている春宮は、これまでになく焦っているようだった。
どうかしたのかと思っていると、間もなくして春宮によく似た痩身の女性がこちらに駈け寄ってきた。品はよいが神経が細そうな、眼鏡の女性だ。若い頃はさぞかし美人だっただろう、春宮と顔立ちがよく似ている。
「美涼、あなた今までどこに行ってたの? 勉強もろくにせずに家を飛び出すなんて、いったいどういうつもり? あなたついこないだの定期考査の結果がどれほど理想から遠かったか忘れたの?」
「……友人の前です、お母さん」
怒涛の質問責めには応えず、春宮はただ苦々しげにそう言った。そこでようやくこちらの存在に気がついたのか、顔を上げた春宮の母親と視線がぶつかる。
薄ぼんやりとした街灯の下で、春宮の母親の顔が明らかに歪んだのがわかった。それは不愉快なもの――否、いっそ汚いものを見る視線だった。
(……なるほど。春宮が送ってもらうことに積極的じゃなかった理由はこれか)
「美涼。……彼は?」
俺にではなく、わざわざ娘に尋ねるあたり、彼女が何を考えているのかがある程度知れる。柄の悪そうななりをしている以上、こういう対応は慣れていたものだったが……無論愉快ではなく、自然と眉が寄った。
「彼は北条奏介くん。隣のクラスの生徒です。家で一人で机に向かっていても集中できないので……駅にある、図書館の方で勉強を教えてもらっていたんですよ。偶然親しくなったものですから」
「勉強? ……彼に?」
「彼はこう見えても、前回の考査で学年十位の優等生なんですよ」
優等生、と、まったく信じていなさそうな顔で反芻した春宮の母親が、あからさまに訝る視線を向けてくる。不躾だと思ったが、向こうにしてはこちらのほうが不躾なのだろう。
さらに春宮がどこか懇願するような視線を向けてきたので、軽く溜息をついて肯定してみせた。
「……まあ、一応は。それに『勉強』も俺と春宮、さんの二人きりだったわけじゃないんで。他にも人はいましたし、今俺が彼女と一緒にいたのは夜道が危ないと思ったからで」
「……そうなの」明らかに納得していない様子だったが、春宮の母親は、とりあえずはそう言った。「娘がお世話になりました」
「……いえ」
「でも、もう娘に勉強は教えなくてよろしいですから。この子は家か塾で勉強させることにしています。友達となんか勉強させたら集中力が鈍ってしまいますから」
「そうですか」
「行くわよ美涼」
「……押さないでください。自分で歩けますから」
肩に添えられた手を跳ねのけた春宮が、聞いたこともないような鬱屈を滲ませた声で吐き捨てる。それでも母親に促されるようにして家の中に入っていく春宮は、一瞬、こちらを見た。
――申し訳なさそうな視線。気にするなと手を振ると、彼女は僅かに表情を緩ませ、軽く会釈した。そして、すぐさまバタンと音を立てて玄関扉が閉まる。
(……どこの家にもいろんな事情があるもんだな)
当たり前か。親子関係で苦労するのは、何もうちに限った話ではないよな。
「あの、北条くん。ここで大丈夫ですから」
と、唐突に立ち止まった春宮が、こちらを見てそう言った。
「……まだ家の前じゃないんだろ? ここまで来たんだから家まで送るが」
「もう、目と鼻の先なんですよ。子供じゃないんだから一人で帰れます」
わざとらしく頬を膨らませてみせた春宮に、また眉を寄せる。やはり不可解だ。誤魔化し方がわざとらしい。
何か訳アリなのかもしれない。……多少気になるが、首を突っ込むことではないか。
ふう、と息を吐き出し、わかった――と、そう答えようとした、その時だった。
――少し離れた家から、だったように思う。「美涼!」と甲高い声で春宮を呼ぶ声がして、彼女が明らかに体を強張らせたのは。
「母親か? ……春宮?」
目が合わない。唇を噛んで視線を彷徨わせている春宮は、これまでになく焦っているようだった。
どうかしたのかと思っていると、間もなくして春宮によく似た痩身の女性がこちらに駈け寄ってきた。品はよいが神経が細そうな、眼鏡の女性だ。若い頃はさぞかし美人だっただろう、春宮と顔立ちがよく似ている。
「美涼、あなた今までどこに行ってたの? 勉強もろくにせずに家を飛び出すなんて、いったいどういうつもり? あなたついこないだの定期考査の結果がどれほど理想から遠かったか忘れたの?」
「……友人の前です、お母さん」
怒涛の質問責めには応えず、春宮はただ苦々しげにそう言った。そこでようやくこちらの存在に気がついたのか、顔を上げた春宮の母親と視線がぶつかる。
薄ぼんやりとした街灯の下で、春宮の母親の顔が明らかに歪んだのがわかった。それは不愉快なもの――否、いっそ汚いものを見る視線だった。
(……なるほど。春宮が送ってもらうことに積極的じゃなかった理由はこれか)
「美涼。……彼は?」
俺にではなく、わざわざ娘に尋ねるあたり、彼女が何を考えているのかがある程度知れる。柄の悪そうななりをしている以上、こういう対応は慣れていたものだったが……無論愉快ではなく、自然と眉が寄った。
「彼は北条奏介くん。隣のクラスの生徒です。家で一人で机に向かっていても集中できないので……駅にある、図書館の方で勉強を教えてもらっていたんですよ。偶然親しくなったものですから」
「勉強? ……彼に?」
「彼はこう見えても、前回の考査で学年十位の優等生なんですよ」
優等生、と、まったく信じていなさそうな顔で反芻した春宮の母親が、あからさまに訝る視線を向けてくる。不躾だと思ったが、向こうにしてはこちらのほうが不躾なのだろう。
さらに春宮がどこか懇願するような視線を向けてきたので、軽く溜息をついて肯定してみせた。
「……まあ、一応は。それに『勉強』も俺と春宮、さんの二人きりだったわけじゃないんで。他にも人はいましたし、今俺が彼女と一緒にいたのは夜道が危ないと思ったからで」
「……そうなの」明らかに納得していない様子だったが、春宮の母親は、とりあえずはそう言った。「娘がお世話になりました」
「……いえ」
「でも、もう娘に勉強は教えなくてよろしいですから。この子は家か塾で勉強させることにしています。友達となんか勉強させたら集中力が鈍ってしまいますから」
「そうですか」
「行くわよ美涼」
「……押さないでください。自分で歩けますから」
肩に添えられた手を跳ねのけた春宮が、聞いたこともないような鬱屈を滲ませた声で吐き捨てる。それでも母親に促されるようにして家の中に入っていく春宮は、一瞬、こちらを見た。
――申し訳なさそうな視線。気にするなと手を振ると、彼女は僅かに表情を緩ませ、軽く会釈した。そして、すぐさまバタンと音を立てて玄関扉が閉まる。
(……どこの家にもいろんな事情があるもんだな)
当たり前か。親子関係で苦労するのは、何もうちに限った話ではないよな。