放課後に美術室を訪れたことは、思えば今まで一度もない。美術の授業をまともに受けた覚えもあまりなければ、課題もそれなりにしかこなしたこともなく、かといって放課後居残って作業しなければならないほどふざけたことも熱心になったこともなかった。学期末のペーパーテストで点数を取ればいいと思っていたし、実際美術の教師にもとやかく言われたことはない。
放課後とはいえ季節柄まだ日は高く日差しも眩しいが、美術室にはさほど光が差し込んでいないように思えた。観察してみると、窓は北側に設置され、教壇は東側に置かれていることがわかる。
(なるほど。時間によって影が角度を変えることで、作業中の生徒を邪魔をしたりしないようになってるのか……)
普通の教室と逆向きだ。意外と考えられて部屋の配置が決められているらしい。合理的だ。
「あのー、まだ部活ってやってますか?」
「あらあ、お帰りなさいおさぼりさん。もちろん、部活動の時間中なんだから、普通にやってるわよう。……ん? そこにいるのは確か」
扉を開けてすぐに美術室の中に入った春宮への返答は、妙に甘ったるい――低い声によって紡がれた。――そういえば、と唇を曲げる。美術担当の教師は数人いるが、美術部の顧問がこいつだったとは。
「あららあ~~~奏介君じゃない? まさか入部希望? あなたが?」
「……ドーモ、夏木センセー」
夏木寧(やすし)。黒のロン毛に日に焼けた肌、筋肉質な体、口調に仕草など、容姿もキャラも含めてひたすらに『濃い』教師だ。熱血教師じみた性質を持っているわけでもないのに、見ているだけで暑苦しくなる――山田とはまた違った意味で苦手な教師である。
ああ、早速帰りたくなってきた。
「えっ、北条先輩⁉ あの有名な……⁉」
「なんで美涼先輩と一緒に……ふつーにこわ……」
美術室内にいた美術部らしき後輩たちがこちらに気付き、恐ろしげな視線を寄越してくる。こういう視線は慣れたものだが、彼らのテリトリーに無遠慮に――むろん俺の本意ではないが――踏み込もうとしているのはこちらである以上、非常に気まずい。
「おい、春宮。こんなとこ連れてきてなんのつもりだよ……というか、そもそもお前、美術部員だったのか」
「自分のペースで作品作りがしたいので、ほとんど幽霊部員ですけどね。あと、目的は先程言ったばかりではないですか。見て欲しいものがあるからここに来たんですよ」
「あらあ」夏木が目を瞬かせながら、俺と春宮を見比べた。「美涼ちゃん、あなたが昨日一心不乱に描いていたあの絵? もー最終下校時刻になっても鍵を返しに来ないからいい加減にしろって思ったけど、あれちゃんと完成したのね」
「絵……?」
ええ、と春宮の代わりに夏木が頷いた。あれを見て、というように指を動かした先を見ると、美術室の奥まったところにイーゼルが置いてあった。
そこにセットされていたのは、
「水彩画……?」
「はい。昨日のお昼と放課後で描きました。久々ですよ、こんなに楽しんで絵を描いたのは」
――いつもはこれは違う、こんなんじゃなかったと、自分の中にある理想と戦いながら試行錯誤しなければいけなかったから。春宮がそう言って笑う。
いつの間にか口内に溜まっていた唾を飲み下し、そっとイーゼルに近づいた。よくある夏休みの課題のポスター制作に使う画用紙よりもやや小さめにカットされた画面に描かれていたものは。
「鳥の羽……?」
放課後とはいえ季節柄まだ日は高く日差しも眩しいが、美術室にはさほど光が差し込んでいないように思えた。観察してみると、窓は北側に設置され、教壇は東側に置かれていることがわかる。
(なるほど。時間によって影が角度を変えることで、作業中の生徒を邪魔をしたりしないようになってるのか……)
普通の教室と逆向きだ。意外と考えられて部屋の配置が決められているらしい。合理的だ。
「あのー、まだ部活ってやってますか?」
「あらあ、お帰りなさいおさぼりさん。もちろん、部活動の時間中なんだから、普通にやってるわよう。……ん? そこにいるのは確か」
扉を開けてすぐに美術室の中に入った春宮への返答は、妙に甘ったるい――低い声によって紡がれた。――そういえば、と唇を曲げる。美術担当の教師は数人いるが、美術部の顧問がこいつだったとは。
「あららあ~~~奏介君じゃない? まさか入部希望? あなたが?」
「……ドーモ、夏木センセー」
夏木寧(やすし)。黒のロン毛に日に焼けた肌、筋肉質な体、口調に仕草など、容姿もキャラも含めてひたすらに『濃い』教師だ。熱血教師じみた性質を持っているわけでもないのに、見ているだけで暑苦しくなる――山田とはまた違った意味で苦手な教師である。
ああ、早速帰りたくなってきた。
「えっ、北条先輩⁉ あの有名な……⁉」
「なんで美涼先輩と一緒に……ふつーにこわ……」
美術室内にいた美術部らしき後輩たちがこちらに気付き、恐ろしげな視線を寄越してくる。こういう視線は慣れたものだが、彼らのテリトリーに無遠慮に――むろん俺の本意ではないが――踏み込もうとしているのはこちらである以上、非常に気まずい。
「おい、春宮。こんなとこ連れてきてなんのつもりだよ……というか、そもそもお前、美術部員だったのか」
「自分のペースで作品作りがしたいので、ほとんど幽霊部員ですけどね。あと、目的は先程言ったばかりではないですか。見て欲しいものがあるからここに来たんですよ」
「あらあ」夏木が目を瞬かせながら、俺と春宮を見比べた。「美涼ちゃん、あなたが昨日一心不乱に描いていたあの絵? もー最終下校時刻になっても鍵を返しに来ないからいい加減にしろって思ったけど、あれちゃんと完成したのね」
「絵……?」
ええ、と春宮の代わりに夏木が頷いた。あれを見て、というように指を動かした先を見ると、美術室の奥まったところにイーゼルが置いてあった。
そこにセットされていたのは、
「水彩画……?」
「はい。昨日のお昼と放課後で描きました。久々ですよ、こんなに楽しんで絵を描いたのは」
――いつもはこれは違う、こんなんじゃなかったと、自分の中にある理想と戦いながら試行錯誤しなければいけなかったから。春宮がそう言って笑う。
いつの間にか口内に溜まっていた唾を飲み下し、そっとイーゼルに近づいた。よくある夏休みの課題のポスター制作に使う画用紙よりもやや小さめにカットされた画面に描かれていたものは。
「鳥の羽……?」