か細い呼吸を繰り返していた絃は、その変わらぬ光に意識を引き寄せられた。

「あの日、俺は次期当主同士の顔合わせで千桔梗を訪れていた。妖魔による侵攻があった時間帯は郷の方で加戦していたから、絃と出会ったのはそのあとだ。弓彦と共に郷の妖魔を片づけ、裏山へ向かったとき──そこに、君がいた」

「わたし、が?」

「ああ。大量の妖魔に囲まれ、地面にへたり込んでいた。絃の母君はすでに事切れたあとで、君と手を繋いでいたお鈴も、怪我を負った燈矢も意識がなかった。絃は完全に無防備な状態で──しかし、怪我ひとつなく、そこにいた」

 確かにそうだ。絃は千桔梗の悪夢で、たったひとり無傷だった。
 途中から記憶がすべて消えてしまっているせいで、なぜ怪我を負わずにいられたのかは定かでない。あのときのことを周囲に訊く勇気はなかったし、弓彦や燈矢も極力触れないようにしてくれていたから、真相を知る機会がなかったのだ。
 ゆえに絃は、千桔梗の悪夢がどういう形で収束を迎えたのか知らないのである。
 少なくとも憶えている限りでは、絶体絶命の危機に陥っていたはずなのだが。

「では、あの妖魔たち、は……士琉さまが、倒してくださったのですか?」

 途切れ途切れに尋ねると、士琉は小さく首を振った。

「俺じゃない。君だ」

「え……」

「絃が倒したんだ。俺が君を視認したその瞬間、霊力を暴発させてな」

 がつん、と頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。思考が完全に停止する一方で、自分の身体に流れる霊力がじわりと熱を持ったような気がした。
 ずっとずっと奥深く。絃自身ですら感知できない場所で、記憶が疼く。
 ぴちゃん、と音がしていた。
 視界が真白に染まって、全身が燃えるように熱くなって、それから。

(もう、なにもかも、どうでもよくなって……わたし、消えたいって思った)

 どうにかしたい。どうでもいい。どうにかしなくちゃ。どうにもならない。ありとあらゆる感情が錯綜して、心がついていかなくて、最後には壊れてしまった。
 ならば、確かにあのとき絃は、霊力を暴発させたのかもしれない。
 あの頃の絃は、今より己の力を制御できていなかったから。
 力をすべて外に放出することでしか心身を保てないと、無意識下で自己防衛機能が発動したのなら、おおいに可能性はある。

「わたしが、あの場の妖魔をすべて祓った……?」

「ああ。だが祓ったあと、絃はもうほとんど心を失っているようで……。とてもではないが、手放しで喜べる状況ではなくてな。そのまま自害しそうだった君をどうこの世に引き止めるかで、当時の俺は頭がいっぱいだったのを憶えている」

 記憶をなぞるように言いながら、士琉が絃の頭を抱いた。
 その感触が、ふたたび絃のなかの琴線に触れた。

『いつか』

 散りばめられた欠片を追うように思い出したのは、真白に染まった世界のなかで与えられた一筋の光明。否、きっとそのときは希望だなんて思えなかったけれど、問答無用で心の奥底に突き立てられた約束は、今も幼い絃が抱えている。

『いつか必ず、迎えに行く』

 かつての記憶のなかで、まだ少年の姿であった士琉の声が再生された。
 そうして、かちりと欠片が在るべき場所へ嵌まる。心のあちこちでばらばらに仕舞われていたものたちが導かれるように一箇所に集まり、思いがけず繋がった。

「あ、れ……?」

「どうした」

 士琉は千桔梗の悪夢の日、絃に出逢い、とある約束を交わした。
 そして十年前と言えば、もうひとつ。
 千桔梗の悪夢を経て結界に引きこもり始めた頃の絃にとっては、忘れられない出来事があった時期だ。