中心の本紫から階調を上げ青く変化するその光彩は、その空間を丸ごと浮かび上がらせている。硝子屑(がらすくず)を散らしたように水面に反射する花明かりは、まるで銀湾をそのまま移したよう。水面に弾ける満天の星は、ただひたすらに美しい。

「種を植えて、もう十年になるか。これだけの星霜(せいそう)を経てようやく根づいてきたところだが、まだ(つぼみ)のものも多くある。もう数年経てばさらに増えるはずだ」

「えっ、士琉さまがお育てになっているのですか?」

 士琉は穏やかな面持ちで頷く。

「ずいぶん昔に、弓彦から絃は千桔梗が好きだと聞いてな。しかし、千桔梗は月代にしか自生しない月光花だろう? どうしたものかと考えていたら、弓彦が種を数粒譲ってくれたんだ。育てられるものなら育ててみろと、だいぶ挑戦的にだが」

「兄さまが……」

「月華の周辺で常に新鮮な水源が確保できるのは限られるゆえ、諸々を吟味して場所はここに決めた。多少通うのは大変だが、数粒しかない種を育てるとなると絶対に失敗はできなかったからな。結果的にはいい選択をしたと思っている」

 それでも容易いことではない、と絃は絶句してしまう。
 千桔梗は普通の桔梗ではない。一度咲いてしまえば、むこう千年は枯れることがないと言われている特異な月光花だ。
 新鮮で澄み切った水源を好み、適度な月明かりを栄養分に、途方もなく長い時間をかけて花を咲かせる。
 しかしその間、わすかでも手入れを怠れば花どころか蕾すらもつかないうえ、運悪く強風などに晒されれば刹那に枯れてしまう繊細な花なのだ。
 千桔梗の郷はそもそも土壌からして特殊らしく、千桔梗のような花でも育ちやすいと言われているけれど、外界はそうではない。悪環境のなか、千桔梗をここまで育てたということは、それほど士琉が大切に向き合ってきた証拠だった。

「……十年前? と、言いました?」

 一時は聞き逃したものの、ふと引っかかって、絃は怪訝に首を傾げる。
 それに士琉はぎくりとしたように身体を強張らせてから、なにかを迷うように視線を巡らせ、やがて口許を片手で覆いながら「頃合いか」と呟く。
 青白く幻想が広がる宵のなか、士琉の瑠璃の瞳が戸惑う絃を捉えた。
 揺れる瞳はまるで子犬のようで、いつもの泰然とした余裕はない。

 だが、なぜなのだろう。
 その不安定な様を、絃はどこかで見たことがあるような気がした。

「絃。俺は、十年前に一度、君に会ったことがあるんだ」

「……え?」

「千桔梗の悪夢の日だ。──俺はあの日、あの時間、千桔梗にいた」

 その瞬間、きんと甲高い耳鳴りがして、ぐらりと激しい眩暈に襲われた。
 刹那、脳裏に蘇ったのは大量の妖魔に囲まれた混沌とした地獄。
 道の先で妖魔が群がるのは、血濡れの母。
 目の前には、絃を護るために怪我を負い倒れたお鈴と燈矢。

 赤、赤、赤。徐々に、しかし確実に広がるそれが、絃へ迫る。

 ぴちゃん、と音がした。

(嫌……っ)

 はく、と呼吸が詰まる。膝から地面へ崩れ落ちそうになった絃を、士琉がとっさに支えてくれた。そのまま自分の方へかき寄せるように強く抱きしめられる。

「落ち着け。大丈夫だ。俺がいる」

「し、りゅう、さま」

「ああ……ずっと、言うべきか悩んでいたんだ。絃にとっては思い出したくもない記憶だろうし、会ったと言っても、君の記憶にはないことだからな」

 士琉は絃を抱え、泉のそばに鎮座していた大岩の上へと移動した。腕を伸ばして花開いた千桔梗を何輪か摘むと、腿の上に座らせた絃にそっと持たせてくれる。