「つらい、とはまた違うのですけど……。ただ、とても心配で」

「心配?」

「はい。お鈴のことです」

 お鈴が憑魔に身体を乗っ取られた日から、今日で三日目。
 この間、燈矢は数えていられないほど頻繁に、絃のもとへ顔を出してくれた。多忙を極める士琉とて二回目。千隼や茜ですら、見舞いの品を持ってきてくれた。

 なのに、肝心のお鈴だけは、たったの一度も会うことができていない。
 すべてにおいて絃が第一優先なのだと普段から表明していることもあり、きっとすぐに顔を見せてくれるだろうと思っていた手前、これにはさすがの絃も狼狽えた。
 現在、絃の身の回りの世話は、冷泉本家に仕える女中たちが(まかな)ってくれている。
 本家とはいえ、同じ屋敷内に専属侍女である彼女がいながらだ。
 さすがにそうなれば、絃でも察する。

 ──どうやら自分は避けられているらしい、と。

「燈矢から聞きました。お鈴は今回のことをすべて覚えているそうですね」

「……ああ」

 これまでの憑魔の被害者は、トメ然り、自分が憑魔に乗っ取られているときのことをまったく覚えていなかった。ゆえに被害者は、往々にして〝気がついたときには自分がとんでもないことをやらかしていた〟状態に陥ってしまっていたわけだ。
 身に覚えのない罪を理由に逮捕状を出されたり、牢にて拘束されていたり。
 被害者であると同時に加害者にもなってしまった者たちは、もはや気の毒としか言いようがない。
 だが、それはある意味、救済であるのかもしれなかった。燈矢から〝お鈴はすべての記憶が残っているようだ〟と話を聞いて、ふいに絃は思い出したのだ。

「……お鈴、泣いていたんです。憑かれているとき」

「泣いていた? 自我が残っていたのか?」

「いえ、そういうわけではないと思います。ただ、わたしに攻撃してきた瞬間、ほんの一瞬だけ〝無〟のなかにお鈴が見えました。きっとあのとき、お鈴は自分の意思とは関係なく動く身体に苦しんでいたのだろうなと……」

 もし自分がお鈴の立場だったらと思うと、身の毛がよだつほどぞっとした。
 ──大切な相手を、自分の意思とは関係なく攻撃する。
 それも己の手で、己の力で。
 己のせいで、相手が傷ついていく姿をただ見ているしかできない。
 ああ、なんて恐ろしいのか。そんな悪夢のような現実を体験してしまったら、きっと生きていることさえ怖くなってしまう。また自分が誰かを傷つけてしまうのではないかと恐ろしくて、人を避けるようにもなるだろう。
 そんなの、容易に想像できる。
 なにしろ絃は、そうして結界に引きこもることを決めたのだから。

「心配なんです。お鈴が、とても。お鈴の心が、心配で、心配で、どうしようもなくて……でも、どうしたらいいのかもわからない」

 人を傷つけてしまうことの怖さを、取り返しのつかない命の重みを、喪うことの絶望感を知っている。
 それは相手が大切な者であればあるほど、大きく深いものとなる。なればこそ、今のお鈴を思うといたたまれなかった。
 だって彼女が絃を大切に思ってくれているのは、誰より知っているから。

「お鈴は来ないか?」

「はい、まだ一度も会えていません。身体に大事はないと聞いたのですけど……」

「継特でも事情聴取はさせてもらったから、無事は保証できるが」

 士琉は心苦しそうに眉根を寄せ、重い息を吐き出す。
 夜の静寂が、沈痛な空気を押し潰すように圧し掛かってきた。心なしか冷え込みが倍増したような気がする。

「これまでの被害者とお鈴で共通しないのは、ひとつだけ。継叉であるか否かだ」