弓彦の言い分は理解できるのだ。実際、祓魔師として日々を生きる月代一族の者たちは、そういう心構えのなかで任をこなしているのだろう。
だけれど、絃があの地獄のような悪夢から目を逸らして自分のせいではないのだと逃れるのは、きっとなによりしてはならないことだ。
「あの、お気遣いありがとうございます、兄さま。でも本当に、兄さまが謝る必要などないのです。あれは当然のお言葉ですから」
「絃……」
微笑んで返すと、弓彦は寂(せき)寥(りょう)を含んだ面持ちでひとつため息を吐く。
「──私は絃がどんな選択をしても尊重するよ。だから、ゆっくり考えるといい」
やがてまた微笑を浮かべた弓彦に、絃はこくりと頷く。
(兄さまはきっと……ずっと、わたしを見守ってくれていたのね)
弓彦が今、どんな感情なのかはわからない。それでも、いつも飄々として心の内を明かさない兄がこうして向き合ってくれた事実こそ、絃の心に響いた。
「あ……兄さまは、もう帰られるのですか?」
「うん、仕事があるしね。でも燈矢にはしばらくこちらに滞在してもらうから、今回の事件の詳細はのちほど燈矢から聞いておいて」
すべてを内包するその微笑は、やはり真実を覆い隠してしまう。
それでいて己の歩調を崩さないから厄介なんだ、と燈矢はよくぐちぐちと愚痴を零していたけれど、むしろそこが弓彦の強みでもあるのかもしれない。
「それじゃ、燈矢。あとはよろしくね」
「い、言われなくても。僕に任せてください。姉上は絶対、連れて帰りますから」
なにやら正義感を漂わせながら宣言した燈矢に、弓彦は苦笑する。
経験上、ここで諭しても無駄だとわかっているのだろう。彼はあえてなにも否定の言葉を返すことはなく、絃に向かって微笑むだけに留めた。
(兄さまは相変わらずね)
あっという間に去っていった兄を見送り、絃は小さくため息を吐く。
しかし、そこではたと、いつもそばにいてくれる存在がいないことに気がついた。
「っ、お鈴?」
結界の外を改めて見回してみるが、室内に控えている様子もない。倒れる前の記憶が脳裏を過り、まさかなにかあったんじゃとたちまち蒼白になる。
だが、絃が結界を飛び出すよりも先に、燈矢が焦燥を浮かべて口を開いた。
「待って。お鈴は無事だよ、姉上」
「本当……!?」
「うん。多少のかすり傷くらいで、目だって大きな怪我もない。目覚めるのも姉上よりずっと早かったから、もう侍女の仕事に戻ってもらってる」
「そう、なのね……」
お鈴の無事を聞き、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、妙な違和感を覚えた。
(いつもなら、片時も離れず看病してくれていそうなのに)
いや、もしかすると、ちょうど部屋から離れているときなのかもしれない。
なにせここは冷泉の本邸のようだし、いつも以上に侍女の仕事があるのだろう。絃が目覚めたと報せが届けば、きっと誰よりも早く駆けつけてくれるはずだ。
「……本当に、お鈴が無事でよかった」
ぽつりと零すと、なぜか燈矢は複雑そうな顔をして目を逸らしてしまう。
「燈矢? どうしたの?」
「いや……。姉上はほんと、優しいなって」
言葉の意味を測りかねて返答に困っていると、燈矢はふっと自嘲気味に笑った。
ただそれは一瞬のことで、すぐに真面目な表情に移り変わる。
「なんでもないんだ。ただ、僕がお鈴だったらって考えると複雑なだけ。──まあいいや。とりあえず、今回なにが起こったのかを説明するよ」
◇
「横になっていなくて大丈夫か、絃」
「わたしはもう大丈夫です。むしろ、士琉さまの方がお疲れなのでは……」