(確か、月代から月華まで運んでくれた駕籠舁の……海成さん?)

 首の後ろで一本括りにした藍色の長髪。錫色(すずいろ)の瞳。多少のあどけなさを残しながらも意志の強そうな相貌は、しかし以前より切迫した雰囲気を纏っている。

「なんだ、海成。なにがあった」

「お休みのところ申し訳ございません。ちょうど近くを通りがかり、隊長のお姿を発見しまして……。千隼副隊長がどこにいらっしゃるか知りませんか」

「千隼ならそこにいるが」

 士琉が目を向けた先を絃も視線で追う。海成に気がついたのか、千隼はすでにこちらへ駆けてきていた。その後ろには、お鈴もついてきている。

「なに、どしたの」

 端的に問いかけた千隼の面差しは、完全に軍士の構えへ切り替わっていた。
 おちゃらけた雰囲気はどこにもない。ぴんと糸が張ったように表情を削ぎ落とした顔は、いっそ鳥肌が立ちそうになるほどだ。絃はごくりと息を呑む。

「捜しました、千隼副隊長。──報告申し上げます。この先、西部と南部の境付近にて火事が発生したとのことです」

 海成が敬礼したその瞬間、場の空気がぴりっと張り詰めた。
 千隼だけではなく、士琉までも両目を眇める。
 事態が急を要することだと察したのだろう。千隼は軍帽を被り直しながら「経緯は」と眼光鋭く続けた。

「詳細はまだわかりかねますが、民から通報がありました。火の程度は不明。怪我人の報告は受けていません。状況的に憑魔関連だろうと見通しをつけ、ひとまず手の空いている者が調査に向かっています。ただ、現場の指揮官がいないとのことで」

「ああ、それでおれね。了解、行くよ」

 瞬時に報告内容を呑み込んだ千隼は、頷きながら二本の尻尾を出現させた。

「てことで隊長、おれ行きますね」

「ああ」

「あー、お鈴ちゃん。おふたりの邪魔をしないようにって気持ちはわかるけど、女の子のひとり歩きは危険だから気をつけるんだよ」

 お鈴にひとこと言いおくと、千隼は普通の人間ではありえない跳躍(ちょうやく)を見せ、団子屋の屋根に飛び乗った。そのまま、目にも追えない速さで南の方へ駆けていく。

「千隼副隊長、ちょ、待っ……速いなあもう! 隊長、では僕も失礼します。奥さまもお休みのところ申し訳ございませんでした」

 見事に置いていかれたらしい海成は、ふたたび敬礼してみせたあと、自分も屋根に飛び乗り追いかける。千隼ほどではないが、彼も相当な速さだった。なんの継叉かはわからなかったものの、やはり継叉特務隊に所属する者は規格外だ。
 嵐のように去っていった彼らに、絃とお鈴は自然と顔を見合わせる。

「お鈴も、あんなふうに走れる?」

「訊かれると思いましたけど、無理です。継特の方には敵いませんよ」

 風狸の継叉であるお鈴の能力は、おもにつむじ風を起こせることと、爪を鋭利に変化させられることだという。侍女職である以上、力を行使する機会は少ないものの、絃にもときおり面白半分で見せてくれたことがあった。
 だが、使いようによっては戦闘の武器として優秀な力ではあるのだろう。千桔梗にいた頃、弓彦がたまに『お鈴も祓魔師になればいいのに』と零していた。
 お鈴は頑なに絃の専属侍女という立場を望み、決して譲らなかったらしいけれど。

(……きっと、わたしがお鈴を縛ってしまっているのね)

 思わず物思いに耽りそうになったそのとき、士琉がいまだ厳しい顔で千隼たちが去っていった方向を見つめていることに気づいた。