どうしてそこで千隼さんの名前が、と絃が困惑したのもつかの間、その猫はひらりと舞うように飛び上がり、宙で一回転。軽い足音と共に着地する。

「いやーごめんね、絃ちゃん。驚かせちゃった?」

 一瞬で人間の姿に変化し地に降り立った相手を見て、絃は目を白黒させた。

「ち、千隼さん……!?」

「うん、予想通りの反応で気持ちがい──なーんて言ってる場合じゃないね。こっちを見てるお鈴ちゃんの目が殺気で溢れてるし、隊長も怖いし、あーやだやだ」

 千隼はいつもの調子で肩を竦めると、ぽかんとしている九折の方を振り返る。

「おっちゃんごめん。持ち帰り用でお団子ちょうだい。餡子とみたらし二本ずつね」

「へ? あ、ああ、はいよ!」

 我に返った九折は、慌てて店内へ引っ込むとすぐに戻ってきた。
 その手には葉書ほどの薄手の笹袋。餡子とみたらしが二本ずつ刺さっている。芳ばしい醤油と、甘味特有の脳を(とろ)かすような香りが鼻腔を抜けた。

「さっき焼いたばかりのもんですぜ。熱いから火傷には気をつけてくんなせえ」

「ありがと。はいこれ、お金ね。ちょっとオマケしてあるから、次回あの子がこのへん通りがかったらお団子あげてよ」

「さ、さっきのお嬢さんか? 承知した」

「うん、よろしくね。てことで、隊長と絃ちゃん。お鈴ちゃんのことはおれが責任持って見とくから、存分にお休み楽しんで? じゃっ」

「え、ちょ……っ」

 なぜかはわからないが、この様子だと事情はすべて把握しているのだろう。
 絃が呆気に取られているうちに、千隼はさっさと隠れているお鈴の方へ駆けていってしまった。もはやこちらが声をかける隙もない。

(い、意外とせっかちな方なのかしら……)

 お鈴は自分の方に駆け寄ってきた千隼にぎょっとしたようだが、差し出されたお団子にころっと態度を変えた。
 こちらの方まで「いいんですか!?」とはしゃいだ声が聞こえてくる。
 丸い目を輝かせて嬉しそうに笹袋を受け取る侍女の姿を見届けた絃は、ひとまずよかったと胸を撫で下ろした。絃はお鈴のあの姿が見たかったのだ。

「まったく。あいつは仕事を放ってなにをしに来たんだ」

「そういえば千隼さん、軍服でしたね。お仕事の最中だったのに、お鈴のことを気にかけてくださって……。ありがたいですけど、申し訳ないです」

「いや、好きでやってるんだろう。本当に、よほど気にかけてるんだな」

 士琉はどこか複雑そうに千隼を一瞥したが、すぐに絃へ意識を戻した。そよ風に(なび)く絃の髪をやんわりと押さえるように右手で梳き、ふっと相好(そうごう)を崩す。

「まあ、千隼がいればお鈴も安心だ。気を取り直して、俺たちも休憩にしよう」

「あ……はい。そうですね」

 士琉の零した含みのある言葉が気になったものの、さすがに言及できる雰囲気ではない。今日は士琉との外出なのだから、そちらに集中しなくては。

(初めての月華探索だもの。わたしも、ちゃんと楽しまなくちゃよね)

 ひとまず千隼なら大丈夫だろうと判断し、絃は気持ちを切り替えたのだった。



 番傘の下に設えられた長椅子にて団子休憩を取り始めてから、数刻。あまりの美味しさに、絃が三本目のみたらし串を手に取ったときだった。

「隊長!」

 切羽詰まった声と共に、突然隣家の屋根から継叉特務隊の軍服を纏った若い男が飛び降りてきた。どうやら今日はよく頭上から人が降ってくる日らしい。
 心臓がひゅんっと竦み、危うくみたらし串を落としかけた絃だったが、すぐに見覚えのある少年であることに気づく。