どこか哀しい含みを持たせて呟くと、千隼は大きく伸びをした。ここ連日、事件の後処理と調査に追われているせいで、さすがに疲れが溜まっているのだろう。

「もう休め、千隼。今日は泊っていくのか」

「あー、ですね。今から寮に戻るのも面倒だし、仮眠室かな。隊長は?」

「俺は帰るぞ。絃たちが心配だからな」

「さすがにもう寝てる時間じゃありません? あ、護衛もかねて?」

 いや、と士琉は立ち上がりながら渋い顔で首を振る。

「おそらく、絃は起きてる」

「え。不規則な生活は身体に悪いですよ」

「……絃のあれは、そう簡単な話でもないような気がしてな」

 一度、きちんと話をするべきだろうとは思っていた。されども、不用意に踏み込んで距離を取られてしまっては元も子もないため、機会を窺っていたのだが。

(最近の様子からしても、やはり早めにどうにかせねばなるまい。今日の件も絃の心に負担をかけているだろうし……さて、どうしたものか)

 思案に暮れながら、外套を羽織る。
 駐屯所を出ればひんやりとした冷気が頬を撫で、士琉は自然と空を見上げた。銀湾(ぎんわん)のなかに浮かぶ上弦を過ぎた頃の月は、こんな日でも静謐(せいひつ)な美しさを纏っていた。
 昔から、士琉はこうしてよく夜の帳が降りた空をひとり見上げる。
 誰にも邪魔されない場所で、ただただ月の満ち欠けを眺めるのが好きなのだ。
 そうすると、どこにいても絃を感じることができるから。

(そろそろあの場所へ連れていってもいいかもしれんな)

 士琉が絃のためにできることなど、たかが知れているのかもしれない。
 けれど、ほんのわずかでも救える可能性があるのなら、と足掻いてしまう。
 嫌だと、死にたいと、壊れた人形のように泣く彼女が脳裏を過るから。

 傷ついて、傷ついて、傷つきすぎて。
 もはや傷つくところすらどこにも残っていないだろうに。
 しかし絃はまだ、あの血溜まりの──……赤のなかにいるようでならない。
 

 だとすればやはり、あの約束はまだ果たされていないのだ。