「家柄も地位的にも同じくらいだし、お給料もそこそこ。ついでにおれ、顔だって悪くないでしょ? ……ま、どれも隊長には及ばないかもしれないけどさ」
「え……」
「でもほら、好みとか波長って大事だし? なにはともあれ、きっとおれでもそれなりに満足させてあげら」
「天誅──!!」
急に口説き始めた千隼が、あろうことか絃の手を取った瞬間、絃の背後に控えていたお鈴が突如、宙を舞った。
鋭い爪が、千隼の頭上から一直線に振り下ろされる。
だが千隼はさすがの反応速度を発揮し、宙返りで後方へ避けた。
突然の襲撃に継叉の力を使わざるを得なかったのだろう。ぴょこんと現れた耳と尻尾を忙しなく左右に揺らしながら、千隼が戦慄する。
「え、なになになになに? 怖っ、なに?」
「黙って聞いてりゃペラペラペラペラと! うちのお嬢さまを口説くだなんて百万年早いんですよ! 満足させてあげられる? 無理ですね! うちのお嬢さまを任せられるのは、旦那さま以外にいらっしゃいませんっ!」
「いや待って。君、誰よ」
「お嬢さまの専属侍女ですっ! あなたが猫ならお鈴は狸、さあいざ尋常にお相手してさしあげましょう!」
髪と同じ樺茶色の耳を生やし戦闘態勢に入ったお鈴が、全身につむじ風を纏わせ始める。生易しいものではない。突風を小さく丸めたような風だ。
床の間の掛け軸がばたばたと波打ち、士琉が身につける外套の裾がはためいた。
背後では、絃の長い髪が扇のように舞い上がる。それに驚いたらしい彼女がよろめいたのを見て、士琉はとっさに自分の方へ引き寄せた。
(風狸か、お鈴は)
侍女職に勤しむお鈴は祓魔師ではないが、やはり月代の血を引く者。あえて追求はしてこなかったものの、なにかしらの継叉ではあるのだろうとは予測していた。
加えて月代は、風にまつわるあやかしとの縁が強いと聞く。
現当主である弓彦や次男が有する〝天狗〟も然りだ。
まあ、自在に操ることができるとまではいかずとも、五大元素を司る力を行使できる者は継叉のなかでも上位に値する存在だ。
さすが五大名家内で頭角を現す一族とでも言うべきか、本家の者でなくとも優秀な継叉が揃っているらしい。
それは素直に賞賛できるとして、さすがにこの室内で暴れられては困る。
そう思い、士琉が止めに入ろうとしたそのときだった。
「お鈴、やめて」
絃の短い声が波立つ空気を切った。
決して声量があるわけではないにもかかわらず、どこまでも広がる鈴の音のように透き通った声。
怒気もない、ただ静かな命令──否、お願いだった。
その途端、息巻いていたお鈴はつむじ風を鎮めて鋭い爪も仕舞い込む。
振り返りながらしゅんと肩をすぼめたお鈴からは、いつもの快活な気風も覇気も消失していた。しかし上目がちに絃を見る彼女の表情には、不満も垣間見える。
「……でも、お嬢さま。あの男はお嬢さまに触れやがりました」
「大丈夫よ、危害を加えられたわけではないもの。それより、こんな狭い空間で暴れてはだめ。せっかくのお屋敷が壊れてしまったら大変でしょう?」
「はい……。ごめんなさい、お嬢さま」
幼子を窘めるように叱られたお鈴は、どんよりと士琉の方を振り返った。さきほどの威勢はどこへやら、今にも泣きそうな顔でぺこりと頭を下げる。
「士琉さまも、すみませんでした。畳をだめにしてしまって」
「ああ、いや。畳一枚などすぐに替えられるし、気にしなくていい。もとはと言えば悪ふざけをした千隼に非があるしな」