あいつ、と気軽な呼び方をしていることからして知り合いではあるらしい。
 しかし、士琉のこの反応は絃も不安を覚える。もしや、あまり歓迎されないような相手なのだろうか。

「士琉さま?」

「着いて早々すまない。少々、疲れさせることになるやもしれん」

 意味を測りかねる返答に、絃とお鈴は思わず顔を見合わせた。



「あ、どもども。隊長、おかえりなさーい」

 稲穂のような亜麻色の髪。ややつり気味の眦と黄金の瞳。笑ったときにちらりと見える八重歯が、そこはかとなく猫を彷彿とさせるその男──千隼(ちはや)を視界に捉えた瞬間、士琉はくらりと眩暈を覚えて深いため息を吐いた。

「……なぜいるんだ、おまえは」

 千隼は張り替えたばかりの客間の畳に両足を伸ばし、醤油の芳ばしい香りが漂う煎餅を口いっぱいに頬張っていた。
 口端には食べかすがついているし、まるで我が家の様相である。士琉にとっては見慣れた光景だが、何度目撃してもげんなりするのは変わらない。

「なぜと言われても、隊長がそろそろ帰ってくるってんで報告義務を果たしにきたんですよ。ついでに月代のお嬢さんにご挨拶ってね」

 そう言うと、千隼は手を使わず腹筋だけで跳ね上がるように起立した。

「しっかし、まあ」

 士琉の後ろからそろっと顔を出した絃を見て、千隼は猫目を丸くした。そして絃の顔を覗き込むように近づいたかと思えば、顎に指を添えしげしげと見つめ出す。

「なんちゅうべっぴんさん。お人形さんかな」

「……それ以上近づけば外へ叩き出すぞ、千隼」

「いや、褒めてるだけでしょーに。──んま、最初だしちゃんとご挨拶はさせていただきますよ。やあやあはじめまして、月代のお嬢さん。灯翆月華軍継叉特務隊所属、副隊長の安曇(あずみ)千隼でーす」

 放り投げられていた軍帽を被り直し、千隼は慣れた仕草で敬礼してみせた。この国の軍士は、握った拳を胸に当てることで敬意を示すのだ。
 平均よりやや低めの背丈と中性的な顔立ちゆえ外見からはわかりにくいが、継叉特務隊では士琉の次位に就く存在である。
 齢二十二にして現在の地位まで上り詰めただけあり、実力は相当なものだ。上司である士琉も、その点に関しては私情も含めとくに評価していた。

「ちなみに猫又(ねこまた)の継叉だから、たまに猫耳やら尻尾やら生えちゃったりするけど驚かないでね。どーぞ、よしなに」

「よ、よろしくお願いいたします。月代絃と申します」

 千隼相手にも丁寧に頭を下げつつ、絃はやや思案気に首を傾げた。

「あの……失礼ですが、もしかして五大名家の方でしょうか?」

「うん、そーだよ。安曇ね。まー、おれは次期当主でもなんでもないんだけど。正確には次期当主の従兄弟(いとこ)になるのかな? ごめん。あんまキョーミなくて」

 軍士とは思えないほど軽い口調だが、千隼は常にこの調子だ。
 飄々(ひょうひょう)としていて、この男を形作るものを掴めない。転がすだけ転がして、相手を自分の領域に引き込み、思うがまま呑み込んでしまう。
 ある意味、その奇矯さは継叉特務隊の者として武器にはなるのだが、ひとりの人間としては扱いに困ることが多々あった。
 士琉とて、いまだに振り回される。

「それにしても、隊長にはもったいないくらいの美人さんだね~。いやほんと、こんな可愛い子に会ったの初めてだよ。ねね、今からおれに乗り換えない?」

「はい?」

 絃がぽかんとしたのと同時、士琉はぽき、と指の骨を鳴らしていた。それはほぼ無意識であったが、己の目が据わっていくのは嫌味なくらい感じられる。