全体を通して清洒な雰囲気は、どちらかと言えば月代本家に近いだろうか。
「本当なら新居を用意してやりたかったんだが、いろいろと難しくてな。月華内の空いている屋敷で、条件的にいちばんよさそうな家がここだった」
「条件、ですか?」
「第一に、君を護ることができる家だ。もう気づいているだろうが、この屋敷は全体に結界を張っている。といっても月代の離れほど強固なものではなく、あくまで妖魔をはじめとした邪や穢れの侵入を禁ずる程度のものだが」
確かに、屋敷を囲む石垣には結界術に用いられる呪が書き込まれていた。おそらくこの呪で屋敷を囲うことで、その内部を結界として確立させているのだろう。
大門の支柱や吊り灯篭の裏など、ところどころに魔除けの護符も見られる。玄関口にはこんもりと盛り塩が設えてあり、まさに万全な妖魔対策だ。
「なんというか、一見お化け屋敷みたいですねえ」
一瞬だけ絃も思ってしまったことを、お鈴がなんの遠慮もなく口にする。
「お、お鈴、だめよ。そんなこと言ったら」
「いや……。実際、護りを強固したぶん景観が損なわれているのは否めないしな。どうにかならないかと模索中だから、今は見逃してくれると助かる」
苦笑いで「すまない」と謝った士琉に、絃はとんでもないと首を振った。
「むしろ、わたしなんかのためにここまでしていただいて申し訳ないです。結界ならこれまで通り一室でもよろしかったのに……」
「しかし、それだと行動範囲が狭まるだろう? せっかくなら、のびのびと過ごしてほしいからな。妻になるべく不便はかけたくない」
「っ……」
自然と発せられた〝妻〟という言葉に、絃はどぎまぎしてしまう。
(そ、そうよね。まだ正式に婚姻を結んだわけではないけれど)
士琉と正式に契りを交わすのは、絃がこちらでの生活が慣れてからという話になっている。つまり、現在の状態を正確に言うと婚約者となるわけだ。
それでも、やはりまだ、実感は湧かない。自分が士琉の妻になるのだと思うと、どうにも雲を掴むような非現実さの方が勝ってしまって。
(ちゃんとしなくちゃ……。ここでのお役目をしっかり果たすためにも)
必要とされなくなることだけは、なにがなんでも避けたい。
──そう、まずは、士琉が求める〝完璧な妻〟にならなければ。
「絃がこちらでも安心して暮らしていけるよう、この屋敷の他にも随所に手は回しているんだが。まあそれはおいおいだな。ひとまず、なかに入ろうか」
「は、はい。士琉さま」
士琉に先に入るよう促され、絃は緊張で身を硬くしながらぎこちなく門を潜る。
(あっ……すごい)
一歩、敷地に足を踏み入れた瞬間、絃はぶるりと全身を粟立たせた。
澄みきった空気。いっさい淀みのない空間。
陰の気がわずかも感じられない。隅々まで満ちる清らかな気に反応したのか、自分の身体に流れる霊力がじわりと熱を帯びた気がした。
(士琉さまは強固な結界ではないと仰っていたけれど……違う。邪や穢れに特化しているからこそ、むしろ妖魔には強い効果を発揮する結界なのね)
月代では、陰の気だけではなく、すべてを遮断する結界を張っていた。
それは十年前──幼き頃の絃が、対妖魔だけではなく、完全に外界との接触を絶ちたいと願ったからだ。
望んだのは、人も、人ならざるモノも拒絶できる結界。結界術ではもっとも高度だとされるそれを、弓彦は独学で取得して施してくれた。
けれど、今は状況が違う。
お役目のために外へ出ると決意して、この月華までやってきた。