「はは、優しい子だ。ありがとう。最近は、ただ起きているだけでもきつくてな」
そう言いながら、桂樹はふたたび身体を横たえる。
しわがれた声には覇気がない。命の気配が、限りなく薄い。絃は胸を締めつけられるような感覚を覚えて、知らず唇を横に引き結ぶ。
(もうずっと寝たきり、ということよね……?)
檜の床柱で構成された格式高い真の座敷だ。
しかし、繊細な南天柄が施された鶯色の畳縁にところどころ解れが窺えることから、長らく桂樹がここで過ごしてきたことが察せられる。
床の間に飾られた六つの瓢箪が描かれた掛け軸は、この状態の桂樹を前にあまりに皮肉的で、さすがに直視できず、すぐに目を逸らす。
おそらく、焚かれているのは白檀の香なのだろう。白檀の香りには精神の安定を促す効果の他、血行促進や鎮静作用の効能もあると言われている。
士琉から感じた香りと同じものが鼻腔をくすぐり、そこに親子の繋がりを感じ取る一方で、少しでも桂樹の状態をよくしようという切実な思いが伝わってきた。
「絃さん、と呼んでもいいかな。──死ぬ前に、君と会えてよかった」
絃がはっと息を呑んだ隣で、眉間にきつく皺を寄せた士琉が「父上……!」とわずかな怒気をはらんだ声を上げた。
「そんな縁起でもないことを仰らないでいただきたい」
「そう怒るな、士琉。私の命がもう残り少ないのは事実なのだから」
「ですから、あなた自身がそれを受け入れてはならぬと申しているのです」
士琉の膝に乗せられた両の手指は、あらゆる感情を抑え込むように強く内に握り込まれていた。
それを横目で見遣った絃は、士琉の心の内を思って無性に悲しくなる。
「絃さん」
「っ、はい」
思わず俯きかけたところで名を呼ばれ、絃は慌てて顔を上げた。
桂樹は至極穏やかな金色の双眸を絃に向けていた。だが、その眼差しの奥深くにはこちらの真意を隅々まで覗くような底知れぬ鋭さがある。
その炯眼は、やはり士琉とよく似ていた。背筋にひやりとしたものが走り身を硬くすると、桂樹は核心を突くように口火を切った。
「君も知っているだろうが、士琉は跡取りのために引き取った養子で、私とは血が繋がっていなくてね。包み隠さず言ってしまえば、君と士琉の結婚は冷泉に継叉を途切れさせないために持ち掛けさせてもらった」
「は……はい、存じております」
冷泉家には、正統な跡取りがいない。現在次期当主とされている士琉は、冷泉の血を継いでいない養子である──。
それ自体は世にも公言されているし、誰もが耳にしたことのある話であろう。
それに、継叉の頭数が年々減少傾向にあるこのご時世、灯翆国を代表する五大名家としてはどこも他人事ではない。
自家についても憂慮せざるを得ない事項なのだ。
現に弓彦からも、そうなった場合に行き着く未来の話をされたことがある。
「無論、弓彦殿にも承諾をもらって成り立っているものゆえ、当主同士で誓約書も交わしている。つまり、世に公表できる正式な政略結婚になるわけだが」
「はい」
「……しかしな、五大名家同士の婚姻はこれまでの常識からすれば言語道断──御法度とすらされていた所業だ。正直、世間には納得しない者もいるだろう」
絃は思わず息を詰めて、桂樹を見つめた。