結界のなかにいれば、少なくともあの日のような悲劇を招かずに済むから。
けれど、今さら引き返すことなどできやしない。こうなることを覚悟したうえで受け入れた縁談なのだ。絃は己の危険性をきちんと理解して、ここにいる。
ならばせめて、周囲に余計な心配をかけぬように。
絃のことで気を揉ませないように、振る舞わなければ。
でなければ、要らないと言われてしまう。
やはり面倒だからと、縁談を流され、捨てられてしまう。
そうなったら、またも月代に迷惑をかけてしまうことになる。仮にも月代本家の娘として嫁に出されている以上、それだけはなにがあっても避けたい。
「……お気遣いありがとうございます、士琉さま。お鈴も。ですが、そこまで気にしていただかなくても、わたしは大丈夫ですよ」
当たり障りのない言葉を選んで返答すると、ふたりはなんとも言えない顔で黙り込んだ。どう声をかけたらいいのかわからない──そんな表情だ。
気の毒に思っているのか、あるいはこちらの考えを見透かしたうえでのだんまりか。
ともかくこちらの心情を悟られる前に話を変えようと、絃はなるべく表情に出さぬよう意識しながら、駕籠から少しだけ顔を覗かせて尋ねた。
「ところでみなさまは、お休みにならなくてよいのですか? さきほど休憩を取らずに行くと仰られていましたが、さすがに夜通しは厳しいのでは……」
「いや、鍛えているからな。俺は問題ないが。おまえたちはどうだ?」
士琉が振り返ると、駕籠舁の者たちは揃って拳を胸に当て、敬礼して見せた。
「問題ありません! 正直、日頃の鍛錬の方がきついくらいです!」
「右に同意です!」
「右とその右に同意です!」
今朝はあまりにも揃いすぎた動きに驚いたが、なるほど。確かに継叉特務隊の軍士だとわかれば納得できる。すべて日頃の訓練の賜物なのだろう。
湿っぽい空気を吹き飛ばすような快活な返事に淡々と頷きながら、唯一、他の三名に続かなかった少年軍士に士琉は目を向けた。
「海成はどうだ」
「僕も問題ありません。ここで夜通し妖魔の相手をするのも僕らにはいい鍛錬になりそうですが、今はお嬢さま方がいらっしゃいますからね」
どうやらこの少年軍士は、海成という名らしい。
従容たる返しに絃が感心していると、海成は注意深く周囲を観察しながら続ける。
「なんにせよ、一刻も早く妖魔境を抜けて宿屋を見つけた方が、お嬢さま方のお身体的にも最善だと思います。明日中に月代州を抜けてしまえれば、月華まで三日四日で到着できるでしょうから」
「ああ。おまえたちには無理を強いるが、やはりその方がいいだろうな」
士琉と海成の会話からは、互いへの信頼感が強く感じられた。
立場的には士琉の方が上なのだろうが、部下のことを蔑ろにしない士琉の姿は、絃の目に好意的に映る。他の三名の様子を見ていても、士琉が仲間内から慕われているのが伝わってきて、どうにも絃は胸をそわつかせてしまった。
(怖い方ではなさそう、だけれど……。そ、想像と違いすぎるわ)
いっそ虐げられる覚悟すらしていたのに、いったいどうしたことだろう。
現状からは、とてもそんな雰囲気はない。
「お嬢さま」
「っ……うん?」
「旦那さまが素敵そうな方でよかったですね。お鈴は少し安心しました」
複雑な心境に追い打ちをかけるかのような発言に、思わず絃は黙り込んだ。