方々、彼ら。その複数形にふと疑問を覚えると、漆黒の彼はおもむろに裏門の方を振り返った。思わず絃も、その視線の先を追う。

(あれは……駕籠?)

 そこには、長柄の華やかな姫駕籠(ひめかご)が二台と四名の駕籠舁が待ち構えていた。
 口布こそないものの、揃いも揃って漆黒の外套(がいとう)を身に纏っている。
 そんな彼らは、絃の視線に気づくと、必要以上に(うやうや)しく頭を垂れた。やたらと統率された動きに圧されながら、絃も慌てて会釈して返す。

「話はわからないが、そういうことだ。俺とあの者たちが護衛として絃嬢を〝月華〟まで送り届ける。護衛という限りは必ず護り抜くから安心してくれ」

 はっきりと断言され、絃はぱちぱちと目を瞬かせる。口調は硬いが、その物言いは決して怖いものではなく、むしろどこか温もりさえ感じられるのが不思議だった。

「あ、ありがとうございます」

「ああ。──絃嬢」

「はい?」

 こちらを見下ろす瑠璃の瞳が、どこか不安そうに揺らいだのがわかった。

「ひとつだけ、訊きたいのだが」

 それがいつかの記憶の欠片と一瞬だけ重なって脳裏を横切り、絃は固まる。しかしその記憶を深追いするよりも早く、漆黒の彼に冷え切った片手を掬い取られた。

「月華へ行くのは、怖いか」

(っ……え?)

 思いがけない問いかけに、思考までもが停止した。
 革手袋に遮られ、体温のない無機質な感触が伝わって。一方で、自分より二回り以上大きな手は、返答を促すことなく優しく絃の手を包み込んでいる。

(どうして、そんなことを……。わたし、怖がっているように見えた?)

 意図の読めない質問に戸惑いを隠せないまま、絃は俯いた。
 微風(びふう)に、絃の長い髪が小さくなびく。
 怖いか。怖くないか。
 直視しないようにしていた現実が浮き彫りになっていくのを感じながら、反芻(はんすう)するように己へ問いかけてみる。

「そう、ですね……。怖くないと言えば、嘘になるかもしれません」

 結界から出ること自体が恐ろしいのだ。心臓が竦むような恐怖は常に纏わりついているし、気を抜いたらきっと今にも膝が笑って立てなくなってしまう。
 けれど、そうなることなど、絃ははなからわかっていた。

(それでも、こんなわたしがお役に立てるというのだもの。ただ怖いからって突っぱねられるわけがない。そんなことをすれば、本当にわたしは──)

 これは、双方に利があるゆえの政略結婚だ。
 そこに絃の心など、想いなど、必要ない。
 月代のためになるのなら、己の心身くらい、いくらでも犠牲にできる。
 今ここで『怖いから』と引き返す選択は、そもそも存在しないのだ。

「……月華へ(おもむ)き、嫁ぐ。それは、これまで一族の(かせ)でしかなかったわたしが初めて与えられたお役目です。月代本家の娘として、そこにわずかでも価値が見出されるのなら、わたしはわたしのすべてを()ってお役目を全うしたいと思っています」

 漆黒の彼は、わずかに双眸(そうぼう)を細めて「価値、か」とぽつりと呟いた。
 なにか懸念(けねん)があるのだろうか。
 そもそも、どうして駕籠舁の彼からそのようなことを問われたのかわからず、絃は小さく首を傾げる。
 だが彼は核心(かくしん)には触れぬまま、なにかをぐっと飲み込むように絃の手を離した。

「──承知した。ならば、行こう。軍都〝月華〟へ」

「は、はい。よろしくお願いいたします」