やがて開け放たれた入口から煙と水蒸気が逃げ、視界が晴れた。あまりにも刹那のあいだに起きた出来事に、絃は状況を呑み込めないまま士琉に抱きつく。

「あ……桂樹、さま?」

 部屋の中心に佇んでいた彼の名を、しかし信じられないような気持ちで紡ぐ。
 彼の周囲には、青い炎を纏わせた車輪のようなものがいくつも浮かんでいた。
 畳はすべて黒く焼け焦げ、柱もすべて煤だらけ。この部屋だけ外とは比べものにならないほど燃焼の被害が大きいのは、おそらくあの車輪のせいだろう。

(あれは、桂樹さまの継叉の姿……?)

 寝たきりだった桂樹からは想像もつかないが、彼は確かにそこに立っていた。
 髪は乱れ、瞳は虚ろ。表情もまるで死人のように抜け落ちている。身につけた着流しは無残に破れ、それだけでもすでに一波乱あったことが見て取れた。

「お鈴が憑魔に乗っ取られていたときと、似てる……」

 だが、異常に呼吸は荒い。
 ひゅう、ひゅう、と風が掠れるような音がこちらまで聞こえてきている。あれはきっと、無理に酷使されている桂樹の身体が悲鳴を上げている音だろう。

「今の父上のお身体で継叉の力を使うなど、命を削るようなものだというのに」

「っ……」

 苦悶の表情でぽつりと落とした士琉の声を拾う。混乱しながらも室内を見回した絃は、部屋の隅に背を預けてへたり込んでいる弟の姿を見つけて戦慄した。

「燈矢っ!」

 士琉の腕から抜け出し、絃は転びそうになりながら燈矢のもとへ駆け寄る。
 意識はあるようだが、燈矢は左肩を押さえていた。桂樹との戦いで怪我を負ったのか、縦に切り裂かれた水干(すいかん)は、赤い血でじわじわと染まりつつある。

「姉上……なんで来ちゃうんだよ」

 苦痛に顔を歪め呼吸を荒らげながらも、燈矢は絃を見上げて瞳を揺らした。

「なんでって、燈矢を捜しに来たのよ」

「僕は姉上に心配してもらうほど弱くないから……なんて、こんな姿じゃ説得力もないけどさ。あーもう、兄上に見られたら鼻で笑われそうだ」

 皮肉を言う元気はあるらしい。意識ははっきりしているようだと安堵する。
 だがそれもつかの間、頬に熱風を感じて、絃ははっと振り返った。

「士琉さま……!」

 桂樹が放った青い炎玉を、士琉が水龍を操り、丸ごと飲み込んでいた。
 しかし相手の炎の勢いが強すぎるのか、水龍は一瞬で造形を崩し、蒸気と化す。

「キリがないな。一度すべて消してしまおう」

 そう言うと、士琉は両手を合わせ叩いた。
 室内に突如現れたのは、大きな水玉だ。かと思えば、それは針を刺したかのように勢いよく弾かれ、室内に大粒の雨が降り注ぐ。ただし、絃と燈矢のいる場所だけは傘でも差されているかのごとく避けられており、いっさい濡れてはいない。
 水玉を弾かせただけではなく、一粒一粒の雫まで丁寧に操っているのだろう。部屋の隅で火種を燻ぶらせていたものまで、抜かりなく消火しているようだった。
 ()ける場所がない水は、しばし室内を濡らし尽くす。

「すご……」

 燈矢が呆然と呟き、その光景に見入っていた。
 瞬く間に消し去られた炎と熱蒸気。立ち込めていた黒煙も纏めて洗い流されたおかげか、途端に呼吸がしやすくなった。視界も晴れ、現状がよく窺える。
 ずぶ濡れになったことで、桂樹が纏っていた片輪車の炎も消し去られたらしい。
 すぐにまた出してくるかと思いきや、桂樹はぐらりとふらつく。

「あっ」

 どうにか倒れはしなかったものの、左右に揺れたまま、なにやら苦しそうだ。
 ぽす、ぽす、と。桂樹の周囲に小さな歯車じみた片輪車が浮かんでは消える。