複雑そうに言い、士琉は眉間に深い皺を寄せた。

「……今、燈矢くんがひとりでそんなご当主の相手をしてて」

「燈矢が……!?」

「お鈴ちゃんが限界だったから、おれも留まるわけにはいかなかった。ごめん」

 千隼は桂樹と戦う燈矢を残して逃げてきたことを謝っているのだろう。
 だが、状況的に考えて、それは当然の選択だ。少なくとも、こうしてお鈴を救ってくれているのだから謝ることではないと、絃は首を横に振る。

「千隼さんは悪くありません。お鈴のことを、どうかよろしくお願いします」

「うん。必ず助けるよ」

 千隼は士琉に「あとは頼みます」と言い残すと、お鈴を背負い直して消火された廊下を走っていった。
 だが、相当無理をしているのだろう。その覚束ない足どりが心配になるけれど、今は信じて、お鈴と無事に脱出してくれることを祈るしかない。

「……千隼は、お鈴に妹を重ねて見てるんだろうな。自覚済みだからこそ、この選択に私情を挟んでいると思ってるのか」

「妹、ですか?」

 千隼の去った方向を見ながら呟いた士琉に、絃は戸惑いながら聞き返す。

「ああ。千隼は昔、最愛の妹を亡くしているんだ。生きていればちょうどお鈴と同い年になるから、どうしても重なるんだろう」

「そう、なんですね……」

 絃はじくりと痛みを伴った胸を服の上から押さえ、視線を落とした。

(千隼さんも、家族を亡くしていらっしゃったなんて)

 いつも飄々としていて、どんなときもあっけらかんと笑う千隼からは、そんな過去があったなんてちっとも想像ができない。
 けれども、納得もできた。気まぐれな猫そのもののように掴めない彼が、お鈴のことをとりわけ気にしている時点で、そこには意味があったのだろう。

(……千隼さんも喪うことの恐ろしさを知っているから、顔向けできないって言ったのね。万が一のとき、わたしや士琉さまが負う喪失を考えて)

 絃にとって、燈矢は大切な弟。
 士琉にとって、桂樹は大切な父。
 そして、誰かを優先すれば誰かを喪うかもしれない──喪う可能性が高いこの危機的状況で千隼はお鈴を選んだ。彼にとっては酷な選択だったのだろう。

 けれども、それはやはり謝ることではないと絃は思う。
 千隼も、お鈴も、見る限りもう限界だった。
 あんな状態で無理に全員を救おうとしたところで、誰ひとり救えず共倒れになる可能性も高い。もし、誰かひとりを選んで確実に救える命があるのなら、それは継叉特務隊に所属するいち軍士としてきっと正しい行動だ。

「大丈夫か、絃」

「……はい。桂樹さまと燈矢を、助けに行きましょう。千隼さんのためにも」

 そもそも、まだ喪うと決まったわけではないのだ。
 喪わないために、助けるために、危険を冒してここまで来た。
 諦めるのも、悲しむのも、まだ早い。

(もう忘れない。わたしはすべてを焼きつけて、受け入れて、進みたいから)

 だから、踏ん張るのだ。
 苦しくても、逃げたくても、今はまだ。



 士琉のあとに続いて桂樹の部屋へ飛び込んだ瞬間、鼓膜を突き破らんばかりの轟音が響いた。空気がびりびりと震撼し、屋敷が激しく軋み鳴る。
 なにごとかと確認する間もなかった。なぜか豪速でこちらに飛んできた文机を、とっさに士琉が水流を纏わせた太刀の柄で薙ぎ払う。
 士琉は振り返りながら絃を腕のなかへ囲い込み、同時に三体の水龍を放った。
 室内の炎が一瞬で鎮火され、むわり、と蒸気が室内に立ち込める。

(な、なにが起きてるの)