「君のことは俺が護る。いや、絃が護りたいと思うものもすべてだ。俺は絃にもうなにも喪わせない。……あのときの二の舞になるのは、俺も勘弁だからな」

 士琉は屈めていた身体を起こすと、素早く周囲へ目を走らせる。

「千隼がなかにいると言ったな?」

 漆黒の革手袋を嵌め直しながら、士琉は端的に尋ねた。
 海成が頷いたのを確認するや否や、横目に屋敷の様子を確認しながら、周囲に指示を出し始める。

「──軍士各位に告ぐ! 継特常駐組及び夜半討伐組は、周辺に湧き始めている妖魔の討伐に迎え! 通常部隊は隊長の指示を仰ぎながら民の誘導を優先、手が空いている者は各自、消火作業にあたれ! 医療班は怪我人の確認を行いながら、今後の救助人の対策を! ……そこ! あまり屋敷に近づきすぎるな! 煙にやられるぞ!」

 士琉の声に反応し、統率されていなかった場が一瞬で纏め上げられる。
 継叉特務隊の隊長もとい灯翆月華軍の総司令官。
 逆らう者などいるはずもなく、みなが士琉の指示を受け入れ、明確な目的を持って動き始めた。冷泉士琉という存在がどれだけ影響力を持った人間なのか手に取るようにわかる光景に、絃はこくりと息を呑む。

「海成は屋敷周辺に異常がないか確認しながら、我らの帰還を待て。千隼を見つけ次第先に帰すから、その後は千隼の指示に従うといい。茜の補佐もよろしく頼む」

「御意! ──どうかご無事で……!」

 海成はふたたび敬礼すると、律儀にも絃に頭を下げてから駆けていった。

(あの子……前から思っていたけど、すごい)

 絃よりも年下だろう少年が、この状況でいっさい混乱していないことに驚く。
 彼の背中を目で追っていることに気づいたのか、士琉が表情を緩ませた。

「ああ、海成は一年前に入隊した八剱の縁者でな。まだ未熟ではあるが、真面目でよく働く。継叉としても優秀だ。きっとそのうち前線で活躍するようになる」

 そう言った士琉が彼に向ける眼差しは温かかった。

 ときに厳しく、ときに優しく。

 他の追随を許さない圧倒的な強さを誇る士琉が隊を牽引しているからこそ、隊員たちはみな、安心して仕事に打ち込めるのだろう。
 だが、それはきっと、言葉で言うほど簡単なことではない。
 実力が伴わなければならないのは当然のこと、どんなに混沌とした状況でも場を纏め上げ、最善の結果を得るための的確な指揮を執る能力が必要となる。
 士琉はきっと、生まれながらに上に立つ者なのだ。
 そのうえで努力を重ね、研鑽を積んできた。元孤児という生い立ちをいっさい言い訳にすることなく、己のすべてを賭けて生きてきた。
 その強さが、絃は眩しかった。

「絃。火は俺の力で消しながら進むが、とにかく煙を吸わないように気をつけろ。それがいちばん厄介なんだ。短時間で戻るぞ」

「はい、士琉さま」

「……頼むから、無理だけはしないでくれ」

 絃に口を押さえるための手拭いを渡すと、士琉は「行くぞ」と手を差し出してきた。
 革手袋越しに自分の手を重ね、絃は覚悟を決めて頷いて返したのだった。



「……思っていたより、火が広がってるな」

 口布で顔半分を覆いながら、士琉はぱちんと指を擦り鳴らした。
 その瞬間、周囲に水が発生する。
 渦巻くように現れたのは、数体の水龍だ。
 幾多に連なる(うろこ)まで精巧に象られた水龍は、士琉と絃の周りを優雅に泳ぐ。体内には微細な水泡が煌めき、平瀬のように滑らかな流れが作られていた。
 今にも咆哮(ほうこう)を放ちそうなほどの迫力がある。