「落ち着け。本家の者たちはどうなってる? 全員避難できているか」
「いえ、それが……屋敷の者たちに確認を行っていますが、ご当主をはじめ、数名の姿が確認できておらず。おそらくは、まだ屋敷のなかだと思われます」
まだ屋敷のなか。
その言葉に戦慄し、絃はなかば反射的に海成に縋った。
「お鈴、お鈴は見ておりませんか? わたしの弟も姿が見えなくて……っ」
「そ、そちらに関してもご報告いたします。ついさきほど、お鈴さんが奥さまの姿が見えないと屋敷に飛び込まれまして」
「屋敷に……!?」
「はい。そのあとを千隼副隊長が追いかけられましたが、どちらもまだ帰還しておりません。奥さまの弟君に関しても、まだ確認は取れていないかと思われます」
海成は火の海となりつつある屋敷を見ながら、沈痛な表情で答えた。
(嘘でしょう……っ)
全身から血の気が引いた。甲高い耳鳴りに襲われ、ぐわんぐわんと激しい眩暈に襲われる。視界が波打つ炎に染まり、一瞬すべての音が遠くなった。
「だめ……そんなの、だめよ……っ」
「絃!」
思わず屋敷に向かって走り出そうとした絃の腕を掴んだのは士琉だ。
狼狽えながら振り返ると、士琉はこれまで見たことがないほどの怖い面持ちで首を横に振る。だめだ、という意味だとわかった瞬間、絃はくしゃりと顔を歪めた。
「おねが……お願いします、離して……っ」
「無理だ。離せば飛び込むつもりだろう」
「だって、お鈴がなかにいるのです! 燈矢も、桂樹さまも、千隼さんも……っ!」
たとえどんなに危険だったとしても、行かなければならない。
絃を捜して屋敷に戻ったというお鈴を、絃が責任を持って連れ帰らねば。
燈矢もそうだ。大事な家族、大事な弟。
いつも護ってもらってばかりだけれど、絃は姉なのだ。もしかしたら動けなくなっているかもしれないのに、ここで黙って待っていることなどできない。
「お願いします、士琉さま。どうか、行かせてください。わたしは、わたしはもう、誰も喪いたくないのです……っ!」
泣きながら、悲鳴にも似た叫びを放つ。その瞬間。
「ひゃ……っ」
絃はぐいっと士琉に引き寄せられた。そのまま抱き竦められ、息が詰まる。
鼻腔にふわりと広がったのは、甘やかながら優しい白檀の香りだ。
ああもう、と絃は涙を零しながら思う。
今日だけで、もう何度泣いて、何度こうして抱きしめられたかわからない。
心がついていかなくて、胸がずっと苦しい。
最悪と幸福は相殺しないのだ。怯弱な人の心が受け止めるには限界がある。
「落ち着け、絃。一度、深く呼吸しろ」
「士琉、さま」
「ああ、そうだ。上手いぞ。……思考が錯乱しているときは判断を見誤るからな。そういう状態がいちばん危険なんだ」
宥めるように後頭部を撫でつけられて、絃は浅く呼吸をしながら士琉を見上げる。
いつもと変わらぬ、しかし軍士の色を灯した端麗な風貌がそこにあった。宝石を嵌め込んだかのような瑠璃の瞳には、情けない顔をした自分が映っている。
その既視感に、千桔梗から月華へ向かう道すがらのことを思い出した。
(あ……。わたし、また、なにも見えなくなってた……?)
士琉は一度身体を離すと、絃と目線を合わせるように腰を屈めた。
よく聞いてくれ、と震える両肩に手が置かれる。
「お鈴や燈矢殿が心配なのもわかる。だが、ひとりでこの火の海へ飛び込んだところで自殺行為だ。ただでさえ混沌としたこの状況で、君まで姿が確認できなくなれば一大事……我々もしなくて済む取捨選択をせねばならなくなる」