三十六日間の忘れ物

「聖!? あんた」
「聖、やめろっ。手を出すな」
 僕は大きな声をあげていた。だけど聖は聞きもしない。
 思わず飛び出そうとすると同時に、美優の声が僕を止めていた。
「くんなっ。友希は私よりその子を選んだんでしょ。私の事は私がやる。これ以上、聖に間違いなんかさせないんだから」
 美優は僕を睨み付けると、すぐに聖へと向き直る。
 いつもよりもどこか厳しい顔をして、美優は聖と語りかけていた。
「きいたでしょ、聖。私はあんたを止めにきたの。あんたにおかしなことはして欲しくない。だから」
「美優さん」
 聖がゆっくりと美優の名を呼ぶ。普段と同じような笑顔で、聖は美優へと微笑みかけている。いつもの聖に戻ったようにも見えた。
「わかってくれた?」
 美優の問いにうなずくと、聖はどこか渇いた笑顔のままで告げていた。
「ええ。わかりました。美優さんは囚われている。だから彼女を消してしまわないと」
 聖はためいきまじりにつぶやくと、それから美優へと飛びかかっていた。
「聖っ、どうしてわかってくれないの」
 美優の顔が少しだけ泣きそうにゆがむ。
 一瞬のことだったから僕の見間違いだったのかもしれない。それでも心の中に、しっかりと刻み込まれた。
 美優はつっこんでくる聖を避けると、そのまま軽く走り出す。
「あんたじゃ私は捕らえられないから。いまのうちにやめた方がいい。まだいまなら勘弁したげるから」
 振り返って告げる台詞に、聖は微笑んでそれから右手をぎゅっと握り締めた。
「そうですよね。美優さんは綺麗で強くて賢くて。逆立ちしても俺、敵いません。でも。美優さんはナイフと対峙したことがありますか。刺されば死にますよ」
 聖のナイフが光に反射して見えた。
 いくら美優といえども、凶器を前にして冷静でいられないだろう。
 ナイフを手にした聖が美優へと迫っていく。
 やっぱり美優もナイフへの恐怖のためか、体をうまく動かせないようだった。
 だけど聖はナイフを突き立てることはなく、反対の手で美優をひねり上げていた。
「やっ……」
 痛みからか美優が小さな声を漏らす。
 もう僕はこれ以上、気持ちを抑える事は出来なかった。思わず叫びそうになる。だけど。
「やめて! その子に暴力を振るわないで!」
 僕が止めようとするよりも早く、ひなたの声が大きく響いていた。
 ひなたが僕から手を離して、聖の方へと少しだけ歩み寄っている。
「ひな! だめだっ」
 ひなたを止めようとして、その手を掴む。
 ひなたは軽く首を振るって、それから聖を睨み付けていた。
「どうするおつもりですか? 消える気になりましたか。貴方さえいなければ、もうこんなことにはならない。美優さんも笑っていられる。友希さんも迷いはしない。あんたはまるで魔女みたいだ。みんなから何もかも奪っていく」
 聖の言い分はあまりにも勝手だと思った。
 もし責められるべき人がいるなら、それは僕以外にはいない。僕が責め苦を負うべきで、ひなたには何の落ち度もない。
 ひなたを好きになったのも、ひなたを選んだのも、僕が決めた事だ。聖のせいでも美優のせいでもないし、ましてやひなたのせいでもない。ただ僕がひなたを選んだだけの話だ。ひなたが聖と対峙する必要なんてない。
 それなのにひなたは、聖とまっすぐ向かい合っていた。
「そうかもしれないね。私は、いろんな人を傷つけてしまっているのかもしれない。でも、私は私である事をやめないから。そう決めたんだから。だから」
 ひなたは大きく息を吸い込んでいた。
 そしてゆっくりと歌い始める。
 僕とひなたと美優と、記憶を共有した、あのドラマの歌を。
「あの空のように儚いけれど、僕はその手を重ねていた。あの空のようにうつろうけれど、僕は君を探していた……」
 ひなたの声が辺りに強く伝う。
 不意に響いた歌に美優の目に涙が浮かび始めていた。
「あ……」
 美優が唇から音を零した。
 震えている。
 ぎゅっと目を瞑った。
 誰にとっても想い出の歌だった。
 聖が拳を握りしめる。
「これ以上、歌うなぁ!?」
 聖はひなたに向かって走り始める。
 だがそれを止めたのは美優の手。
「聖っ。ばかはやめなさ……え!?」
 美優の顔が一瞬にして歪んだ。
 聖の手が美優を思いっきりなぎ払っていた。触れた相手が愛しいと思う人だとは思えないほどの勢いだった。
 美優の身体が背中から地面へと叩き付けられる。
「やっ……!?」
「聖!? お前」
 美優の叫びも僕の台詞も聖には聞こえていない。
 僕の前にいるひなたの元へと走りだそうとしていた。
 僕はひなたの前へと急いで回り込む。
 聖が僕を殴り飛ばしていた。
 なすすべもなく僕はごろごろと地面を転がっていた。
 それでもひなたは歌っていた。
 そうする以外には出来ないかのように、歌い続けていた。