「そう」
美優はゆっくりと僕の方へと振り返った。
その顔はとても静かに笑っていた。もっと怒るか泣くか、感情をあきらかにするかと思っていた。それなのに美優は笑っていた。笑っているように見えた。
「そんなの、許さない」
美優は僕の前まで歩み寄る。
震えていた。僕じゃなくて、美優の肩が。
笑っているように見えたけれど、ただ美優は壊れそうになる表情を必死で抑え込んでいるだけだ。でもそれは少しだけの事で、すぐに耐えきれなくなって、次第に崩れていく。
「美優」
「そしたら、私は一人になっちゃうんだから。私は、一人なんだから」
美優はすがるように僕を見つめていた。少しずつ震える体を寄せて、いつも気丈で、いつも強くあった美優が、ついにはぼろぼろと涙をこぼし始めていた。
「やだっ。なんで涙なんか出るの。友希のせいだ。友希の馬鹿。大嫌い」
美優は必死で涙を拭いて、それでもこぼれてくる涙の方がずっと大きかった。ぬぐってもぬぐっても美優の顔がぐしゃぐしゃに揺れていく。
「大嫌いだけど、どこにもいかないで。私のそばにいて。私から離れないでよ」
美優は僕から少しだけ離れた場所で、一人で泣いていた。崩れそうになりながらも、僕に近寄ろうとはしない。
いつもの美優の顔はなかった。そこにいるのは、まるで迷子の仔猫のように声を上げて泣き続ける知らない女の子。
僕はずっと美優のそばにいた。誰よりも美優の事を知っていると思っていた。
だけど、違った。
僕は、何にも知らなかったんだ。
美優が本当はどれだけ寂しさを抱えていたか。どれだけの辛さを覚えていたかなんて、まるでわかっちゃいなかったんだ。
美優はまるで小さな子供のように見えた。
今まで感じていた嘆きを、全て吐き出すかのように美優は泣いている。
美優は僕に近づいてこようとはしない。
だけど美優がすがりついて、僕を求めているように感じた。小さな子供が親の保護を求めるかのように。
それなのに僕はその手をとることも、ましてや抱きしめて救いを与える事もできなかった。自分の想いのために、美優を犠牲にしたんだ。
「ひとりに、しないでよ」
美優の声は少しずつ掠れて小さくなっていく。
いまその手をとれば、僕は美優を失わずに済むのかもしれない。
だけどそれは同時にひなたを失う事を意味していた。二人の内のどちらかを選ばなければいけない。そして僕はひなたを選んだ。
本当なら僕は美優の彼氏で、それは許されない事だ。それでも僕は自分の気持ちに嘘をつくことが出来なかった。思い出してしまった記憶は鮮烈で、僕の心を全て埋めてしまった。
どうして僕は傷つけてしまうのだろう。
美優を、ひなたも傷つけてしまった。忘れていた記憶が、二人を鋭利な刃物のように切り裂いていく。僕はただ翻弄されて流されていた。
僕はなぜ忘れてしまったのだろう。事故とは一体なんだったんだろう。わからない。思い出せない。それさえわかっていれば、僕は誰も傷つけずに済んだのかも知れないのに。
過ぎた時間は取り返しはつかない。そうわかっているのに、考えずにはいられない。こんな未来を望んでいた訳ではなかったのに。
だけど美優を傷つけた事実はもう変わらない。変えられない。
「ごめん」
一言だけつぶやくように告げる。それ以上の言葉は喉の奧に埋め込んだ。もしもそれ以上の言葉を漏らしたら、僕は美優を手放したくなくなるから。抱きしめてしまいそうになるから。でもそれは許されない。大切な幼なじみを、余計に傷つけてしまうから。
「謝るなっ。謝るくらいなら、初めから言わないで」
美優は激しく声を張り上げていた。
だけどそれ以上には何も出来ずに、美優はただ泣き続けた。美優がこんなにも弱々しく見えたのは、始めてのことだった。
僕はただ立ち尽くしていた。
すぐ近くにいるはずなのに、二人の距離はどんどん離れていって、もう遠い場所にいる。手の届く距離なのに、僕の手は届かない。
身体中の水分がなくなってしまうんじゃないかと思えるほど、長い間ずっと美優は泣き続けた。僕は何もできずにただそこにいた。
永遠に続くんじゃないかと思えたその時間は、美優の言葉と共に終わりを告げる。
「わかっていたの。こうなるなんてこと」
美優は僕とは目を合わせようとはせずに、ただうつむいたまま話し続ける。
「友希が忘れてしまったから。ぜんぶ忘れてしまったから。あの子の事を思い出す前なら、もしかしたら友希は私を見てくれるかも。そう思っていた。思い出してほしくないから、だから何も言わなかった。だけどさ。だけど。少しでも夢を見たかった。少しだけでも友希の隣を歩きたかった。でもやっぱり」
美優は少しだけ息をため込む。
そして吐き出すように告げた言葉は、思ってもいないものだった。
「再放送」
確かにそうつぶやいた美優の声は、今まで聞いたどんなものよりも、小さくて儚い声色をしていた。
「再放送だからってドラマの結末が変わる訳じゃあないのにね」
美優は顔を上げて僕の顔を見つめる。
少しだけうかべた笑みが、だけどそれなのに今までのどんな泣き顔よりも悲しく感じられた。
僕はもういちど美優に同じ想いを感じさせてしまったのだろう。
「友希の、ばかぁっ」
かすれるような声で叫んで、美優はそのまま走り出していく。
「美優っ」
思わず追いかけそうになって、だけど足を止めていた。
追いかけたとして、僕は何が出来るというのだろう。美優を余計に傷つけてしまうだけだろう。
もう僕は美優の手を取る事は出来ない。だから彼女を追う資格なんてない。
だから僕は足を止める。
僕はいま本当に美優を失ったのだ。その事を痛いほどに思い知らされた。
重たい喪失感が僕の上にのしかかる。
失いたくなんて無かったのに。
美優はゆっくりと僕の方へと振り返った。
その顔はとても静かに笑っていた。もっと怒るか泣くか、感情をあきらかにするかと思っていた。それなのに美優は笑っていた。笑っているように見えた。
「そんなの、許さない」
美優は僕の前まで歩み寄る。
震えていた。僕じゃなくて、美優の肩が。
笑っているように見えたけれど、ただ美優は壊れそうになる表情を必死で抑え込んでいるだけだ。でもそれは少しだけの事で、すぐに耐えきれなくなって、次第に崩れていく。
「美優」
「そしたら、私は一人になっちゃうんだから。私は、一人なんだから」
美優はすがるように僕を見つめていた。少しずつ震える体を寄せて、いつも気丈で、いつも強くあった美優が、ついにはぼろぼろと涙をこぼし始めていた。
「やだっ。なんで涙なんか出るの。友希のせいだ。友希の馬鹿。大嫌い」
美優は必死で涙を拭いて、それでもこぼれてくる涙の方がずっと大きかった。ぬぐってもぬぐっても美優の顔がぐしゃぐしゃに揺れていく。
「大嫌いだけど、どこにもいかないで。私のそばにいて。私から離れないでよ」
美優は僕から少しだけ離れた場所で、一人で泣いていた。崩れそうになりながらも、僕に近寄ろうとはしない。
いつもの美優の顔はなかった。そこにいるのは、まるで迷子の仔猫のように声を上げて泣き続ける知らない女の子。
僕はずっと美優のそばにいた。誰よりも美優の事を知っていると思っていた。
だけど、違った。
僕は、何にも知らなかったんだ。
美優が本当はどれだけ寂しさを抱えていたか。どれだけの辛さを覚えていたかなんて、まるでわかっちゃいなかったんだ。
美優はまるで小さな子供のように見えた。
今まで感じていた嘆きを、全て吐き出すかのように美優は泣いている。
美優は僕に近づいてこようとはしない。
だけど美優がすがりついて、僕を求めているように感じた。小さな子供が親の保護を求めるかのように。
それなのに僕はその手をとることも、ましてや抱きしめて救いを与える事もできなかった。自分の想いのために、美優を犠牲にしたんだ。
「ひとりに、しないでよ」
美優の声は少しずつ掠れて小さくなっていく。
いまその手をとれば、僕は美優を失わずに済むのかもしれない。
だけどそれは同時にひなたを失う事を意味していた。二人の内のどちらかを選ばなければいけない。そして僕はひなたを選んだ。
本当なら僕は美優の彼氏で、それは許されない事だ。それでも僕は自分の気持ちに嘘をつくことが出来なかった。思い出してしまった記憶は鮮烈で、僕の心を全て埋めてしまった。
どうして僕は傷つけてしまうのだろう。
美優を、ひなたも傷つけてしまった。忘れていた記憶が、二人を鋭利な刃物のように切り裂いていく。僕はただ翻弄されて流されていた。
僕はなぜ忘れてしまったのだろう。事故とは一体なんだったんだろう。わからない。思い出せない。それさえわかっていれば、僕は誰も傷つけずに済んだのかも知れないのに。
過ぎた時間は取り返しはつかない。そうわかっているのに、考えずにはいられない。こんな未来を望んでいた訳ではなかったのに。
だけど美優を傷つけた事実はもう変わらない。変えられない。
「ごめん」
一言だけつぶやくように告げる。それ以上の言葉は喉の奧に埋め込んだ。もしもそれ以上の言葉を漏らしたら、僕は美優を手放したくなくなるから。抱きしめてしまいそうになるから。でもそれは許されない。大切な幼なじみを、余計に傷つけてしまうから。
「謝るなっ。謝るくらいなら、初めから言わないで」
美優は激しく声を張り上げていた。
だけどそれ以上には何も出来ずに、美優はただ泣き続けた。美優がこんなにも弱々しく見えたのは、始めてのことだった。
僕はただ立ち尽くしていた。
すぐ近くにいるはずなのに、二人の距離はどんどん離れていって、もう遠い場所にいる。手の届く距離なのに、僕の手は届かない。
身体中の水分がなくなってしまうんじゃないかと思えるほど、長い間ずっと美優は泣き続けた。僕は何もできずにただそこにいた。
永遠に続くんじゃないかと思えたその時間は、美優の言葉と共に終わりを告げる。
「わかっていたの。こうなるなんてこと」
美優は僕とは目を合わせようとはせずに、ただうつむいたまま話し続ける。
「友希が忘れてしまったから。ぜんぶ忘れてしまったから。あの子の事を思い出す前なら、もしかしたら友希は私を見てくれるかも。そう思っていた。思い出してほしくないから、だから何も言わなかった。だけどさ。だけど。少しでも夢を見たかった。少しだけでも友希の隣を歩きたかった。でもやっぱり」
美優は少しだけ息をため込む。
そして吐き出すように告げた言葉は、思ってもいないものだった。
「再放送」
確かにそうつぶやいた美優の声は、今まで聞いたどんなものよりも、小さくて儚い声色をしていた。
「再放送だからってドラマの結末が変わる訳じゃあないのにね」
美優は顔を上げて僕の顔を見つめる。
少しだけうかべた笑みが、だけどそれなのに今までのどんな泣き顔よりも悲しく感じられた。
僕はもういちど美優に同じ想いを感じさせてしまったのだろう。
「友希の、ばかぁっ」
かすれるような声で叫んで、美優はそのまま走り出していく。
「美優っ」
思わず追いかけそうになって、だけど足を止めていた。
追いかけたとして、僕は何が出来るというのだろう。美優を余計に傷つけてしまうだけだろう。
もう僕は美優の手を取る事は出来ない。だから彼女を追う資格なんてない。
だから僕は足を止める。
僕はいま本当に美優を失ったのだ。その事を痛いほどに思い知らされた。
重たい喪失感が僕の上にのしかかる。
失いたくなんて無かったのに。