すぐこの奥にひなたがいる。思うだけで、心臓の鼓動が止まらない。
扉を叩いてみる。同時に扉の向こう側でちりんちりんと鈴の音が奏でられていた。
「どうぞ」
聞こえた声は、確かに記憶の中にあるひなたのものだった。何度となく聞いた、澄んだ優しい明るい声。
高鳴る胸を抑えながら、大きく息を吸い込む。
いちど目をつむって覚悟を決めると、ドアを開けて扉をくぐった。
中に見えたのは女の子らしい綺麗に整った部屋。右手に机が置いてあって、その奥にベッドがひとつ。いくつかぬいぐるみが、そのそばに飾られていた。
ベッドの上にひなたは腰掛けていた。
肩の辺りでふわりとカールした髪は、記憶の中にあるものとそれほどに変わらないけれど、少しばかり短くなっているかもしれない。
にこやかな優しく浮かんだ笑顔は、記憶の中で見たひなたの顔と同じものだった。
記憶と違うとすれば、淡いグリーンのパジャマ姿だった事だろうか。素肌にそのまま身につけているのか、ところどころ肌を覗かせていて、少しだけ目のやりばに困る。
ひなだ。確かにひながここにいる。僕の記憶の中にいるひなただ。
やっと会えた。それだけで胸がいっぱいになる。
ききたいことが沢山あった。話したいこともあった。
ひなたは笑っていた。記憶の中にある少女と同じ笑顔をいま僕に向けている。それだけで僕の目頭に涙すら浮かぼうとしていた。
何とかこらえるが、何から話せば良いのかもわからなかった。
だけど僕が口を開くよりもはやく、ひなたは笑顔を僕へと振りまいていた。
「友希くん、ひさしぶりだね」
「あ、うん。ひさしぶり」
ひなたは記憶の中と変わらずに、僕へといたずらな笑顔を向けて語りかけてくる。僕は慌てて挨拶を交わすと、それから事故の事やいままでの事を訊ねようとして口を開く。
「ちょっといいか――」
「で、友希くんはどうして今頃きたのかな」
しかしそれを遮るように、ひなたは再び声を投げかけてくる。
その声は浮かべている笑顔とは遠く離れた、辛辣な口調での台詞だった。
「僕は」
記憶を失っていたから。そう告げるのは簡単な事だった。だけどひなたが求めている言葉はそれじゃない。いまそれを伝えても言い訳にしかならない気がして、言葉を続けられなかった。
だけどひなたは僕が言葉を失っている事など気にもしていない様子で、すぐに話を続けていた。
「あの時からもう四ヶ月も経つんだね」
ひなたの言うあの時と言うのは、来てね、と言っていた大会の事だろうか。
あの日、僕は事故にあった。だがその事故の事も、その時の状況もはっきりとは分からない。かなりいろいろな事を思い出してはきたものの、まだどうしてもあの日の事は思い出せないでいる。
僕は大会に応援にいったのか。ひなたとは会えたのか。それともその前に事故に会ってしまったのか。そもそもあれは事故だったのか。
僕の中でいろんな気持ちがぐるぐると渦巻いて、ひなたに何と答えていいのかわからなかった。
「友希くんが来てくれるの。私、ずっと待っていたのにな」
ひなたの台詞に胸が締め付けられるようだった。
僕にとっての四ヶ月は、ひなの事を忘れていた時間だ。ひなたは僕の記憶に存在していないのだから、訪れようもなかったし、連絡もとることはなかった。
だから思い出した記憶はほんの数日前の事のようで、無くした時間を取り戻そうとしていまここにいる。
だけどひなたにとっては違う。もしかするとひなたは僕からの連絡を待っていたのかもしれない。もしかしたらライムも多数送ってくれていたのかもしれない。
ただ僕はしばらくの間は入院していて、事故のせいで手元にスマホをもっていなかった。壊れてしまったのだ。
連絡をとるとしたら美優くらいのものだったけれど、美優もそれほどライムを送ってくるタイプではない。それほど長い間の入院になるわけでも無かったから、退院した後に買い直しても十分だと考えていた。
だけどひなたは違った。学校も同じではないし、お互いの家も知らなかった。唯一の連絡手段は携帯電話だけだった。
ひなたともいつもはスマホなんていらなかった。あの海浜公園にいけば出会えていたから。約束を交わす必要なんてなかった。
だけどいま、その事がこうして二人の距離を離していたのかもしれなかった。
ひなたのライムのアカウントはもう消えていた。もしかしたらそれまでに何度も送ってきていたのかもしれない。だけどいつまでも返信がない僕に絶望して、とうとうアカウントを消してしまったのかもしれない。
わからない。わからなかった。
何も言えずにいた僕に、ひなたはすぐにどこか寂しそうに視線を落として、それから、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「私、待ってるの疲れちゃった。だからもう、会うのやめよ?」
ひなたの台詞に僕の時間が止まっていた。何を言われたのか、はっきりとわからなかった。予想もしていない言葉に、僕はのどの奥から何とか言葉を絞りだそうとして、でも声が出せなくて、ひゅうひゅうと渇いた音を響かせていただけだ。
会いたくて会いたくて、なんとか探し当てたその後に、待っていたのは別れの言葉だった。言葉を失って、それでも何か言おうと必死で頭の中を巡らせていた。
扉を叩いてみる。同時に扉の向こう側でちりんちりんと鈴の音が奏でられていた。
「どうぞ」
聞こえた声は、確かに記憶の中にあるひなたのものだった。何度となく聞いた、澄んだ優しい明るい声。
高鳴る胸を抑えながら、大きく息を吸い込む。
いちど目をつむって覚悟を決めると、ドアを開けて扉をくぐった。
中に見えたのは女の子らしい綺麗に整った部屋。右手に机が置いてあって、その奥にベッドがひとつ。いくつかぬいぐるみが、そのそばに飾られていた。
ベッドの上にひなたは腰掛けていた。
肩の辺りでふわりとカールした髪は、記憶の中にあるものとそれほどに変わらないけれど、少しばかり短くなっているかもしれない。
にこやかな優しく浮かんだ笑顔は、記憶の中で見たひなたの顔と同じものだった。
記憶と違うとすれば、淡いグリーンのパジャマ姿だった事だろうか。素肌にそのまま身につけているのか、ところどころ肌を覗かせていて、少しだけ目のやりばに困る。
ひなだ。確かにひながここにいる。僕の記憶の中にいるひなただ。
やっと会えた。それだけで胸がいっぱいになる。
ききたいことが沢山あった。話したいこともあった。
ひなたは笑っていた。記憶の中にある少女と同じ笑顔をいま僕に向けている。それだけで僕の目頭に涙すら浮かぼうとしていた。
何とかこらえるが、何から話せば良いのかもわからなかった。
だけど僕が口を開くよりもはやく、ひなたは笑顔を僕へと振りまいていた。
「友希くん、ひさしぶりだね」
「あ、うん。ひさしぶり」
ひなたは記憶の中と変わらずに、僕へといたずらな笑顔を向けて語りかけてくる。僕は慌てて挨拶を交わすと、それから事故の事やいままでの事を訊ねようとして口を開く。
「ちょっといいか――」
「で、友希くんはどうして今頃きたのかな」
しかしそれを遮るように、ひなたは再び声を投げかけてくる。
その声は浮かべている笑顔とは遠く離れた、辛辣な口調での台詞だった。
「僕は」
記憶を失っていたから。そう告げるのは簡単な事だった。だけどひなたが求めている言葉はそれじゃない。いまそれを伝えても言い訳にしかならない気がして、言葉を続けられなかった。
だけどひなたは僕が言葉を失っている事など気にもしていない様子で、すぐに話を続けていた。
「あの時からもう四ヶ月も経つんだね」
ひなたの言うあの時と言うのは、来てね、と言っていた大会の事だろうか。
あの日、僕は事故にあった。だがその事故の事も、その時の状況もはっきりとは分からない。かなりいろいろな事を思い出してはきたものの、まだどうしてもあの日の事は思い出せないでいる。
僕は大会に応援にいったのか。ひなたとは会えたのか。それともその前に事故に会ってしまったのか。そもそもあれは事故だったのか。
僕の中でいろんな気持ちがぐるぐると渦巻いて、ひなたに何と答えていいのかわからなかった。
「友希くんが来てくれるの。私、ずっと待っていたのにな」
ひなたの台詞に胸が締め付けられるようだった。
僕にとっての四ヶ月は、ひなの事を忘れていた時間だ。ひなたは僕の記憶に存在していないのだから、訪れようもなかったし、連絡もとることはなかった。
だから思い出した記憶はほんの数日前の事のようで、無くした時間を取り戻そうとしていまここにいる。
だけどひなたにとっては違う。もしかするとひなたは僕からの連絡を待っていたのかもしれない。もしかしたらライムも多数送ってくれていたのかもしれない。
ただ僕はしばらくの間は入院していて、事故のせいで手元にスマホをもっていなかった。壊れてしまったのだ。
連絡をとるとしたら美優くらいのものだったけれど、美優もそれほどライムを送ってくるタイプではない。それほど長い間の入院になるわけでも無かったから、退院した後に買い直しても十分だと考えていた。
だけどひなたは違った。学校も同じではないし、お互いの家も知らなかった。唯一の連絡手段は携帯電話だけだった。
ひなたともいつもはスマホなんていらなかった。あの海浜公園にいけば出会えていたから。約束を交わす必要なんてなかった。
だけどいま、その事がこうして二人の距離を離していたのかもしれなかった。
ひなたのライムのアカウントはもう消えていた。もしかしたらそれまでに何度も送ってきていたのかもしれない。だけどいつまでも返信がない僕に絶望して、とうとうアカウントを消してしまったのかもしれない。
わからない。わからなかった。
何も言えずにいた僕に、ひなたはすぐにどこか寂しそうに視線を落として、それから、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「私、待ってるの疲れちゃった。だからもう、会うのやめよ?」
ひなたの台詞に僕の時間が止まっていた。何を言われたのか、はっきりとわからなかった。予想もしていない言葉に、僕はのどの奥から何とか言葉を絞りだそうとして、でも声が出せなくて、ひゅうひゅうと渇いた音を響かせていただけだ。
会いたくて会いたくて、なんとか探し当てたその後に、待っていたのは別れの言葉だった。言葉を失って、それでも何か言おうと必死で頭の中を巡らせていた。