次の日。昨日とは違う区域を、同じように一つずつ捜し集めていく。
 昨日、歩きづくしだった為か足が鉛のように重いが、それでも僕は歩き続ける。
 簡単には見つからなかった。無為な時間が過ぎて、手かがり一つないまま昼にさしかかろうとしていた。
 少し腹の虫が鳴いたのを感じて、さすがに食事にしようと思う。本当はその時間も惜しい気がしたが、きちんと食べなければ体力が持たないだろう。
 コンビニでパンと牛乳を買って、近所の公園へと向かう。公園のベンチに座ってパンにかぶりついていた。
 夏休みだからか、子供の姿も多く目についた。恐らくはその保護者だろうおばさん達が、近くで井戸端会議にいそしんでいる。
 僕は特に意識もせずにその話を聞きながら、牛乳を飲み込む。ほとんど誰かの噂話ばかりで、あまり大した事は話していない。おばさんっていうのは噂話が好きだなと思う。
 だけど次の会話に、僕は思わず聞き耳を立てる。

「そういえば奥さん。最近、綾瀬さんすっかりみなくなりましたね」
「ああ、そういえばそうねぇ。ほら、あそこはお嬢さんがあんなことになってしまったから、やっぱり大変なのよ」

 綾瀬さん。確かにそう聞こえた。綾瀬と言う名字はかなり珍しい名字だ。噂話の主がひなの家である可能性はかなり高い。

「すみませんっ」

 僕は思わずそのおばさん達に声を掛けていた。

「え? なにかしら?」

 おばさんのうちの一人が僕の方へと振り返る。突然の事に驚いた顔を隠せずにいた。
 それでも僕はそんなことに構ってはいられなかった。やっと見つけた手がかりを離さないようにするだけで精一杯だった。

「あのっ、いまお話に出てた綾瀬さんちのお嬢さん。いったいどうされたんですか!?」
「え、えーっと」

 しかしおばさん達は言いよどむと、皆で顔を合わせていた。

「僕は彼女の友達なんです。でも最近会えなくて、心配していて。だから一体どうしたんですか!? 教えてくださいっ」
「いや、でもねぇ」
「そうよねぇ」

 僕の訴えにも、おばさん達は揃って口をつぐむ。
 綾瀬さんちのお嬢さんは、ひなたの事で間違いないだろう。やはりひなの身に何かが起きていたんだ。連絡がとれなくなったのも、それが原因である事は間違いないはずだ。
 ひなの身に何があったのか。それを思うと、激しく痛むように強く胸が鼓動していた。ばくばくと弾けるような心臓の音が、それだけで僕の焦燥を強く浮かべだしてくる。
 ひなたに会いたい。無事でいてほしい。その気持ちだけが、僕の中で回り続ける。

「教えてくださいっ。どうしても知りたいんですっ」

 僕はとにかく食い下がって、おばさん達へと深々と頭を下げる。
 僕は突然の来訪者で知らない相手だ。警戒されていても不思議ではない。ただひなとは年齢がほとんど変わらないから、友達だという事はたぶん疑われてはいないとは思う。
 むしろ困った様子のおばさん達は、僕の素性を疑っているというよりも、おそらくひなの事について言いよどんでいるように思える。やっぱりひなに何かがあったのだと思う。

「それは自分の目で確認した方がいいんじゃないかしらね」
「そうね。綾瀬さんち、ここから近いし。ほら、そこの角を曲がってまっすぐいったら右手にあるから、ね」

 おばさん達の一人が自分の口からはね、と言いつつも話を始めると、すぐにもう一人が家の場所を教えてくれていた。自分からは何があったのかは話をしたくないようだ。
 ただそれでもやっと見つけたてがかりに僕の心は焦燥に駆られていた。

「ありがとうございました。行ってみます」

 僕は頭を下げて、それからすぐに駆けだしていく。
 ひなに何が起きたのかはわからない。ただ家だけはわかった。
 ひなたに会える。それだけで僕の心は弾けそうなほどに高鳴っている。強く鼓動して、胸が激しく痛む。
 表札を見落とさないように、しっかりと確認しながら言われた場所に向かう。そして。

 綾瀬。

 そう表札に描かれた白い家をみつけて、僕の心臓は激しく鳴り響いた。
 何とか落ち着かせようと息を大きく吸い込む。まったく落ち着きは取り戻せない。
 それでも何とか息だけは整えると、家の呼び鈴を鳴らしていた。

『はい。どちらさまでしょうか』

 しばらくして女性の声がドアホン越しに響く。年配の女性のようだから、ひなたの母親だろうか。
 僕は何と答えればいいのか、少しばかり迷うものの、すぐにありのまま答えていた。

「えっと、僕はひなた……綾瀬さんの友達で、倉本といいます。あの、綾瀬さんは家に、いますか?」
『え、ひなちゃんのお友達?』

 ひなたの母親はあからさまに驚いた声で、慌てた様子で答えていた。

「あ、はい。そうです」

 僕はすぐにうなづく。でも友達がくる事がそんなに慌てるような事だろうか。確かに僕は男子だから、珍しい事かもしれないけれど。
 ただ母親はかなり狼狽した様子で、落ち着かない声が響いてくる。

『え、えーっと。そう、そうなの。……えっと。うん。あの。少し待っていてちょうだい』

 母親の混乱したような声と同時に、ドアホンがぶつりと音を立てて切れる。
 友達が訊ねてきただけにしては、ずいぶんと慌てているようだった。やはり先程のおばさん達の言うとおり、ひなたの身には何か起きているのだろうか。
 しばらく待つものの、なかなか戻ってくる様子はなかった。おそらくもう十分は経ったとは思う。
 このまま待っているべきか、それとももういちどベルをならしてみるべきだろうかと迷い始めたころ、やっと玄関のドアが開いていた。
 ひなたの母親だろう。三十代後半から四十代前半くらいと思われる女性が姿を現していた。しかしそこにはひなたの姿はない。

「お待たせしてごめんね。その、ひなちゃんは、部屋にいるから上がってもらえるかしら」

 母親はどこか歯切れの悪い声で呟くと、僕を家の中に招き入れる。その声が僕をますます不安にさせていく。
 ただ少なくとも最悪の事態は訪れていない事だけはわかって、そのことについてだけは少なからず安堵の息をついた。
 それでもひなたが玄関まで迎えにくるのではなく、部屋に向かってほしいというのは普通ではない。何かひなたがここにこられない理由があるのだろう。

「ひなちゃんの部屋は、二階の右の部屋だから。その、……ゆっくりしていってね」

 玄関を入ってすぐ前にある階段を指さして、ひなたの母親は僕をじっと見つめていた。
 何かを言いたそうにはしているのだけれど、何も口を開かなかった。
 これ以上玄関先にいても仕方がない。僕は一礼してから、すぐに階段を上っていた。
 ひなたの部屋。部屋には可愛らしい文字でかかれたプレートが飾られていた。ここにひなたがいる。
 僕は思わず息を飲み込んでいた。