——……さん、……やまさん!遠山さん!

 女の子の声が鼓膜を伝って、脳をグラグラと揺する。暗闇のなかで揺すられて、なんだか少し酔いそうだ。

「——さん、遠山さん!!」

 そう呼ばれるのは久しくて、目蓋をうっすら持ち上げた私は違和感を覚える。

「こんなとこで寝ないでよ!風邪引くじゃんっ!」

 徐々に視界を明らめていくと、ぼやけたピントのなかで誰かが覗き込んでいる。はっきりと人物が認識できないまま、私は肩を揺すられて眉を寄せた。

「う、……き、きもぢわる……」
「え?!ごめんっ、揺らしすぎた?」

 仰向けだったらしい体を横たえると、再び女の子が覗き込む。今度はばっちりピントが合って、彼女が同級生の(・・・・)永島友希であると分かった。
 脳がグラグラ揺らされている感覚があったのは、実際に彼女が私のことを揺すっていたからかもしれない。

「だいじょうぶ……あの、ここは……」

 横たわりながら訊ねると、彼女は神妙に首を傾げる。

「多目的室だけど、覚えてないの?」

 視界の先で長い黒髪ストレートが揺れるのと同時に、私はゆっくり起き上がる。

 —— “お前が戻るのは現代で最後にいた時間、つまり学園祭前日だ”

 深い眠りに就く直前、ざらめの言っていた言葉に付け足すとすれば『現代で最後にいた場所』も含まれるということだろう。辺りを見渡せば、そこは確かに物品倉庫と化した多目的教室だ。
 ……ただ、私が最後入っていたはずの棺はどこにも見当たらない。おかげで、教室の床に仰向けに寝かされていた私の体は、全身バキバキだ。

「……ごめん。寝すぎちゃったみたい」
「もー。一応ここ、生徒会以外立ち入り禁止なんだから、他の生徒に見つからないようにしてくれないと」

 腕を組んで放つ彼女に、私は再び頭を垂れる。時差ボケに似た原理だろうか、少し頭が痛い。軽く後頭部を撫でた後、その手をゆっくり滑らせると馴染みのあるボブヘアの感触が伝わった。
 ——……本当に主軸(もと)のセカイに戻ってきちゃったんだ、私。

「ねえ、大丈夫?体調悪い?」

 十年前、キャンディーを舐めながら綾崎くんにストレートアタックをかましていた永島友希も、しっかり女子高生の身なりだ。
 私は首を横に振って、大丈夫、と答えた。

「ならいいけどさ」
「あのー……、永島さん」
「ん、なに?」
「この辺にあった棺って、どこいったか知らない?」

 ざらめを追い回して辿り着いたこの位置には、確かに重厚感溢れる棺があったはず。自分が座っている位置を指しながら言うと、永島さんは眉を微かに寄せた。

「なに?それ。そんなの申請書でも見てないけど」
「えっ……そ、そっか……」

 この辺りの道具はすべて生徒会の管理下で、副会長を務める彼女が言うのだから、おそらく間違いない。
 記憶違いとは到底思えないけれど、途端に心にぽっかりと穴が開いた。
 もしあの棺があれば、もう一度——……なんて、都合の良い願望が過った自分を懸命に打ち消した。

「そういえば、ざらめは……?」

 まさか、あの三毛猫まで幻だった……?
 恐る恐る訊ねると、永島さんはあっけらかんとした表情で「そこにいるけど」と私の背後を指差す。振り返れば、にゃあ、と口を縦に割った三毛猫が小さく身を丸めていた。

「居た……」

 あれだけ悪態を吐かれていたのに、深い安堵が体を巡る。私とアンレコードを繋いでくれた案内猫の背を、私はそっと撫でた。