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—— “オレンジ廊下ね!アタシも好き!”
今日、学校に来る前だったか。羽純が何気なく放った言葉が蘇る。
高いところが得意ではない私は、青空廊下の中央に佇むベンチに腰を下ろし、そのオレンジ色を仰いでいた。
『お前は外が好きなのか。とんだ阿呆だな』
隣で悪態を垂れているざらめは、花壇のときと同じように私に身を寄せ、暖をとる。『猫はこたつで丸くなる』なんて歌を聴いたことがあるけれど、本当に寒さには滅法弱いらしい。
私はふてぶてしい顔から生えた髭をチョン、といじりながら、口を尖らせた。
「なんでも阿呆って言うのやめてよね」
『口癖だ』
「ふうん。モテないでしょ」
『失敬な。人並みだ』
それを言うなら猫並みでしょうが。
我ながらキレのある突っ込みを浮かべながら、沈んでいく夕日を見据える。辛うじて視界に入る校門には、茜鳴祭から帰っていく人たちが束になって見えた。
今日のプログラムをすべて終えた生徒たちは、すでに片付けと明日の準備に入っているだろう。だから、こんな時間に青空廊下を訪れる生徒は誰もいない。
『良かったのか。クラスの方に顔を出さなくて』
存外、人間関係というものを理解しているのか、ざらめの突くポイントは今更とてもまともだ。
「うん。羽純たちには言ってきた」
『……さっきのアレか』
ライブの後、興奮冷めやらぬ羽純と一緒にクラスへ戻った私は、彼女に頭を下げた。すでに明日の準備に勤しんでいた心優の姿もあったので、二人に向けて再び頭を下げた。
「なになに、そんなこと?」「急に真顔で、ビックリするじゃん」と目を丸くした二人に、私は瞳を濡らした。
彼女たちには最後まで打ち明ける勇気は出なかったけれど、涙を流さなかっただけ、及第点だったと思う。
—— “ありがとう。羽純も、心優も”
それに何より、自分の言葉でそう伝えられたことが嬉しかった。
「あーもう……、たった一日なのになぁ……」
彼女たちの笑顔を浮かべて、じゅくじゅくと熱くなっていく瞳で空を見上げる。いくら視界が歪んでも、形のない茜色はとても綺麗だった。
『——戻るつもりか』
嗄れた声が、心なしか切なげに鼓膜を伝う。せっかく乾き始めた眼から涙が溢れてしまうので、私は上を向いたまま喉を鳴らす。
約束の足音が近づいたのは、乾きかけの頃合いだった。
「待たせてごめん」
金木犀の香りを乗せた冷たい風が、長い髪をふわりと攫う。その行方を見据えた後で止まった足音を振り返ると、私の心臓は強く締め付けられた。
こんな状況でも、簡単にときめいてしまうなんて。好きな人の引力は計り知れない。
「ううん、全然。忙しいときにごめん」
「こっちも全然、終わらせてきたから大丈夫」
「そっか。……座る?」
「うん」
ざらめの方へ身を寄せて、右隣を綾崎くんに明け渡す。気になるほどの風ではなかったけれど、彼が隣にいると空気が静かになっていくように感じられた。
そういえば、先ほどまでとは違って彼のパーカーの上には学ランが羽織られている。どちらも抜群に似合うので、無論言うことはない。
「ライブ、大盛況だったね」
「だな。宮城も、ありがとな」
「……ううん。すっごく楽しかったよ。好きな歌だったし」
「言ってたもんな。好きだって」
二人で歌声を重ねた『小さな恋のうた』を思い返しているのか、彼の横顔は空の方へ少し持ち上がる。
「どうして、一緒に歌おうって言ってくれたの?」
訊くと、彼は少しの間口を結んで、それからそっと開いた。