ジャーンッ——。
未だ迷いに塗れた思考に割り込んだのは、綾崎くんの隣で響くリードギターの音。アンプが近いせいもあって、腹の底が激しく揺らされる。
綾崎くんがマイクに息を吹き込んだのは、ドラムがリズムを刻んだ直後のこと——ライブスタートの合図となった一曲目は疾走感のあるロックナンバーで、綾崎くんの歌声と観客たちの高揚が、無機質な視聴覚室を瞬く間に彩っていく。抑揚を帯びて、厚みのある歌声が鼓膜を伝って溶けていく。
久我山くんや後輩たちと目を合わせながら、音を紡いでいく一連の流れに脳がクラリと揺さぶられて、私は堪らず羽純の袖をギュッと掴んだ。
「本当に……音楽が好きなんだ」
力強く歌詞を乗せて私たちの元へ届けられる歌声が、目の前に星を散りばめる。そんな彼の宝物に触れられたことが、何よりも嬉しかった。
「ありがとうございます。バンド名はまだ決まってないので『未定』ってことで……続きは久我山に任せます」
一曲目が終わり、綾崎くんはベースを抱えた久我山くんにマイクを明け渡す。トーク担当は初めから決まっていたのか、任された彼は慣れたようにメンバー紹介を進めていった。
「——で、最後にギターボーカル!ミチ!」
ベース、ドラム、キーボード、リードギターと辿り、マイクは綾崎くんの元へ戻される。瞬間、元の位置へ戻っていく久我山くんの視線がこちらに向けられた気がして、私は思わず肩を弾いた。
……思い当たる節はある。綾崎くんがリハーサルへ行く前に話していた『頼み』の一件——。
「早速今日の二曲目だけど、一緒に歌って貰いたい人がいます」
スタンドにマイクを差した後、舞台袖からもう一本のマイクを受け取るボーカルの姿に、ギャラリーが「えっ、誰?」「うちの生徒?」と沸き立つ。辺りを見渡せば、一曲目が始まる前よりもはるかに人が溢れていた。
「宮城」
キィン。軽いハウリングを含んだ彼の声は私の元へ真っ直ぐ届いて、振り返れば、実直な瞳がこちらを見つめている。
—— “もし嫌じゃなければ、ライブで一緒に歌って欲しい”
頼まれたとき、私は戸惑いよりも先に彼とステージに立つ自分を想像して、胸が踊った。劣等感を纏って出来ない理由を並べず、素直に
—— “歌ってみたい”
と頷いた自分に、私自身が一番驚いていた。
「えっ、トーコ?!トーコが歌うの?!」
羽純にはサプライズになってしまったので、横からバシバシと肩を叩かれている。
私は小さく頷き、ステージの端で差し伸べられた手を見上げる。この人と今日一日過ごさなければ、きっと私は未だに出来ない理由を並べて、その手を握ることなんて無かった——そう考えると、やっぱり綾崎くんは凄くて眩しい。
「いったれトーコ!」
「ヒューッ!」
「なんだなんだ、デキてんのかぁ~!?」
差し伸べられた手に引っ張られてステージの上に立つと、羽純の掛け声に乗じて低い声が疎らに響く。大半の女子は戸惑いに満ちているようだけど、男子たちは冷やかし半分で楽しんでいるようだ。
リードギターやドラム、キーボードを担当する、例のプラカード隊の後輩たちもそれぞれの楽器で音を奏でて、温かく迎えてくれた。
「悪いな、客席から」
「……ううん。こっちこそ」
「歌詞、一応立ててあるから」
「たぶん平気。好きだから、ちゃんと覚えてるよ」
歓声を掻き立てる音のなか、綾崎くんとマイクを通さずに話す背徳感が鼓動を早める。彼は「俺も好きだ」と誤解を生みそうなフレーズを放ちながらスタンドの前に立ち、隣へと私を促す。
十年前も十年後も、何一つとして変わらないこの視聴覚室が隅までしっかりライブ会場と化していて、遠くまで埋まる観客たちの顔に私は目を輝かせた。