「逃げ足早いな、お前」
「あ、あやさきくっ……」
「話の途中で逃げるな」
お説教を食らわせながら、私の肩を易々包み込む腕と掌の力が徐々に強くなる。戦犯はもちろん綾崎充で、どうやら逃げ足を辿ってきたらしい。
……それよりも、この体勢。カモタたちの前でひけらかすのは素より、せっかく延命した透子の寿命を縮めてしまいそうなほど心臓に悪い。
「な、なんでミチが……、」
カモタは顔を引き攣らせながら後ずさる。他の二人は、彼女の体勢を整えるように肩を擦っていた。
「別に。こいつを追ってきただけ」
淡々と答える綾崎くんに、心臓が跳ねる。ここで“宮城”と放たないのはわざとなのだろうか。私が“偽者”だと知っているから、だろうか。
「……なんでよ、」
「は?」
「なんで、宮城さんとだけずっと……少しでも時間空いたら、一緒に回ってくれるって言ったじゃん!」
灰色に塗れた階段裏に甲高い声が反響する。必死で訴えるカモタの瞳には、綾崎くんの表情だけが映し出されていた。
「ごめん」
「なによ、ごめんって……どうせ同情なんでしょ。私が火事に巻き込まれてれば、きっとミチは——」
「俺が一緒に居たかった」
「……は?」
「今日、こいつと一緒に居るのが楽しかった。ただそれだけだ。……だから、ごめん」
一音一音がしっかり文字となって私の心臓を締め付ける。逃げんなよ、と言わんばかりに握られた肩から、熱が素早く巡り来る。
見上げると、彼の耳は真っ赤に染まっていて、灰色だった自分の視界が徐々に晴れていくのが分かった。
「……最悪……絶対、ライブ行かないから」
「ああ。それでいいよ」
冷たくも優しくもない、温度のない綾崎くんの返事に、カモタたちは肩を縮めて去っていく。通りすぎるときに聞こえた鼻を啜る音に、胸が強く締め付けられた。
透子に嫌味を放っていた時とは打って変わって、か弱く縮んだ華奢な背中を目に焼き付ける。
……もしかしたら、あの佳子にもあんな一面があるのかもしれない。やり方は正しいとは言えないけれど、周りに味方を固めているのは、拒絶されて傷つくのが怖いからかもしれない。
偽りのない感情や心、大切にしているもの——そういう大事なものほど、目には視えないんだ。きっと、自分でも見失ってしまうくらい。
「宮城」
「……うん?」
背中から体温が剥がされて、綾崎くんの視線が優しく及ぶ。改めて見ても彼の瞳はビー玉のように澄んでいて、とても綺麗だ。
でも、なんだか久しぶりに目を合わせたような気がして、心臓がドキドキした。
「さっき言ったこと、嘘じゃないから」
「さっき……?」
「……お前と居て、楽しいってこと」
首筋を隠すいつもの癖が愛おしい。彼の視界から逃れたいと思う気持ちは、いつの間にか泡となり、優しく消え去っていた。
「私も、楽しいよ」
「うん。なんとなく分かるわ、一緒に居たし」
「ふふっ、だよね」
「……好きだってとこも、ちゃんと聴こえてた」
「うん」
大事なものは目に視えない。だから、私は私の声で、この人に伝えたい。
「その気持ちも、“宮城透子”の代弁だった?」
眉を下げて笑う綾崎くんの言葉は、開いたばかりの本心に影を落とす。
私は首を振ることしか出来なくて、声の代わりに冷たい涙がはらはらと零れ落ちる。宥めるように彼が私の頭をゆっくり撫でると、溜め込んでいた泉が堰を切ったように、今度はぽろぽろと溢れ出した。
「あ、あやさきくっ……」
「話の途中で逃げるな」
お説教を食らわせながら、私の肩を易々包み込む腕と掌の力が徐々に強くなる。戦犯はもちろん綾崎充で、どうやら逃げ足を辿ってきたらしい。
……それよりも、この体勢。カモタたちの前でひけらかすのは素より、せっかく延命した透子の寿命を縮めてしまいそうなほど心臓に悪い。
「な、なんでミチが……、」
カモタは顔を引き攣らせながら後ずさる。他の二人は、彼女の体勢を整えるように肩を擦っていた。
「別に。こいつを追ってきただけ」
淡々と答える綾崎くんに、心臓が跳ねる。ここで“宮城”と放たないのはわざとなのだろうか。私が“偽者”だと知っているから、だろうか。
「……なんでよ、」
「は?」
「なんで、宮城さんとだけずっと……少しでも時間空いたら、一緒に回ってくれるって言ったじゃん!」
灰色に塗れた階段裏に甲高い声が反響する。必死で訴えるカモタの瞳には、綾崎くんの表情だけが映し出されていた。
「ごめん」
「なによ、ごめんって……どうせ同情なんでしょ。私が火事に巻き込まれてれば、きっとミチは——」
「俺が一緒に居たかった」
「……は?」
「今日、こいつと一緒に居るのが楽しかった。ただそれだけだ。……だから、ごめん」
一音一音がしっかり文字となって私の心臓を締め付ける。逃げんなよ、と言わんばかりに握られた肩から、熱が素早く巡り来る。
見上げると、彼の耳は真っ赤に染まっていて、灰色だった自分の視界が徐々に晴れていくのが分かった。
「……最悪……絶対、ライブ行かないから」
「ああ。それでいいよ」
冷たくも優しくもない、温度のない綾崎くんの返事に、カモタたちは肩を縮めて去っていく。通りすぎるときに聞こえた鼻を啜る音に、胸が強く締め付けられた。
透子に嫌味を放っていた時とは打って変わって、か弱く縮んだ華奢な背中を目に焼き付ける。
……もしかしたら、あの佳子にもあんな一面があるのかもしれない。やり方は正しいとは言えないけれど、周りに味方を固めているのは、拒絶されて傷つくのが怖いからかもしれない。
偽りのない感情や心、大切にしているもの——そういう大事なものほど、目には視えないんだ。きっと、自分でも見失ってしまうくらい。
「宮城」
「……うん?」
背中から体温が剥がされて、綾崎くんの視線が優しく及ぶ。改めて見ても彼の瞳はビー玉のように澄んでいて、とても綺麗だ。
でも、なんだか久しぶりに目を合わせたような気がして、心臓がドキドキした。
「さっき言ったこと、嘘じゃないから」
「さっき……?」
「……お前と居て、楽しいってこと」
首筋を隠すいつもの癖が愛おしい。彼の視界から逃れたいと思う気持ちは、いつの間にか泡となり、優しく消え去っていた。
「私も、楽しいよ」
「うん。なんとなく分かるわ、一緒に居たし」
「ふふっ、だよね」
「……好きだってとこも、ちゃんと聴こえてた」
「うん」
大事なものは目に視えない。だから、私は私の声で、この人に伝えたい。
「その気持ちも、“宮城透子”の代弁だった?」
眉を下げて笑う綾崎くんの言葉は、開いたばかりの本心に影を落とす。
私は首を振ることしか出来なくて、声の代わりに冷たい涙がはらはらと零れ落ちる。宥めるように彼が私の頭をゆっくり撫でると、溜め込んでいた泉が堰を切ったように、今度はぽろぽろと溢れ出した。