「……うん。本当に良かった」
教室には続々と助手たちが入ってくるが、すでに幽閉を解かれた“姫”を見て皆落胆している。うさぎを見つけたとき、私たちが最初の発見者かどうか判らなかったので焦ったけれど、本当にタッチの差だったらしい。
「綾崎にも一応お礼言っとくよ、ありがとね~」
「いーよ、別に俺は」
「そこは素直になんなさいよ、可愛くなぁい」
私の肩に体を寄せたまま、羽純は頬に空気を溜める。確かに、この子からのほっぺキスは一等賞だな、と可愛らしい表情に笑みを溢す。
こちらへやってくる首謀者のオリ先輩は「アッパレ」と言いながら目を細めて、わざとらしく拍手を浴びせた。
「盛り上げてくれてありがとう。そして、一位おめでとう。宮城さんに、綾崎くん。いやぁ、やられたよ」
「いえ……良かったです。羽純を守ることができて」
同じように笑みを返すと、先輩は豪快に笑い出す。
彼女が欲しかったものは盛況と、おそらく羽純をいじるネタ。前者は譲ったけれど、後者は無論容認なんてできない。
「私の知ってる宮城さんは、こんなに目付きが悪かったかなぁ」
「……はい?」
「いやいや、失礼。とにかくアッパレ。少しは楽しんでもらえたかなァ?」
「はい。けっこう楽しめました」
皮肉に笑みを含ませると、先輩は再びケラケラと笑い出す。思考回路が読めない彼女を見据える私は、失言しないよう唇に力を込めながら、先輩の卒業を待ち遠しく思った。
解放された羽純が『レイニー』の様子を見てくる、と飛び立ってから間もなく、私と綾崎くんは行く宛もなく廊下を歩く。
劇の手伝いに行こうと途中まで羽純の背を追っていたけれど、「二人の時間潰しちゃった分、私が働くから大丈夫!」と押し切られてしまったのだ。
「良かったよね、羽純のこと助けられて。うさぎ、見つけてくれてありがとう」
もうすっかり西日と化した太陽を窓から見据えながら、人も疎らになっていった廊下を踏みしめる。視線を落とすと、先ほどよりも自分の影が傾いていた。
「解けたじゃん」
「え?」
「ああいうの。苦手だって言ってたけど、ちゃんと解けたな」
見上げれば、綾崎くんの澄んだ瞳が私を映し出す。
「……うん。すごい、楽しかった」
「じゃあ、意外と数学も好きになれんじゃねぇの」
「ふふっ、そうかも」
劣等感というラベルを巻き付けて、放ってきたものが沢山ある。それを剥がしたら、もしかしたら今までとは違う世界が広がるのかもしれない。
数学も、音楽も、パンケーキやさんの可愛いワンピースだって、身の丈に合わないと諦める必要はどこにも無かったんだ。
「ねえ、数学の問題って難しかった?」
彼と居られるタイムリミットまで、あと三十分程度だろうか。バンドのリハーサルが始まるまで、出来るだけ多く話をしていたくて、夕日に照らされたその表情を覗き込む。
「普通だな。たぶんアレ、模試から引っ張ってきたやつ。何度か解いたことあったから」
「え……じゃあ、あと一問はケアレスミス?」
訊ねると彼は首を振り、片頬に笑みを乗せて言った。
「わざと」
「わざと?」
「さすがに追試免除にしてやるほど、俺は優しくない。あいつ、甘やかすとすぐサボるし……鞭も必要だろ」
その悪戯っぽい表情に、鼓動は早鐘を奏でる。久我山くんの言う「スパルタ」な綾崎充も悪くないな、と邪念が巡った。
「……でも、たぶん隠しきれてないと思うな」
「ん?」
「綾崎くんの、本当は優しいところ、久我山くんはもうとっくに知ってる気がする」
「買い被りすぎだよ」