白紙に戻していたはずの記憶が、暗号をきっかけに炙り出されていく。それは当時の劣等感までもを乗せて、私の心に浸み込んだ。

「これ、どうだろう」

 その劣等感に気づかれないよう、暗号に視線を集中させて声を絞り出す。幸い、綾崎くんも久我山くんも書き足したメモに気を留めてくれていたので、私は安堵の息を吐いた。

「下の棒は八分音符か」
「うん。三行目の“21(レド)” みたいに、数字が連なってるところにも付いてるでしょ。だから、そうじゃないかなって」
「じゃあ、この丸は? 最初の一小節目と、何個か付いてるやつ」
「それはまだ……、でも解るのは、これがなんの曲の楽譜なのかっていうこと」

 両端にいる二人へ交互に応答した後、暗号に記した「ドレミ」を音階に合わせて読み上げる。この辺りは男子二人の十八番かもしれないけれど、自分の声で奏でる旋律がある一つの“曲”になっていくことが心地良くて、私は奏でながら首を揺らした。

「え……俺、判っちゃったんだけど」
「誰でも判るだろ、ここまで来たら」

 二人のやりとりを聴き入れながら、もう一度繰り返す。今度は久我山くんも一緒だ。

「「ドードード、レーミレ、ミーミーファーソ——……」」

 次第にドレミが歌詞を起こしていく。

「「わーすーれーがーたき、ふーるーさーとー」」

 最後のフレーズは楽曲のタイトルをなぞり、堅結びのように絡まっていた糸は、確実に解けていく。結び目に針を入れてくれたのは、今隣で私たちよりも目を輝かせている久我山くんだ。

「『ふるさと』ってことか、これ」
「だからさ、もしかしたら歌詞を当て嵌めて、丸印がついた部分と連動させると——」
「最初の小節は “うさぎ” ……?」

 綾崎くんの記憶にも歌詞が流れているのか、私のペン先と同じ速度で声が重なっていく。ボリュームは抑えられているけれど、いつもより柔らかいその歌声をなぞる度に、心臓が疼いた。その優しい歌声を、もっと聴いてみたいと思った。

「で、できた——!」
「うさぎ、か、がたき……“うさぎが(かたき)”」
「うん、“うさぎが敵”!!」

 綾崎くんが放った解答を復唱して、私は暗号の紙を折り畳む。場所(・・)は定かではないけど、捕まえるべき相手にはすぐにピンと来た。
 白いうさぎの着ぐるみ——午前中、廊下で何度か目にしたあの大きな着ぐるみが、犯人の正体で間違いない。

「綾崎くん、行こう!」
「え、でもうさぎって——」
「絶対見つかる、見つけるから」

 袖を引っ張ると、彼は目を丸くした後でふっ、と笑みを溢す。あまりにも唐突に降ってきた甘い表情に、私の勢いは急停止。
 ……今日だけで、本当に何度寿命が縮まったか分からない。

「楽しそうだな」
「っ、た、楽しいけど……それより、羽純を助けに行かなくちゃ!」
「そうだな。行くか」
「うん。超特急で」

 頷き合うと、横で久我山くんがにやにや頬を緩ませている。「いいねぇ、息ぴったりじゃん」と放たれた言葉に、私は心臓を弾ませた。

「久我山、後でな」
「うん。ミチのことだから大丈夫だとは思うけど、(うつつ)を抜かして、リハ遅れちゃダメだよ?」
「抜かさねぇよ。お前じゃあるまいし」
「ひっどー。次そんなこと言ったら、トーコちゃんに慰めてもらうから」
「……させねーよ、ばーか」

 珍しく子どもっぽい綾崎くんの返しに、視界が眩む。再びこちらに向けられた「行くぞ」の合図があまりにも優しくて、星が飛び散る。
 そして頷く直前、久我山くんが引き留めて放った言葉を、私は何度も反芻することになった。

「——アレね、たぶんやきもちだよ」